ラモーナ・ツァラヌさんの連載エセー『交差する物語』『No.011 人生を変えるような出会い(上)』をアップしましたぁ。今回ラモーナさんは、お能との出会いについて書いておられます。高校時代はジャーナリスト志望だったやうですが、学校の授業で演劇に興味を持ち、その延長線上で世界の演劇について調べているうちに日本の能楽に出会ったそうです。スタンカ・ショルツといふ学者さんがルーマニア語訳した “Teatru Nō” がラモーナさんが最初に読んだ能の本です。この本を巡ってラモーナさんは面白いことを書いておられます。
タイトルの “teatru” は演劇という意味で、この言葉が示しているように西洋では能楽は演劇とみなされている。これは「伝統芸能」という概念がないからである。・・・能楽の詞章である謡曲が初めて西洋の言語に訳された時に、「演劇」ではなく、「和風のオペラ」とか「和風のミュージカル」として解釈されていたのであれば、西洋における能楽の理解は別の歩みをしていたのかもしれない。実際、西洋人の目から見た能楽とは何であるのかを一言で言うと、長い伝統を持つ日本独特の演劇の一種である。
日本人は能が「演劇」に分類されても、「和風のオペラ」や「和風のミュージカル」に分類されても、なんとなく異和感を覚えると思います。「能は能ぢゃなかろか」といふのが日本人的な感覚でせうね。この感覚で短歌、俳句は詩ぢゃなくて、やっぱ「短歌」、「俳句」としか表記でけんだらう、茶の湯だってそーだよね、外国人には理解不能な侘び寂びなのぢゃ~となりがちなのでありまふ(爆)。
しっかしこれではいつまで経っても堂々巡りなのであります。現代日本人はヨーロッパ的な思考法を普遍的な基盤として生きています。文学に限らずできるだけ厳密な用語と論理によって自己の思考を表現しなければ社会的有効性を得られない。ただ欧米的用語定義には当てはまりにくい東洋思想や芸術があるのも確かです。能はその最たるものでしょうね。
能を世界標準的なタームで表現しようとすれば、「演劇」よりは「和風のオペラ」、「和風のミュージカル」の方がその実体に近い。東洋的思想・芸術を世界標準的言葉で語ろうとする努力は必要なのでありまふ。侘び・寂びで交流の窓口を閉ざしてしまふと、いつまで経っても最も東洋的な芸術を世界の人たちに理解してもらえないことになってしまひます。
それにしてもラモーナさんは一冊の能の翻訳本を読むことで、中世の日本語で書かれた原文を読みたひと思って日本を勉強されたのねぇ。センター試験の古典のテストを受けたら、きっとラモーナさんの方が石川よりも高得点だわん(爆)。ラモーナさんの『人生を変えるような出会い』は次回に続きます。
■ ラモーナ・ツァラヌ 連載エセー 『交差する物語』『No.011 人生を変えるような出会い(上)』 ■