能楽に出会ったのは高校の時だった。その頃、演劇に興味を持つようになり、学校の先生が行っていたEnglish Dramaという授業に通い始めた。この授業のコンセプトは、英語を使って文化祭で上演するための演劇作品を作ることだった。最終目的は英語習得だったが、イギリスで演劇の勉強をされていた先生は、学校の舞台で発表される作品の”演劇性”にかなりこだわっていた。発声法をはじめ基本的な演技法を身につけた上で、実際に舞台に立つのはもちろん、英語圏で作成された戯曲や演劇理論を読むなど、色々な方向から演劇の世界に触れる良い機会だった。
そもそもどうして演劇に興味を持ったかというと、演劇を通して別の人物になろうとしている人間はいったい何を考えているかを知りたかったからだ。俳優は、本当に別の人物になるのか、それとも一時期的に架空の人物の魂を自分の心に宿らせるのだろうか。このような精神的な曲芸ができる人間の心理があまりにも不思議で、私の好奇心をたまらなく刺激していた。
その上、普通に考えると、人間にとっての必需品である食べ物、住まい、衣類、教育、生活環境の安全などに比べると、演劇は不要なものである。しかも「芸術」という概念で一括りにされるものの中で、個人が一つの作品を作る文学や絵画と違って、演劇作品の成立は複数人の参加を前提としている。演劇はつまり、何人かが集まって団体となり、必ずしも誰もが必要としない架空の物語を作る行為である。しかし世界中で天災、戦争、餓死、差別のような不公平なことが毎日起こる中で、大勢の人が力を合わせて、あえて演劇のような無駄な作業に取り組み続けているのは何故だろうか。
社会人になる前にこの謎の答えを見つけ出さなければ、どうしても落ち着かないと感じていた。人間という生き物を理解するための鍵が「演劇」だというような気がしていたからだ。ちなみに「社会人になる前」という期限を自分に決めた理由は、演劇を仕事にするつもりはなかったからだ。魅力的な世界ではあるが、その不安定さは自分に合わないと思っていたので、演劇という冒険を続けるのは高校時代までにしようと考えていた。
二つの大きな失敗を経て、自分には演技の才能が全くないということが分かったのと同時に、実際に演技をすること以外にも、演劇に関わる方法が他にもたくさんあることを知った。距離をもって演劇を見つめながら、舞台作品を作る・成功させる作業に参加できるようになるために、演劇についてできるだけ幅広く勉強しようと思った。図書館にあった演劇関連の本を片っ端から読みはじめたら、世界のどこでも、どの時代でも人は演劇を作り続けてきたことが分かった。芝居をするのが面白くて楽しいからだけではなく、演劇でしか表現できない感情やヴィジョンなどがあるのだということを発見し、とても嬉しい気持ちになった。
あの時期手にした本の中に “Teatru Nō” という本があった。ルーマニア語訳の日本の謡曲集だった。翻訳はルーマニア人でありながら、ドイツで能楽の研究者として活躍されているスタンカ・ショルツと仰る先生が担当していた。
お察しの通り、タイトルの “teatru” は演劇という意味で、この言葉が示しているように西洋では能楽は演劇とみなされている。これは「伝統芸能」という概念がないからである。今はよく思うのだが、能楽の詞章である謡曲が初めて西洋の言語に訳された時に、「演劇」ではなく、「和風のオペラ」とか「和風のミュージカル」として解釈されていたのであれば、西洋における能楽の理解は別の歩みをしていたのかもしれない。実際、西洋人の目から見た能楽とは何であるのかを一言で言うと、長い伝統を持つ日本独特の演劇の一種である。
日本では、能楽は演劇なのかどうかという議論は50年くらい前に終わったのだが、今でも能楽を演劇と呼ぶことに違和感を覚える方々は少なくない。個人的には日本の能楽論と西洋の能楽論を和解させるために、「舞台芸術」という共通の定義語を使うようにしている。
もちろん当時高校生だった私はこのような細かいことを理解するどころか、見当もつけられなかった。〈井筒〉、〈昭君〉、〈巴〉、〈忠度〉などという、詩のような美しさを持つ詞章に感動しながら、世界の演劇の中から能という素晴らしい芸術を発見ができたことが、ただただ嬉しかった。
ただ翻訳のおかげでお能の演目一つ一つが素敵な物語を内包していると分かったものの、この物語が舞台で上演されるのを想像する術はなかった。謡曲集の解説を読むと、能の役者は能面や特殊な衣裳を身にまとい、特別な舞台の上に物語の登場人物として出てくるそうだ。詞章の言葉はセリフではなく謡いである、能役者の動きのほとんどは舞いであると言われても、写真さえもなかったので、実際のお能という芸能の有様は想像できなかった。(これは10年以上前の話で、つまりインターネットが使えるようになる前のことだ。現在はインターネットを利用して、どのような画像や情報でも簡単に手に入れられる時代になっており、話にもならないぐらい状況が変わった。)
解説を何度読み返しても、お能の謎は深まっていく一方だった。それに私を何よりも悩ませたのは、お能の演目の言葉は日本の中世の言葉であり、詩的な表現が多いため、どれほど優れた翻訳でも原文の表現の豊かさを伝えられないという解説の言葉だった。お能の文章の美しさを心ゆくまで楽しみたいなら、自分で日本語を勉強するしかないのかなという考えが、あの時意識の底で芽生えたのだった。
高校時代が終わり、その時点までジャーナリズム専攻の大学に進もうと決めていたのに、急に外国語学部に行くと決めた時、周りの人はけっこう驚いた。どうして日本語を勉強しようと思ったのか、みんなによく説明できなかった気がする。当時の自分にとって日本の能楽はあまりにも遠い世界だったので、お能についてもっと知りたいからだとは言えなかった。日本語をよく勉強して、ついでに少しでも能楽について勉強できたらそれだけで満足できるだろうと思った。10年後、舞台芸術としての能楽の研究に本格的に取り組むようになるとは、当時は夢にも思っていなかった。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■