大篠夏彦さんの文芸誌時評『No.014 文學界 2014年07月号』をアップしましたぁ。むぅ、「文學界」さんの時評は不肖・石川も気を使うといふかハラハラしますな。もちろん「文學界」さんが文学金魚なんぞに圧力をかけることは、自意識過剰もはなはだしい虚妄に過ぎんわけですが、それでも石川などは、ほとんどパブロフの犬的条件反射で「文學界」さんの顔色をうかがってしまふようなところがあります。あ、これももちろん自意識過剰の心配で、「文學界」さんが石川のことを気になさることは未来永劫なひです(爆)。
大篠さんは「雑誌が〝雑〟であるのは言うまでもない。文芸誌の場合小説中心だが、様々な作家が様々なジャンルの作品を寄稿している。質もまちまちだ。古本屋で二十年、三十年前の文芸誌を買って読んでみるといい。知っている名前はほんの一握りで、大半の作家は文学史に名を残すことなく消えていったのである。しかし今も昔も小説文芸誌に作品を掲載してもらうのは容易ではない。特に文壇の中核だと言える芥川賞主宰の「文學界」の場合はそうだ。新人作家の作品が「文學界」に掲載されるということは、芥川賞に一歩近づいたことを意味する」と書いておられます。
大篠さんは続けて「もちろん芥川賞は文学賞の中では比較的公平で視野の広い賞である。ただその中核を為すのは「文學界」系の作家、あるいは「文學界」好みの作家たちである。・・・純文学系の文芸誌は雑然とした中に、それぞれのカラー(編集方針)を持っている。このカラーははっきり言うと、「文學界」を頂点(指標)として各文芸誌に割り振られている。これも露骨な言い方だが芥川賞が〝純文学〟を規定しているからである。そして現在の問題は、純文学だから芥川賞が授与されるのか、芥川賞が授与されたから純文学なのか、その境界が曖昧になっていることにある」と批評しておられます。
う~んう~ん困ったなぁ。でもまぁこっそり言うと、大篠さんが書いておられる通りかな。不肖・石川も編集者として腹を括らねばなりませんなぁ。あ、腹は絶対切りまへん。痛いの嫌いですぅ(爆)。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.014 文學界 2014年07月号』 ■