雑誌が〝雑〟であるのは言うまでもない。文芸誌の場合小説中心だが、様々な作家が様々なジャンルの作品を寄稿している。質もまちまちだ。古本屋で二十年、三十年前の文芸誌を買って読んでみるといい。知っている名前はほんの一握りで、大半の作家は文学史に名を残すことなく消えていったのである。しかし今も昔も小説文芸誌に作品を掲載してもらうのは容易ではない。特に文壇の中核だと言える芥川賞主宰の「文學界」の場合はそうだ。新人作家の作品が「文學界」に掲載されるということは、芥川賞に一歩近づいたことを意味する。
もちろん芥川賞は文学賞の中では比較的公平で視野の広い賞である。ただその中核を為すのは「文學界」系の作家、あるいは「文學界」好みの作家たちである。雑誌は雑だと言っても文芸誌はどんな作品でも掲載するわけではない。純文学系の文芸誌は雑然とした中に、それぞれのカラー(編集方針)を持っている。このカラーははっきり言うと、「文學界」を頂点(指標)として各文芸誌に割り振られている。これも露骨な言い方だが芥川賞が〝純文学〟を規定しているからである。そして現在の問題は、純文学だから芥川賞が授与されるのか、芥川賞が授与されたから純文学なのか、その境界が曖昧になっていることにある。
ずいぶん前に椎名誠が「文芸誌を隅々まで読んでいる人なんているのか」という内容のエセーを書いていたが、プロの作家ですらざっとであれ毎号読んでいる人は少ないだろう。文芸誌に書くようになれば文芸誌の読者は卒業というのは、皮肉だがある程度本当だ。業界人になれば目次を見ただけで自分の立ち位置がわかるようになる。それで十分だ。雑誌が何を求めているのかを理解すれば、ただでさえ忙しい作家は他者の作品は読まなくても良いということでもある。雑誌は雑然とした構成の中から常にメッセージを発しているのである。
今号の巻頭は青来有一の私小説「悲しみと無のあいだ」である。二〇〇一年に芥川賞を受賞し、伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞などを受賞している。長崎出身で長崎原爆資料館館長でもある。今号には流行作家(大衆作家)の片岡義男やゲージツ家として有名な篠原勝之らの作品も掲載されている。内容の面白さなどを別にすれば、それらは普通の顔をした小説である。これも公平に言えば内容や技術的な出来不出来は別として、青来有一の作品が最も「文學界」的小説なのである。この作品が巻頭になければ「文學界」はそのアイデンティティを保持できないだろう。
中村俊郎、享年八十歳。(中略)昭和三(一九二八)年に生まれた父は十代なかばで戦争を経験して、原子爆弾の光景を目撃したのです。(中略)父がながめたかもしれない光景――曲がった兵器工場の鉄骨や焦げた釘、貨車のしたの黒馬の死骸や、溶けてひとつの透明なかたまりになったガラス壜、ちぎれた指、同じく耳や歯茎がこびりついたまま剥がされた顎、それから遺体にむらがるまるまると肥えた真珠色の蛆――が次々に臨終の枕もとにたたずむわたしのなかに浮かんできました。父はついにそれについてくわしく語ることはないまま逝き、ぽっかりと穿たれた空白をわたしの中に残しました。
(青来有一「悲しみと無のあいだ」)
「悲しみと無のあいだ」は青木氏のお父様がお亡くなりになったところから始まる私小説である。父は長崎原爆の被爆者である。また父は原爆投下直後の様子について「くわしく語ることはないまま逝き、ぽっかりと穿たれた空白をわたしの中に残し」た。原爆投下という、日本社会ではほとんど絶対不可侵の無辜の犠牲を題材にしている以上、「悲しみと無のあいだ」は聖なる小説である。またそれが長崎原爆資料館館長でもある作家によって語られることには、現世的価値や使命感が付加されるだろう。
しかし僕はこの作品について、「作家は結局のところ、使える題材はみな使って作品を書くものだ」という単純な文学的公理だけを適用したい。被爆者である父がその体験を語らぬまま逝ってしまった以上、小説の展開方法は限られている。一つはもちろん、あらゆる手を尽くして父の体験をなぞる(掘り起こす)ことである。もう一つはなんらかの形で、父とは異なる主人公独自の現世的な地獄へと作品主題を移行させることだろう。その他にも展開可能性は幾つかあるが、「空白をわたしの中に残し」たと書いた以上、それはなんらかの形で埋められなければならない。小説主題はこの「空白」の穴埋め作業に集約される。
十七歳のとき、わたしは宮沢賢治の『よだかの星』を読みました。(中略)
よだかの絶望は今もわたしたちの頭上にひろがる夜の世界で燃え続けているような気がしてなりません。宮沢賢治がわたしたちに教えてくれたのは(中略)なにものかを滅ぼしていくことで永続するといったどうしようもない矛盾をわたしたちはかかえこんでいるということで、死はそうした矛盾からのただひとつの逃れであって、生きているものの目にはどれほど無惨でむごたらしく映ろうが、やはりそこにはしずかな平安がある(後略)
(同)
「悲しみと無のあいだ」は、父の被曝体験とは何だったのか?を素直に探る方向へと進む。しかし作家は父の友人や知り合いに取材して、善良で無口でもあった父の隠された秘密や体験を暴くようなことはしない。作家の興味は被爆体験を語ろうとしなかった父の〝内面〟解釈にある。それは作家の〝内面〟を吐露することでもある。その重要な素材として宮沢賢治の『よだかの星』が引用される。作家は賢治の法華経系仏教思想に基づく無常観に共感し、父もまたそのような感覚を持っていたのではないかと考える。そこに戦争の悲惨に対する怒りや原爆を投下したアメリカ軍への憎悪はない。平安短歌から続く仏教的無常観がこの作品の思想的焦点である。
ただ「悲しみと無のあいだ」は小説である。作品で思想を表現することが目的なのでは必ずしもない。「悲しみと無のあいだ」には賢治の『よだかの星』のほかに、ウィリアム・フォークナーの『八月の光』や『野生の棕櫚』、J・アンリ・デュナンの『ソルフェリーノの記念』、アハロン・アッペルフェルドの『不死身のバートフス』などが引用・言及されている。作家(と父)の思想は賢治の『よだかの星』に集約されるとはいえ、「悲しみと無のあいだ」のエクリチュールは文学的な引用の織物なのだ。引用されるのは思想ばかりではない。小説そのものが引用として書かれるようになる。
わたしと父の関係、父と養父の関係・・・・・・、父の亡骸と青空のしたふたりきりになったあの時間を起点にして、父と子の関係をわずかにずらしながらも重ねて書くことができないだろうか・・・・・・。わたしは『フランドルへの道』(註-クロード・シモンの小説)をなんどとなくめくるうちにこの部分に重ねてと思うところがありました。(中略)
わたしはこのあたりの文章をそのまま下敷きにして、十六歳のときのわたしの父の心象、被曝直後のまだ放射線のたちこめていたなにも知らない原子野をめぐり歩いていくときのざわざわとしたざわめきを試みとして断片だけでも書いてみようと思います。(中略)
あの丘だ、黒く焦げて、あそこで二十六聖人が処刑されたのはいつだったのか・・・・・・、彼は焼けた長崎駅の方をながめそれからまた右手の西坂の丘をながめて、風景がいよいよ一変していくのをたしかめ、そこまでも県庁や中町教会が焼けた光景はながめてはきたが、(中略)海そのものが潮の満ち引きを失い澱んで腐っていくような、からだがそっくり裏返ってしまうほどの吐き気をもよおさせる臭いがどっと押し寄せてくる・・・・・・、手拭いで鼻口をおさえたがまにあわないでげえげえと喉はひっくりかえり、汗と涙でにじんだ目じりをこぶしでぬぐうのだった。
(同)
「あの丘だ、黒く焦げて」以降はクロード・シモンの『フランドルへの道』の文体を真似た、父を主人公とする小説内小説である。句点はなく、読点だけで区切られた叙述が続く。それはかりそめの思想的焦点は存在するが、小説文学としてはこの作品に帰結がないことを示唆している。父が被曝体験について沈黙を守ったことは〝謎〟と措定されたが、それは解かれるべきものではない。むしろこの謎は答えのない空白である。小説で表現される思想も、小説の文体そのものも、この空虚に向かって雪崩れ込む。小説で表現されるべき決定的主題などなく、すべては空虚を巡る無限のエクリチュールであることが「悲しみと無のあいだ」の本質的主題だろう。
『よだかの星』の悲しみは、ウィルボーン(註-フォークナーの『野生の棕櫚』の主人公)の悲しみにひびきあうなにかがあるような気がしてなりません。
わたしたちは棺のなかの父の亡骸を思い、ほんとうはこれからなにを葬ろうとしているのか、純白のベンツの窓に流れていく青空をながめながらそんなことを考えていました。
(同)
引用は「悲しみと無のあいだ」最終部である。当然のことながら、父の沈黙の謎、解かれるべきものとして提示された問いは、なんら答えを見出されないまま放棄される。ただ「わたしたちは(中略)ほんとうはこれからなにを葬ろうとしているのか」という言葉は様々に読解することができるだろう。伝統的な〝私小説〟の終わりというのもその一つだと思う。
世界を家や家族関係といった狭い領域に絞り込み、その中で自我意識を極限まで肥大化させる私小説の構造は「悲しみと無のあいだ」にはない。むしろ空虚になった主人公(語り手=作家)の中に世界(様々な思想や文学テキスト)が流入している。その意味で「悲しみと無のあいだ」は私小説の終わりとも新たな私小説とも捉えられる。問題はそれが苦し紛れの無意識的方法だということにある。もっと言えば小説を書くことが絶対的に優先されているのであり、小説の行き着く先は作家にも見えていない。空虚を小説主題としてそこに世界(外部)を取り入れれば、エクリチュールだけが無限に増殖してゆくだろう。
大篠夏彦
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■