金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.027 アラビアンナイト博物館 国立民族学博物館/西尾哲夫(編集)』をアップしましたぁ。金井さんは『アラビアンナイトという言葉に、私たちは憧れとともに、なぜか郷愁を覚える。・・・それは、私たちにとっての源氏物語や江戸文化など、日本が纏い得るイメージと同様のものであって、今現在、中東地域に住む人々にとってはかつての牧歌的な、あるいは批判に値する文化の一端に過ぎず、日常的には無縁であるが、それを説明するのも面倒だろうと考えられる』と書いておられます。
確かにそうでしょうね。金井さんは以前『ファージョン自伝』を取り上げておられますが、彼女のお父さんはアラブ系ユダヤ人です。自伝でファージョンは、自分の家系がアラビアンナイトの世界につながっていることを誇りに思い、アラビアにいるはずの親戚が、アラビアンナイトで描かれた絨毯やきらびやかな服などを送ってくれないかしら、と夢想していたと書いています。現実のイスラーム世界とは別のアラビアンナイト世界を夢想していたわけです。その感覚は日本で『千夜一夜物語』を読む少年少女とあまり変わらないですね。
アラビアンナイトはよく知られているように、〝シェヘラザードかく語りき〟の物語です。妻の不貞を目撃して女性不信になった王が、毎夜若い女性を同衾させて朝には殺してしまふという残虐を繰り返しています。それに心を痛めた大臣の娘シェヘラザードは王に嫁ぎ、毎晩夜とぎをしてついに娘を殺すことを止めさせるのです。閨房という密室の中で女性が物語を創り出して語り、王の心(為政)を変えるというアラビアンナイトの構造は、物語の本質に極めて接近した何事かをわたしたちに伝えていると思います。
金井さんはまた、『アラビアンナイトの豊かさは、そもそもの初源からの、問答無用の豪奢である。女も子供も、王も貧乏人も、存在そのものがみっしりと密であり、豊かに描かれる。その豊かな記号の無限の繁殖は、遍在する神そのもののようで、私たちにもやはり懐かしいのだ』と書いておられます。
金井さんがお書きになったような豊かさは、現代のイスラーム世界にもちゃんと存在しています。イスラーム国などの紛争ニュースが中東世界のイメージになりつつありますが、現代の先っぽだけに注目しても文化は理解できません。アラビアンナイトは元々はペルシャの物語ですが、アラブ・イスラーム世界の物語要素を加えて成立してゆきました。アラビアンナイトを読むことは、今でもアラブ・イスラーム世界の理解に役立つと思います。
■ 金井純 BOOKレビュー 『絵のある本のはなし』『No.027 アラビアンナイト博物館 国立民族学博物館/西尾哲夫(編集)』 ■