「絵のある本のはなし」で、何冊もその作品を取り上げているイギリスの女流作家、エリナー・ファージョンの自伝である。しかしなにせ〝あの〟ファージョンの手になる自伝である。わたしたちが思い浮かべる自伝のイメージとはかけ離れている。この本には功成り名を遂げた作家が、年老いて冷静に過去を振り返るという姿勢が一切ない。
一九三四年作の本書(原題『一八九〇年代の子供部屋』)は、わたしが自分自身と兄弟たちのために、わたしたちの子供時代の全貌をできるかぎり精密に保存しておきたいという気持ちから書いたものである。それは父のわくわくするような、そして母のうっとりするような生い立ちの記という背景を描くところからはじまって、やがてわたしたちがそれぞれ人格を形づくることになる前景、すなわちわたしたちの子供部屋そのものに徐々に迫っている。わたしはどのような読者がおもしろがってくれるだろうかなどと考えることもなく、ひたすら自分を含めた四人の仲間(注-ファージョンを含む四人兄弟)のために書き、子供部屋に掲げられていたある標語のもとに、彼らにこの本を捧げている。その標語とは次のようなものである。
ハリーとネリーとジョーとバーティにもどろうよ(注-ファージョンは子供の頃ネリーと呼ばれていた。ファージョン以外の兄弟はすべて男の子)
『自伝』の執筆意図を述べたファージョンの言葉は的確である。的確過ぎるくらいである。『自伝』を読んだ人は、「わたしはどのような読者がおもしろがってくれるだろうかなどと考えることもなく、ひたすら自分を含めた四人の仲間のために書」いたという言葉に、まったくその通りだと頷くだろう。相当なファージョン好きでも『自伝』を読み通すのには苦労するはずである(日本版では六四五ページの大著)。自伝を書く場合、作家は自分の人生を一つの物語として仮構するのが一般的である。しかしファージョンはそのような操作をまったく行っていない。父や母、あるいは兄弟たちとの思い出は、今そこで起こっているかのような形で描写されている。
もちろん『自伝』はファージョンという作家の成り立ちを知るための格好の資料である。父ベンジャミン(ベン)はユダヤ人で、祖父は中近東の出身だった。ベンの家は貧しく、植字工をしながら独学で文字と文章技術を学び、当時のゴールド・ラッシュ・ブームに乗って十六歳でオーストラリアに渡った。金は掘り当てられなかったが当地で新聞を発行して成功し、記者・詩人・劇作家・小説家として一定の成功を収めた。ベンは敬愛するディケンズから手紙をもらったのを機に三十歳でイギリスに帰国した。当人は作品を激賞されたからだと吹聴していたが、ファージョンは直筆ではあるが、ベンはディケンズから作品の雑誌掲載を断る手紙をもらったに過ぎないことを明らかにしている。ただベンはイギリスで作家として成功した。行動力に富み、常に快活だったベンは社交界でも花形だった。
母のマーガレット(マギー)はアメリカ人で、曾祖父の代からの役者一家だった。マギーの頃には役者の地位を確立し、アメリカはもちろんイギリスやオーストラリア巡業も行っていた。マギーは音楽を好んだが、役者として舞台に立つことはなかった。むしろ控えめな性格で、ファージョンは「母は父とは正反対に口数が少なかった。本人は表には出すまいと抑えつけていたけれど、快活で温厚で、繊細なのに断固としてゆずらぬ潔癖なところもあわせ持ち、頭の回転がはやく、こらえきれずについユーモア精神を発揮してしまうこともあった」と描写している。物語化すれば父ベンの軌跡の方が面白いが、ファージョンは「グッドナイト、マイダーリン」(おやすみ、いい子ね)といった、社会的にはなんの痕跡も残さずに消えてしまう、母マギーの思い出の方に多くのページを割いている。
ママが特別なときにだけ着るイブニング・ドレスが一着あり、そのドレスの美しさはほかのドレスとは一線を画するものだった。(中略)それも数年後には白い絹地に銀の花模様が細かくちりばめられたドレスにとってかわった。ママがこのドレスを着るとパパが部屋にやってきて、鏡に向かうママのうしろでにっこりして言った。
「ママは、まるでクリスマス・ツリーのてっぺんにのっけるお人形さんのように見えるじゃないか?」
わたしはうなずいた。わたしとパパは着飾ったママを眺めながら、ちょうど同じようなことを感じていたのである。
『ファージョン自伝』はこのような微細な記述で満ちている。ファージョンの記憶は実に具体的であり、思い出が蘇ると、それを整理することなく細部まで書き進めてゆく。『自伝』執筆のために集めた家族の資料も同様である。父母が保存しておいてくれたファージョンの子供の頃の詩や散文はもちろん、兄ハリーやジョーとバーティの二人の弟の走り書きまで『自伝』に再録されている。道草をし、曲がりくねった道を歩むようなその筆致は確かにファージョン作品そのものである。
「TAR」は、誰か別の人になったふりをする、あの子供の遊びのことである。けれども、わたしとハリーがこの遊びにかける情熱、入り組んだ設定、そして自分ではない役柄になりきる度合いは、ほかに比類のないものだったろう。「TAR」が始まったのはわたしが五歳のときだが、この遊びのなかで経験したことは、それから二十年以上ものあいだ、わたしの内外両面生活におけるいちばん重要な経験であり続けた。(中略)
ハリーはわたしがなりすます人物を自在に変えることができた。(中略)わたしは現実の生活のなかでよりも、「TAR」の世界のなかではるかに多くの進歩をとげていた。拡げるべき世界は狭いままなのに、「TAR」の世界はどんどん拡がっていった。(中略)しかし、わたしの成長にとって、このゲームこそは危険な障害物であった。(中略)そこには常識的な知識が含まれていなかったからである。(中略)
けれども、「TAR」は(中略)この上ない恩恵をもたらしてくれたのである。与えられた設定のなかで与えられた役柄に自分の意志の力で命を吹き込み、その人物がなにを感じ、どういう動きをするのかをその場のなりゆきに応じて感じとる力を、この遊びを通じてわたしは身につけることができたのだった。(中略)まさにその力のおかげで、物を書くことがわたしのつきせぬ喜びとなったのだった。
ファージョンは子供部屋で、兄弟たちと「TAR」(タア)という遊びに熱中した。本や芝居の登場人物になりきる遊びである。子供部屋のリーダーは六歳年上の兄・ハリー(ハーバート)で、ファージョンとハリーが最もTARにのめり込んだ。TARはハリーが王立音楽院に入学するまで続いた。ファージョンは学校に通ったことがなく、家庭教師と読書によって教養を身につけた。エリザベス朝の上流階級では普通のことだったが、ファージョンは一度も学校教育を受けたことのない最後の世代だろう。家の中の、繭のように閉じて居心地のいい子供部屋がファージョンの遊び場であり教育の場だったのである。
「与えられた設定のなかで与えられた役柄に自分の意志の力で命を吹き込み、その人物がなにを感じ、どういう動きをするのかをその場のなりゆきに応じて感じとる力を、この遊びを通じてわたしは身につけることができた」というファージョンの言葉は、彼女の創作の核心に触れている。ファージョンは新たにお話を作る作家ではない。お話を生き、それを今ここで起こっているかのように語る作家である。その資質を形作ったのが子供部屋とTARであった。ただ彼女はプロの作家になってからも、それを一切方法化しなかった。
ファージョンは「わたしが作品を書くという作業も、いわば方法も時も選ばずに気ままに行われてきた。わたしは依然としてすべてを書きつくしてしまうことを強く望んでおり、どこで取捨選択したらよいか迷ってしまうのだ」とも書いている。作家になってからも、ファージョンの心は「一八九〇年代の子供部屋」に留まったままである。あるお話(物語)が突然彼女を捉え、それを生き始めることが彼女の執筆活動になる。また彼女に決定的な物語などない。お話は次から次にやってきて彼女の心を捉える。ファージョンのアメーバーのような文体はそのようにして生まれている。
文体などの小説技法の問題とは別に、児童文学は二つのタイプに分類できると思う。一つ目は『トム・ソーヤの冒険』などが典型的だが、唯一無二のヒーロー・ヒロインが活躍する物語である。もう一つは世界観が主人公の物語である。もちろん子供向けの物語である以上、アリスやピッピといった主人公が登場する。しかし彼らは作家が描こうとする世界観から析出して来た仮の主人公である。主人公の言動や内面を描くのではなく、世界観をこそ表現するのが作家の目的なのだ。グリム童話なども後者のタイプに入るだろう。ファージョンの作品も〝お話を語ることの初源的力〟を表現しようとしているという意味で、世界観文学に属すると思う。
世界観文学は、世界を創り出すという意味で神話世界に繋がっている。人間意識がなぜ物語を生み出すのか、なぜ人間は物語を必要とするのかという原初にまで作家意識が遡行するからである。またそれは時に、長い年月をかけて作り上げられてきた社会・文化的規範(パラダイム)に揺さぶりをかける。わたしたちは今日、そのような文学をポスト・モダン文学と呼ぶ。児童文学にポスト・モダン文学の傑作が多いのは、作家たちが子供の意識をもって物語の生成原理に肉薄するからである。ファージョンもまたポスト・モダン文学の作家だと言ってよいが、彼女は方法的には全くの無意識であった。本や演劇の登場人物に憑依するほとんど肉体的な喜びが、彼女の作品をヨーロッパの自我意識文学から引き離したのである。
作家自身によって、読者のことは一切考えず、自分と兄弟たちのためにだけに書いたと明言されている『ファージョン自伝』は退屈である。ファージョンが優れた童話作品を残していないなら、わたしたちはこの本を読み通せないだろう。ただこれもいかにもファージョン的なのだが、なんとも言えない読後感を残す本なのだ。うまく表現できないが、書物とは、物を書くとは、本来はファージョンの『自伝』のような作業なのではないかという感じである。もちろんファージョンはジャーナリズムの世界で苦労した作家である。しかし彼女の成功は、ジャーナリズ世界を泳ぎ回る能力ではなく、自己の資質を信じる力によってもたらされている。六〇〇ページを超える退屈な自伝を書ける作家は、ファージョン以外にいないだろう。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■