虻高し山は海から来るものを
からし菜の花を天地は過ぎ去りぬ
『虻高し』は安井さんの第10句集『汝と我』(昭和63年[1988年])に収録された句で、『からし菜の』は第12句集『四大にあらず』(平成10年[1998年])に収録されている。収録句集は違うが『虻』と『からし菜』の季語は共に春である。ただこれらの句で詠われているのはのどかな春の実景ではない。『虻高し山や海から来るものら』であればかろうじて尋常の意味をすくい取れるが、『山は海から来るものを』だと首をかしげてしまう。『からし菜の』も同様で、普通に詠めば『からし菜の大地を天は過ぎ去りぬ』だろう。
こういった転倒的な表現、言葉の通常の意味伝達機能を脱臼させるような方法は自由詩の世界ではよく使われる。自由詩を美しいイメージや心地よい音韻、あるいは作家の思想を表現するための芸術だと定義するだけではジャンルの独自性は保てない。言葉の通常の意味伝達機能は大事だが、俳句や短歌、小説や評論とは違う存在理由が求められる。そのため自由詩は言葉の〝事件〟を欲する。日常言語とは異なる言葉の使い方や構造によって作家が生きる同時代を表現しようとする。言葉の脱臼的な用法はそこから生じている。
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだたれ、
いまはや懺悔ををはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどきもの地面に生え。
(萩原朔太郎 詩集『月に吠える』より『竹』全篇 大正6年[1917年])
ジーナ・ロロブリジダと結婚する夢は消えた
彼女はインポをきらうだろう
乾いた空
緑の海に
丸太を浮べて
G・Iブルースをうたうおとこ
(中略)
おまえの存在する空間
そこには
どんな影が
怖れるな
おまえの場所を
おまえの魂のすみかを
おまえは空間に呑気をみる
そして
愛の形も見るだろう
(吉増剛造 詩集『出発』より表題作部分 昭和39年[1964年])
約半世紀を距てて書かれた2篇の詩だが、それぞれ通常の用法とは異なる言葉で時代を表現している。朔太郎の『竹』がいまだに強い魅力を放つのは、『ますぐなるもの』『するどき青きもの』が『地面に生え』、しっかりと大地に『根はひろごり』ながら、彼がその光景に『なみだたれ』『懺悔』しているからである。
自由詩は朔太郎によって確立されたと言ってよいが、彼は北原白秋門下だった。『月に吠える』の序文も白秋が書いている。白秋の序文は『萩原君。何と云っても私は君を愛する』で始まる。末尾でも繰り返している。審美的かつ耽美的な詩集『邪宗門』と歌集『桐の花』の白秋が、『月に吠える』に異和を覚えなかったとは考えにくい。しかし白秋は朔太郎を愛した。朔太郎はそれまでの短歌調の詩から離れ、白秋的詩に叛き、まっすぐに、だが冷たい大地に彼の詩の根を伸ばしていった。その決意と怯えが彼の詩を緊張感あるものにしている。『竹』の硬質で清新な文体が大正初期の新たな詩の言語状況だったのである。
吉増剛造の詩は60年安保と70年安保に挟まれ、戦後の日本社会が大きく動揺しながらも、人々に豊かな生活をもたらす高度経済成長期の初期に書かれた。詩の言葉は作家の心象を交えながら現実をなぞるように疾走している。しかし作家は『怖れ』ている。自分が存在するための『場所』=『魂のすみか』が目まぐるしく変化し続ける世界のどこにあるのだろうかと自問している。それが1960年代から70年代の精神状況であり作品はそれを的確に言語化している。吉増の詩は彼が作品を書いた時のスピードで読み飛ばす必要がある。言葉の流れ、疾走感がこの詩の〝伝達内容〟なのである。
鶴山裕司さんの『安井浩司初期参加同人誌を読む』によって(『N0.010 『現代行動詩派』『ぽぷるす』』『N0.011 『KLIMA』』参照)、僕たちは安井さんが若い時期に本気で自由詩の創作を手掛けていたことを知った。また安井さんの自由詩の理解は的確だと思う。そういった経験から安井さんは自由詩的な手法を身につけられたのだろう。ただ安井さんは生粋の俳人である。無防備に自由詩的な手法を取り込んではおられない。
鳥雲にゑさし獨りの行方かな 其角
(中略)〈ゑさし〉とは、鳥刺のことで、あの鳥黐(とりもち)でさっと捉える人のことである。(中略)これは眼前の風景ではなく、ある時間を経て、観念の中に晒された風景なのである。鳥はすでに雲へと消え去り、鳥さしはまた霞の中へ消えてしまっているのである。鳥と鳥さしの同衾宿命の二物は、互に別方向に離れ去ったその瞬間から、風景は現実のものでなくなるのだ。これは言葉の内面に描ききった其角自身の風景に他ならない。蕉風の当時、むしろ名残の美学を冒瀆しつつ、ひとり行方不明の美に憑かれていた其角をここに想われてくるのである。
(安井浩司『声前一句』より『其角』 昭和52年[1977年])
『鳥雲に』の句は、普通の俳人なら鳥刺し(ゑさし)を主人公にするだろう。たとえば『鳥雲にゑさし獨りの枯野かな』であれば、鳥が雲の彼方に去った後に一人取り残された鳥刺しの姿が浮かぶ。しかし其角は鳥と鳥刺し両方の行方を尋ねている。どちらかが欠ければ両者ともこの世での居場所がなくなってしまうかのようだ。其角ならではの奇妙な読後感を残す句であり、安井さんはそこに『蕉風の当時、むしろ名残の美学を冒瀆しつつ、ひとり行方不明の美に憑かれていた其角』を見ている。
安井さんの『虻高し』や『からし菜の』も、其角と同様に新たな表現地平を求めている作品だと言える。しかしより大胆な表現になっている。そこには自由詩からの影響と同時に、其角的な『行方不明の美』の方向性を明確に言語化したいという欲求があるように思う。
老僧、三十年前、未だ参禅せざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水なりき。後来、親しく知識に見(まみ)えて箇の入処有るに及んで、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而今、箇の休歇(きゅうかつ)の処を得て、依然、山を見るに祇(た)だ是れ山、水を見るに祇だ是れ水なり。
(『続伝燈』二十二)
悟りを巡る青原惟信禅師の有名な言葉である。禅師は修行する前は山は山、水は水としか見えなかったのに、修行を続けると山は山ではなくなり、水も水ではなくなった。しかしさらに修行を重ねると再び山は山、水は水に戻ったと語っている。青原惟信は修行によって得た悟りにより現象界(現実界)が無の一如に溶解し、悟りの境地から戻って来ると無の分節により現象界が出現したという禅的認識を語っている。禅の悟りは決して安定した境地ではない。現象界から無へと精神を下降させ、さらにそこから現象界に帰る修行を繰り返すのである。
安井さんの師・永田耕衣氏は、有(存在)は時であり『有時の而今』だと言った道元禅師の言葉を取って全句集に『而今』というタイトルを付けられた。俳句のような伝統文学において『行方不明の美』の方向性を探れば、現存在は過去存在の仮象であり、現象界は無に帰してのち有として現象するという認識に辿りつくのではないかと思う。だから『虻高し山は海から来るものを』や『からし菜の花を天地は過ぎ去りぬ』という安井さんの句は、ある直感的真理を含んだ思想句だと読み解いていいと思うのである。
僕たちは東日本大震災で陸が海に変わる光景を見た。『山は海から来る』ことはあり得る。からし菜の花の上を天地が過ぎ去ることも起こり得る。自由詩的意味脱臼的な詩法であろうと其角的『行方不明の美』だろうと、そこに思想がなければただの技法である。決して論理的に説明し尽くせない直観を言語的事件として表現している作品が優れた詩だと思うのである。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■