自筆原稿『句篇(二)-待機と蓮-』に記載された総句数は八七〇句で、そのうち三〇二句(約三十五パーセント)が句集『句篇』と『山毛欅林と創造』に収録された。破棄された句は五六八句(六十五パーセント)である。サブタイトル『待機と蓮』は、公刊された句集『句篇』では第Ⅳ章のタイトルに採用されている。
安井氏がどのような段階を経て公刊句集をまとめているのかは正確にはわからないが、自筆原稿が浄書稿であることを考えれば、その前に少なくとも日々制作した俳句草稿が存在したはずである。日々の草稿を浄書稿にまとめる際にはセレクトが行われるのが普通であり、自筆原稿以前にさらに多くの作品が存在した可能性がある。自筆浄書原稿は安井氏総制作句のほんの一部だということになる。
ただ公刊句集制作のために、浄書稿からさらに約三分の二の作品を破棄してしてしまう安井氏の姿は異様である。『句篇(二)』だけでも公刊句集に採られなかった句が五六八句あり、それだけでゆうに一冊の句集を制作できる。破棄された句が内容的に劣った作品だとは必ずしも言えない。安井氏の作品には句会などで気楽に詠み捨てられた句はまったく含まれていない。安井氏の場合、句はすべて〝文学作品〟の意図で作られている。
安井氏がなぜこれほどまでに多作なのかを問うことは、安井文学の根幹に迫る問題を孕んでいるだろう。いわゆる現代詩や前衛俳句は、ほとんどの場合、わたしたちが日常使っている言語(自然言語)をなんらかの形で歪ませる形で成立している。通常とは違う形でテニオハを使い、作品内で現実世界ではあり得ない突飛なイメージを組み合わせるのである。作家は独自の言語世界を作り上げることでその思想や感性を表現しようとしている。
しかしこの自然言語の関節を外すような方法は、作家の多作を困難にするのが普通である。自然言語が持っている法則の強さは絶大であり、それを作家の個の力で変えるのはとても難しい。前衛には新たな表現形式の模索が必須だが、その道は極めて狭く険しいのである。富澤赤黄男や高柳重信の句集は、しばしば一ページに一句のみが印刷されている。それはその一句が研ぎすまされた表現であり、自然言語の否定を通過してかろうじて析出した作品であることを示している。
安井氏が多作であることは、氏が必ずしも自然言語に闘いを挑むタイプの前衛俳人ではないことを示唆している。通常の前衛俳人が自然言語の関節を外そうと試みることは、その表現基盤が現実世界(自然言語のオーダー)に置かれていることを逆接的に示している。しかし安井氏は恐らく現実世界をアプリオリな表現基盤としていない。安井氏の前衛俳句は重信・赤黄男的なそれとは質が違うのである。
空気声洩らし了るや水芭蕉
雉子山から隣家を衰えさせる声
最後の乞食来るかと議論の鶫達
麦は穂に傭い女はただ一人まで
海上去るやかつて机の林檎箱
食卓を負い行き倒る野菊原
ことばとて預り物や返す晩春
はたはたに野の楕円圏与えらる
冬鯉浮く覚醒しおる眠りつつ
北空へ鷲は驚異を求めんや (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
引用は自筆原稿『句篇(二)-待機と蓮-』「第四章」の一部である。「空気声洩らし」から「冬鯉浮く」までの九句は公刊句集に選ばれておらず、十句目の「北空へ」が句集『句篇』第Ⅴ章の「万物の高揚」に収録されている。自筆原稿『句篇』(一)~(四)には「万物の高揚」というサブタイトルはないので、安井氏は自筆原稿『句篇(二)』などを分割する形で、句集『句篇』第Ⅴ章「万物の高揚」を作ったのだと想像される。
最終的に句集『句篇』の各章に分配されることになるが、自筆原稿『句篇(二)』の浄書時点で、安井氏があるテーマを掲げていたのは間違いないだろう。句の表現内容に一定の一貫性があるのはもちろん、自筆原稿『句篇(二)』に収録された句は一定期間内に集中して書かれたと推測できるのである。しかしその生成秩序を探るのは極めて難しい。
現代詩や前衛俳句は難解だと言われる。しかし詩を読み慣れていない人たちが考えるほど難解なわけではない。たいていの現代詩や前衛俳句は意味とイメージのブレーンストーミングから構成されている。意味が通らない作品でも、作品を単語レベルで検証することで作家の意図を理解することができるのである。しかし安井氏の場合、単語レベルでの関連性は作品生成秩序を解き明かすための決定打にはならない。現実世界(自然言語)を基盤として、それを変えようとする指向が全くと言っていいほど見られないからである。
引用の十句をあえてまとまった連作として読み解けば、冒頭の三句では声(意味)にならない声が聞こえている(「空気声洩らし了るや水芭蕉」「雉子山から隣家を衰えさせる声」「最後の乞食来るかと議論の鶫達」)。五、六句目で表現されるのは漂い倒れる机のイメージである(「海上去るやかつて机の林檎箱」「食卓を負い行き倒る野菊」)。七句目の「ことばとて預り物や返す晩春」は言葉にならない声、決して安定しない知の表象である机のイメージを精算する意図があるとも読み解ける。しかし作家の逡巡は止まらない。八、九句目の「はたはたに野の楕円圏与えらる」「冬鯉浮く覚醒しおる眠りつつ」では無限循環が表現される。これらの逡巡と循環を断ちきる形で、十句目の「北空へ鷲は驚異を求めんや」が生み出されているとも読めるのである。
安井氏の作品では、現実にはあり得ないようなイメージの結び付きが次々に現れる。しかしそれらはモノ(イメージ)と言葉が基本的に一対一で対応した現実世界(自然言語)に揺さぶりをかけるために作られた作品ではない。端的に言えば安井氏は「驚異を求め」ている。自然言語を使いながら、俳句作品が自然言語以上の審級(想像界)に飛翔することを目指しているのである。
垂れてあれば諸霊言い寄る青瓢(ふくべ)
農夫釣りし野中の鯰が国宝に
あゝ晩春水は高きへ流れ行く
土龍の死いずれ火種となるべしよ
大春神来て水なき谷に尿(いばり)すや
龍這うて春の泥道恐ろしや
寒風や浅鮒釣って水を知る人
沢蟹に神の気(け)ありと食う老女
蛇を打つ暗き森なか左きき
とわに白雲靴直し屋で居るもよい
箒木をうっかり抜けば雨降るも
春は鼠の乳房の張れる平凡な庭
春は神も入るべからずよ競(きょう)馬道
楡の樹に自慰の聖汁なすらんよ
荒地まず空見仰ぐこと大工達
大地の壺を砕く陶工夏の初め
畳鰯の落しものこそ青大地
金色の舌出す乞食も春の暮
握れるは光の種子か雨野行
麦秋未だ地中で刀(とう)を抱く男
自筆原稿『句篇(二)』から、句集に収録されなかった作品二十句を選んだ。素直な句だが「農夫釣りし野中の鯰が国宝に」、「とわに白雲靴直し屋で居るもよい」、「荒地まず空見仰ぐこと大工達」などは秀句だと思う。また「龍這うて春の泥道恐ろしや」、「蛇を打つ暗き森なか左きき」は公刊句集に採られていても良い句だと思う。
岡野隆
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句篇(二)
-待機と蓮-
安井浩司
第一章
持論淋しく椎葉の闇へ入り行く (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
眼底に至ればうす水今日の虻
草這うて帰る舟あり秋の家
乞食まず親の着物を被(き)ゆく春
十薬摘んで最初の夫(つま)に帰らんや
笹をもて蟲と常世のひろがりよ
航かんとす冬日坐らせ地の舟は
垂れてあれば諸霊言い寄る青瓢(ふくべ)
天くらく鳥兜は葉を楽しめり (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)
鳥類も混合してや泉あり
岩鷲は泣く乱食の弟子達に
百姓来て止(とど)めを刺すや冬の瓜 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
今日海を流れる古木態ならん
古木共目配せしつつ今日の海
今日海上わざと乱れる古木かな
今日海に古木のひとつ受精して
今日海の古木の尻を嗅ぎ合えと
今日海に何も致さぬ古木われ
春鳶伏す地の三角に鈍角ふたつ
農夫釣りし野中の鯰が国宝に
断食を経て出る古(こ)糞春らしき
鷺草やおみなも坐る足の禅
雉子も蛇も眇(まなこ)が同時に瞬くよ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
祖父むかし林檎の森に落馬して
秋草道僧侶はたがいに相見ずも
諸手挙げ我を包みに餅来る
葛原過ぐ眉も形となりて落つ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*1
大いなる務めの鷲博つ春の崖
這う蛇の地よりも高く菜園ぞ
秋来て譲るや使い慣れの男根を
昼しじま銀坑から蚊のひとつ湧き
山水踏み来て小鳥店を開くべし (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)
枯蓮池のなお実相を拡げんと (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
高熱の鯉をたらいに誰が忌ぞ
心さわぐや真冬の女囚コーラスに
雪の鴉は十和田神社を見落とさず (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
万緑やひとりは土霊に腹這うて
揚羽過ぐ真の男根みにくけれ
枯草に焼くや陶土の男根を
相会うや合掌に虻しのばせて
大春よりも近き沼から魚(じょじょ)の声
地に石を並べて文字か雁渡る
天つ池を下から舐めつつ馬斃る (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
礼帽をとれば雲雀の揚がりけり (『句篇』Ⅱ)
這うところみな枯草の微笑むも
夏の峰去年落下の白骨は正し (『句篇』Ⅱ)*2
深山空木(うつぎ)鎮撫されるは風の尾に (『句篇』Ⅱ)
今日の麦藁鯛かと吾妻に寄れる人
遠つ春の枯草に海生まれけり
遠近に桂木そだてて風封ず
あゝ晩春水は高きへ流れ行く
絵馬堂の死蜂も無苦に帰りけり
木賊蹴って阿曽部(あそべ)の父の踊るかな*3
雉子のほか血出づるものは供えずに
薄春の障子に乞食を感じけり (『句篇』Ⅱ)*4
浜菅蔭に大貝を置き糞するも (『句篇』Ⅱ)
岩戸出づ春は眼(まなこ)を差し配る (『句篇』Ⅱ)
浜雀や中老組へと落ちる春 (『句篇』Ⅱ)*5
疥癬(かいせん)の手は入れてみよ枯葦火
土龍の死いずれ火種となるべしよ
二月はや円貝のぼらん高(たか)海に (『句篇』Ⅱ)
涅槃沖波一尾の鯛を整えつ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
稲妻や空館の雉子保存されて (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*6
紐を注げば天を感じて冬の鯉
鷲の眼の高さと広さに我はいず (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
春や血は旗の真中を抜けゆくも (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
十月の占いがたきは渚べり (『句篇』Ⅶ―交響の秋―)
春の暮老いては語るあら樫ぞ
春暮方ただ穴跳びの道遊び
古念珠の廻るや熊の歯牙も玉 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
全ての鶉に頭蓋骨は応えけり
海辺の石や河辺の石を祀る秋
善霊はみな跳ね去るも草苺 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
枯茅に日輪の象(しょう)焚きはじむ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
冬の山神一瞬食の棚荒し
庇に風湧く諸蜂のはや混合し
みな人骨と思うは正し真葛原
己れに石を投げつけ難し秋河原
蓮らなる雁の大国ぬしよ乞(こつ)食よ
やや高き阿吽寺まわり麦の秀(しゅう) (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
老牛ゆえに復元されき西の風
龍宮に達する竿で刺すや汝を (『句篇』Ⅱ)*7
眼ひらきの口ひらきの春葬らな (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
虻飛ぶは鯨の絵馬にほかならず
白紙をかぶり馬頭焼失する春ぞ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
笹原の雲雀に通じる王父なれ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*8
空梅と呼ばれる僧か只の庭 (『句篇』Ⅵ)
章魚の最後の足一本に心せや
昼の湯にひたれば前古の雀来て (『句篇』Ⅵ)
一本足の縄跳びひびくや妙蓮寺
椎の花ふと痩道を抱きあげし
芋風しばし嫁を欲らずに働けや
睡蓮や思いの以下は焚書にて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*9
春鳶や物乞いもはや三度まで
踊りませ湯場も法場もあきの風
草上菩薩のすこし前屈するよろこび
山芹数本流れきて添う饗(あえ)の岸
洞墓や野蜂は集中するんだよ
古恋の面(めん)の吊り顎縞すすき (『句篇』Ⅵ)
赤埴(あかばね)をもて土器となれ稗の花 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*10
石工は曝しの野石にさわらない
涅槃西風ここよりわれら歩危(ほけ)の崖 (『句篇』Ⅵ)
赤蜂先頭になだれゆく阿弥陀堂
春の驢もまた顎落しの峠かな
晩年のかの烏賊雲と承知せや
秋草道後隠しの風吹く日まで (『句篇』Ⅵ)*11
あぐらして天童下りくる熊笹に
農人来て岩絵にもたれる秋の風 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
猪道を踏めば椎葉の泉あり
春の日の乙女に国を与えよう
青野人すえは蛆占(うじうら)していたり
野父(やふ)の手に赤き九谷の乱れけり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
まなうらに塵ひとつなき修羅牡丹 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
能因法師に雪の湯鯉の静かなり
ふるさとも煙突山も逝く春ぞ
くだらくや波の間にまた紅椿
大春神来て水なき谷に尿(いばり)すや
裏海覗く南部の鶯が首出して
臨床から猿は日森へ帰りけり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
春鳶よろこべ筑波神の吐き物に (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
山いもの地中根みな冷えるなよ
吹雪を走る笹気(ささけ)の神を感じたり (『句篇』Ⅱ)*12
皇后神の脚の長さに山薊
日(ひる)の間を幾つに分けても高梁畠 (『句篇』Ⅱ)
春の崖厭がる乙女を投げ上げし
春雉子や誰かが洞に聴くものだ
神の食は胸に擦りこむ春の暮 (『句篇』Ⅱ)
狭霧立つ河かけて言い表すも (『句篇』Ⅵ)*13
揺する松の酸匂い立つ春の山
横窓をあければ連雀雪の寺 (『句篇』Ⅱ)
御料昆布ひそかに掴みを行うも (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
遙かの山に猿は垂れて阿礼乙女
春は円山笠縫人(びと)を行かしめる (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
恋の人よいずこから来て神織(かみはとり)
龍這うて春の泥道恐ろしや
枯原の日輪を煮る水鍋に
御蓋山の横桿(バー)でうごく日月や (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
寒風や浅鮒釣って水を知る人
朝の日の射す国と照る国並ぶ
草腐る夏の神社よ生きること (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
女陰より水は溢れぬ麦の秋
山雉子ひびく片脚柱の鳥居など
解けた下着の落ちて巡礼蒜の花
おゝ天彦ふらり屋根屋が現われき
秋野の父とて分娩の所作するもよい
寒(かん)の神社に水の女を引き出すも
春日輪も岩棚にねて尻なれや
日枝神社猿が日の出を迎えける (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
また会う旅人臨海小学校ほとり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
老いたる蛇は林務官の胸に垂れ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
白雲やねそべるもよい断酒会
白雲や舌だし踊る断酒ども
蛇鳴いて草筆は墨欲しけり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
わが川の添い草深し夏雲雀 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
ひるのつき時(とき)から常(とこ)へ妻とねて (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*14
蒲の穂を挿す花事(ごと)のくらがりに (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
春の空静止しておる鳶競べ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
大山桃過ぐ力人(ちからびと)にすぎぬ汝 (『句篇』Ⅱ)*15
忌柱きょう逆さまに冬の蜂
麦秋の鬼舞い人や坐るべし
春日据え底の知れたる地の穴ぞ
春騒ぐ某女は立木に変えられし
笹落葉御阿礼少女の来つつあり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*16
青あらし大地のくぼの阿礼処(どころ) (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
阿礼事(ごと)の夏草奉仕するわたし (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
雪椿沖から一人が泳ぎ来る
沢蟹に神の気(け)ありと食う老女
笹風や熊女(め)ならもと熊男(お)かも
神山(こうやま)登りゆくは百姓の娘たち
丸物の餅抱き余すや春の空
初翁強風突かんと空也餅 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
春の海上乞食もあゆめり渡り神
小桜のさく神島(こうじま)の在るがまま (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
虻はただ旅すとねりこ古樹の中
日から月へ泳ぐ天子の逆しまよ
春風や骨寄せあつめ一人立つ
大日草堂女の形に耐える我
八月嵐カメオのひびもお大事に (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
老母訪えば盥に在りき信天翁 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
今日栃葉どれも謀反の裏返り
鷺草越ゆに短かの脚は許されず
罌粟種がこぼれて郵便飛行より
蛇を打つ暗き森なか左きき
密雲近し茘枝を嚥んで終る饗(あえ)
春雲広がる物種押しだす男根に
黒蟻ばかり湧きたる戦さある夏ぞ
山上や髪むらさきの四月鷹
性交せずみな山窟に笑い居る
鷲痩せて至高の霊が銀とんぼ
黄色林檎を必ず頭上に人類は
長く処女でいてはならずよ草牡丹
梅花の枝に最もちかくて不満の人 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*17
白鳳平らの胸の乳より与え初む (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
全裸で泳ぐべきにはあらず九月海
曇天や蓮の吊り池あるとせり
棗とすぐり女が庭から盗むもの
白雲やつぎみは真鍮砲の下
驢馬は長命乞うべからずよ桃の花
一人また赤麻(あかそ)にかがむ天気酔い (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
天気酔い恐れて鬼の面あてき (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*18
一度亡父をおもえ射精直前に
柴門や賢き乙女はひらかない (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*19
鉛筆の芯を磨がんとやすりぐさ
すすき噛んで独立せんよ青乞食
囀りや古泉に麺も湧きあがる
春参道の大饅頭(まんとう)は盗み難しよ
来(らい)は麦にちがいもあらず鶉ども (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
太陽眼(がん)より飛び出す鴉を信ずべし
*1 定稿では「葛原」→「月原」に改稿
*2 定稿では「峰」→「嶺」に改稿
*3 原稿には「東日流外三群説 つがる アソベ族」という付箋による注あり
*4 定稿では「薄」→「薄(うす)」、「感じけり」→「感じたり」に改稿
*5 定稿では「浜雀」→「浜鳶」に改稿
*6 定稿では「空館の」→「空館に」に改稿
*7 定稿では「刺すや」→「呼ぶや」に改稿。「友に」の詞書あり
*8 定稿では「王父」→「少女」に改稿
*9 定稿では「焚書」→「水書」に改稿
*10 定稿では「をもて」→「もて」、「土器となれ」→「礼器となれや」に改稿
*11 定稿では「後隠し」→「後隠(あとかく)し」に改稿
*12 定稿では「吹雪を走る」→「吹雪くまま」に改稿
*13 定稿では「河」→「川」に改稿
*14 定稿では「時(とき)」→「時」に改稿
*15 定稿では「過ぐ」→「抱く」に改稿
*16 定稿では「少女の」→「少女は」に改稿
*17 定稿では「ちかくて」→「近くて」に改稿
*18 定稿では「鬼」→「鬼(しこ)」に改稿
*19 定稿では「ひらかない」→「ひらかずに」に改稿
第二章
地雲ちぎりまず雲呑(ワンタン)を旅人に (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
香壇を遙かに逃れ紫蘭摘み
百日草や断酒の乳を祝福し
漆葉照る田園の神顎くらべ
とときぐさ幼な神らの尿くらべ
雁塔や黒マントより風生じけり
春は山上白髪の人退位せや
拾い骨とて接げば痩犬草あらし (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
家を広く治める春鷲高きより
藤花の垂る浦島屋に宿らんよ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*1
暴牛来る薬味をパッと投げ給え
友よただ啼くべし「郭公」という劇で (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
踊りつつ毛髪盗(と)り合う春の月
闇にたたよう業平竹の鉢のまま
幼年いま恐れずに行け木苺の棘 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*2
鰆遊ぶ海底本地というものじゃ
梣(とねりこ)彫りの男根ばかりや春の暮
童女過ぐ泡吐く草もありにけり
大空へ吐く罌粟粒の流れけり
雲から来て寺院の中に蜂強き
鶸の囮に秋天もまた怒りたり
天気妖突きぬけ鷚(ひばり)の広らなる (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
椎木立まず仲裁人が殺されき
聖窟訪う菓子落雁をふところに
雨燕時間系みな異なりぬ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
雪中椿に最も鬼が接近して
真黒犬破門されしよ花の下
水辺の娘土器を洗い過ぎるなよ
あゝいとど踏まれる瘋癲老人に
過ぎる乞食が覗かれており格子窓
雲雀上がり泪の落ちる行儀芝(ぎょうぎしば) (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
春辻に叫ぶ一人や布施布施と (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
空蟬の尿遙かなる驟雨過ぐ
塔の辺にみな日雇の紫草(むらさき)摘み
母国遠く茸につまづく助教授は
稲わらの燃え火みだりに散らさずに
夜の空の鯨(いさな)を追わんと出羽神社 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
日はいちど籾殻に没(い)り泣くことす
劇場屋根には告発の鳥郭公よ
秋陵墓身を変えて鷺遙かなる
芒に落つ青騎士の首にっこりと
晩春平庭我に寄りくる椅子があり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
枯野忌の一人は残しておくがよい
曇天を笑わすかまどの突き掃除 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
人抱くや柴おだまき目(まな)うらに
一輪草を国花とすれば地雲湧き (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
とわに白雲靴直し屋で居るもよい
コーヒ飲みを刺すよ歓喜の黒蜂は
烏山椒いずれ役者が抱くらんに
五弁花のおだまき草や蹴り損ね
帰省子が少しもぐれば下の海 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
麦秋の遙かなりけり隠者蟹
女ばかりの嘘つく島も花合歓(こうか) (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
雪野を過ぐ棹物として羊羹も
麦は穂に環状列石まわす祖父
サフランを兜に掬え故郷は近し (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
小手毬に白の釣針忍ばせき
河骨群ふと鰐の眼が東方へ
柴濃ゆき十字路に杖刺せば血ぞ
元老院や野うさぎ叩きつけられき
老鷲とて宴の冠かぶらんや
藁の王燃え転がれり二月馬鹿
炎つきの冠で会おう鷲氏の忌
青野くぼに卑金属こそ高めんや (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
大日のまぶたを襲ういわつばめ
青野あらし陶工酔わすは粘土杯 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*3
野石一個牛の渡し合いいずこまで
海渕にとどまる椿の流れ来て (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
春鷲に御(み)肩の雪も食われ消ゆ
長剣より短剣迅しや谷渡草(たにわたり)
冬行く川のような喉持ちさようなら
らっぱすいせん挿(かざ)し乞食の酔い行かな
花野はやたちつぼすみれの不明かな (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
秋山河一(いち)人踊りの破れしよ
西の空に龍重体となる美しき (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
夏草や腹這いに見る算の絵馬 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
たんぽぽのサラダをどうぞ浜翁(おきな)
とうわた草の乳(ち)をコーヒに混ぜる汝 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*4
白雲山や喋るは鹿の女房ども (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
花野に踊るズボンの細き狡猾よ
膝の辺に宇宙塵の落下して (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
夏の洞窟出ずれば酩酊していたり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*5
老鳥近づくあけびの周りの空気感
居直る程ちょうせんあざみに囲まれき
古池や蟲の学にも厭きて坐す
大家族みな青鳩や西の風
昼の月断酒会みな坐りませ
十牛のいずれのひとつ仮睡窓 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
菩薩ふう頭部の荒れよ青あらし
夏野いたどり日本絵巻の乞食(こつじき)よ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
親族ばかりが働く漆園の秋 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
飯固く握るこぶし食らう野仏
秋風や染師の両手に鯉は在れ
岩(いし)山の巨匠も崩れゆくや秋
白雲や投げたる襤衣が広大に
強歩しつつも古塔の鐘に耐えられず
霊石と思えば思わる夏の草
鳶の輪下霊石を積む意味ひとつ (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)*6
春の太鼓打たるままの踏石よ
昼すぎを下りはじめの伽藍蝶
枯野乞食に詰綿入れの結構よ
はまぎく差す旧船登録簿なりき
深山鴉の貞淑な巣を洗う秋雨 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
梨花に消える人々老母のみ残り
古銃一丁めざめつつあり森祭り
麦あらし嘆きの御堂に坐る汝 (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)
足を組み女陰を守らん青大地
蟬の夢追わんと御岳の老人は (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
白桃や心臓界かの滴れり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*7
紫蝶の来て心臓界に没すかな
眼(まなこ)経て心臓界に虻ひとつ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*8
いわたばこ心臓界をよぎる誰人 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*9
故石井峰夫
遠き二階の黒檀机に伏しおるか (『句篇』Ⅵ)
弱蜂や頭頭物物(ずずもつもつ)を渡る秋風 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*10
蓮掘りの空見るものが蟲を見て (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
夾竹桃に隠されいたる昼の海
春鷲翔つ口中濁れる言(こと)ふくみ
日向白蓮旧霊達を駆逐して (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*11
午前四時の豪雨に老農驚かず
浄地をめざす農業使節のわらべ達 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
秋は石山あゝ球形の乙女なる
晩年や雲服を被(き)て鷹泛くも (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*12
地の鳩の番もさみしき雲に鷹 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
運命はいとこの顔して来たる秋 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
鷹舞う岬やや雪よりも先に来て
晩年やひろげた手にくる秋海棠 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
日を背にし玄妙の鶏抱くべかり (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
石山下る受難の石をふところに
野の蜂は瀕死の人に近寄らず (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
水中の落石など鮒怖れない
箒木をうっかり抜けば雨降るも
手に受けんさらさら砂菓子乞(こつ)の人
叡智は袋に蓄えられき岩桔梗
仲春に葬むる花を讃え了ゆ
箱根神社に白籤ひきの戯れぞ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
雁下ろすフルートの魔の夕なれ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
からすうり花なぜに女の言い掛り
四月死す汝うつぶせ我あおむけに (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
大地の原簿に記されてあれ菫摘み
はたはたや原簿は数を漏らさずに (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
地をひろげ待つや鶴の種落し
銭多き醜女ぞ調べられる夏
説得神と会うも寂しき虎杖道
西土からここ菜園の途切れずに (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*13
谷川下る鮎とて散文(ロゴイ)となりゆくも (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
童女が来て敢然と坐す月の山
翁の上に数体重なる蟇の風 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
夏原の牛かりそめの会釈なれ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
我ら夕餉に降りそそぐ雪猪は近し
数珠つなぎ野に送らるゝ雌鶏さん (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*14
冬の人すみれに触れ行く片野愛 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*15
葡萄籠に憩える日輪そのままに
仏衣被(き)て足の短きいわつばめ
賭博して秋の大地を動かせり
日輪が雨もたらすや羊雲(ひつじぐも)
鶴の衣(きぬ)脱がせたき酒振り分けて
笹の花どうした五十算なるに (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*16
耕しおれば鵞鳥の青雛連ね来し
甜菜畠や陽(よう)の殺気を感じけり
蕎麦の花かつて疎密に播きしこと
瓜縄とぶや天地の気分和合して
途中年えのころぐさに過ぎざるよ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
天や地にいたずらをす種商人は
殺された春から歩み夏の人
白雲やとわに賽銭溢れない (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
峠下の歌舞は農時を奪わずに
神の産(さん)や薄粥に芥浮くもよい
雲へあこがる緑の下着に溢れる女(め)
春日輪の確かに息子いもむしは
夏果ての野藤に組立工が来て
藜藜(あかざ)折りたる夏痩の人判決へ
水の裏を見るへら鮒も晩年へ
冬蟲が海泳ぐ顕微鏡下の娯しみ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
能因法師は枯原の水うがいせり
鶫ら語るは名無き草野酒気のこと
砂茸に思いを凝らすは風の栗鼠
十月広沼重ね上げたる水静か (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*17
仏師を追う秋鹿が身の左の重み
古(ふる)泉二三の道経て春海へ
鯉を現わし聖窟の前過ぎる川
蜂巣に遠く海も労働しつつあり
向日葵やされど土食の蜂もいて
笹むらの熊耳(ゆうじ)とどろく秋の風 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
牛頭を棄てて春泉喫すのみ
主来るか岩から垂るゝ蜂蜜に
東方めざさん海底行の牛の群れ
此の道や払子無くともははきぐさ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
古(ふる)の女を抱くや雲は野石抱き
全山虎杖老父は道忘れたり
極くうすく虎は冬月くわえ来し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
巣の中の二部屋もよいみそさざい (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
夏原逃げゆくフライパンの尾も寂し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
坐りませ大椿の下老いの母
菫を渡るむらさきの褌(こん)有りや無し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
乞食は褌(こん)に忍ばせ昼の風 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*18
麦愁の低眼の蟇跳ぶはいま (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*19
男を咬む愉しみ猫児(びょうじ)躍る草道
薬師寺道や女は猫児(びょうじ)のこと語る
冬鯉愉し飲食せずに尿せずに
半夏もて燕は変(な)るや飛ぶ魚に
雲に雁手元に鷹は還りけり (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
幸いなるかな野蛇の眇(まなこ)も縫わる秋 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
からたち垣を濡らす五月の雪姫ぞ
湧く白雲と舌のまわらぬ木瓜の実と
めばるの口より心臓を焼く煙出づ
枯野人踵突かれて死ぬ夢や
帽の中の思想なりけり青酸塊(すぐり) (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*20
昼菫牛蹴って泉の生じけり
静かに坐すもよい持ち分の韮畠
古脚付きのグラスの疲れ青あらし
笹の花足から巨人を知りにけり (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
夏野柱像のちに男根付けられき
空気を震わす鷲鷺雀の三層に
貸驢馬がすれ違いける今日の秋
秋の庭抱き合うどうしの石遊び
妻を鋳造しつつあらんよ枯野遠(えん) (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*21
きのうから空気の下る草の秋 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
かの驢馬は私道の桃を盗まずに
初出の馬がうさぎの穴を怖れるも
雨牛つまづくマグネシュウムの一瞬に (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
春は鼠の乳房の張れる平凡な庭
荻のそよぎの方へ向きたる貴(き)男根
春は神も入るべからずよ競(きょう)馬道
晩景もうごくよ頭(ず)を振る尉鶲 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
*1 定稿では「藤花」→「藤房」に改稿
*2 定稿では「いま」→「いまも」、「行け」→「行く」に改稿
*3 定稿では「青野あらし」→「青野はや」、「酔わすは」→「酔えるは」に改稿
*4 定稿では「汝」→「友」に改稿
*5 定稿では「洞窟」→「山窟」、「出ず」→「出づ」
*6 定稿では「鳶の輪下」→「鳶の輪下に」に改稿
*7 定稿では「胸を悼む三句」の詞書きから始まる初句
*8 定稿では「眼(まなこ)」→「耳」に改稿。「胸を悼む三句」の詞書きから始まる中句
*9 定稿では「誰人」→「誰」に改稿。「胸を悼む三句」の詞書きから始まる終句
*10 定稿では「秋風」→「あき風」に改稿
*11 定稿では「日向」→「雨に」に改稿
*12 定稿では「被(き)」→「被」に改稿
*13 定稿では「菜園」→「菜畠」に改稿
*14 定稿では「雌鶏さん」→「小雄鶏」に改稿
*15 定稿では「冬の人」→「午後の人」に改稿
*16 原稿には「算 語源に年齢の意あり」という付箋による注あり。
*17 定稿では「広沼」→「陰沼」に改稿
*18 定稿では「乞食」→「乞食(こつじき)」、「褌(こん)」→「褌」に改稿
*19 定稿では「麦愁」→「麦秋」に改稿
*20 定稿では「青酸塊(すぐり)」→「酸塊(すぐり)玉」に改稿
*21 定稿では「妻を」→「女を」に改稿
第三章
日供堂とわに主鳥の屋根がらす
荒地菊や輪よりも貴し車軸棒 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
笹蔦荻の三段山と思わんや (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
嵐山落石七十年後の地にとどき (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*1
風の少し上に出ており銀やんま
十一月を耐えて家園のからすうり
高菜はや如露から水のほとばしる
蒲の花あたりに色を塗る夢や (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
暮春みちの金色の糞ひろい物
錦木焚いて煙を拝みいたるなり
春蔦落つ生命の書のかけじくに (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
びょうぶ隅の雅号にすぎぬ黒揚羽 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
あぶら塗って仰向泳ぎの秋の海
椿の晩(おそ)花ひとつが海を上る坂 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
妙に明るき第一年冬鼠ども (『句篇』Ⅱ)
両の翼に日月隠し行く鶴や (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
二月滝より父が初乳を頂かん (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
晩年や炎えつつ落ちる遠雲雀
冬の叢荻燃ゆ火娘のかたちして (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
卯月はや我に寄りくる鷲鼻女 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*2
柘榴林や盗人はいま雲に乗り (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
逝く人の枕につなぐ鶴遠し (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
雲底に小さな石婦を立てる春 (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)*3
野の産霊(むすび)神がフェルトの敷物に
人の死の夏を郭公威張れるよ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
晩春の料理の炎える諸霊なれ (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
遠近に水行く春の諸霊ども
上方足を向けて地中の春奴(やっこ)
遠近に肘つく朽木や雁の塔
草生原土器の縁(へり)に立つともしび (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
古池やひごろ匂うは善霊ぞ
楡の樹に自慰の聖汁なすらんよ
幼糞とけて無くなる水辺夕遊び (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*4
岩鷲はみごもる諸霊の目差しに
フライパン上熊の広掌をあなどらず (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
春の山肩鷲に触れ行く雁もいて
白鳥(しろどり)殺しの罪逃げてゆく白鳥は
右手に華の入墨のまま盗る蓮を
蟲野に少し浮くは聖なる踵なれ
白巫女も黒巫女も泣け秋の風 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
登らんに九枝の樫樹を選ぶべし (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
梅雨ちかき出窓に未婚の壺ひとつ
白昼に近し全裸のサフラン摘み (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
麦秋の広刈りの夫に鯨魚(いさな)近しや
正しきは水平の旅夏揚羽 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
乳酒もて眼を洗い泣く春の鶴
みな女服脱いで奉仕のはとやばら
夏の塔奉仕のつるばら這い上がる
百花会(え)の鳥頭よければ広尾よし
マント着て堕つとも思えず崖の人
地中玉葱すべてを寄せき冬の王 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
晩年や乾し物盗まる春の空
白旗挿して遠つ牛のなびくのみ
オリーブ畠に百の梯子が傾斜して
蝶を棄て揚がる雲雀の裏切りよ
もの影が睦みたまえる親鸞忌 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
暮春わが女ばかりが追悼祭 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
豆鉈を飲んだる野牛(のうし)の激痛か
火事の空地蔵が飛んで行くなんて
人と寝る愚かな雲雀でありにけん
夏の宴いずれ現わる蝦夷鷲も
野辺の盛(も)り十字切開赤とんぼ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*5
汝が尿もまた老水か栗の花 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*6
夏過ぐ風や人の足を嘉(よみ)せずに (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*7
紅の摘み花天秤棒の任意なれ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
愚者の真夏脚を交差させしまま (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*8
春の蝶はや料理人を舐めに来し
妻の手にくちづく老友青あらし
青雫魂見る手術の始まれり (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*9
鴉啄いて肩骨露(あらわ)に秋の暮
女帰らず男等戻る秋故郷 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
汝が肩の馬に食われて荻の暮
荒草に生まれし仔鹿をリンネルに
我を待つは最後の秋の草虱
白櫛を燃(も)せば草庭雨降りだす
梅亭に心房露わせ坐す亡父(ちち)
遠き茨(ばら)垣波打つ龍と思われて
冬野神社うす目のままに眠る人
白雲も帰らなんいざ芋の小屋
橄欖の辺に縛さずとも死ぬ者よ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*10
蝶付くと落ちる釣鐘有難や
偶然の斎藤茂吉が耕しおり (『句篇』Ⅵ)
匂いばな遙かにたしか秋色女 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)*11
小珠となって飛ぶ石山の友の尿
中央蓮を見る犬の頭(ず)に手置いて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
荒地百合の喉から声を引き出すよ
花の蔭唾吐く弟子の口なかに
問う人に蜂とこたえん野の牡丹
山上や神の矢となるいわつばめ
瘋癲老人ふところの冬蠅ぬくしや
冬藪ふかき絶色の花巡礼よ
荒地まず空見仰ぐこと大工達
雨気の風は牛の前肢支配して
晩年や浮かぶ鯨の糞遙か
通草(あけび)の高さに巡礼消えて舌残り
浄土隅なぜに植えおるかぶとばな (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
柱頭みな落ちて国原国鼠 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
姉妹はや税の罌粟束納め来し
茸の森の俄の踊りを解毒せや
赤腹もぐると柳宿主枯れにけり (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
傭われて石菖ほとり泣きおとこ
大仏体を廻って帰るや春の暮
春満月は現わる他人の垣根より
また来る神と契約のみな青煙草
塔窓に吊り酒揺れる月のあらし
秋風や天地を造れる鋳型さん (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
尿すれば他人の垣より揚ひばり
はらわたの投げつけもまた礼の春 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
銅の刃はいず方へ去る青砥より (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
結集の跡かたも無きよもぎぐさ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
心経会色吐くことを五色鶸 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
塩商人死す着物は飛んで帰り来し
萱の山並み驢馬の年金遙かなれ
二人のミイラのいずれか崩る夏の風
夜の眼がひそむや百の絲杉に
頬突きの棒戦がよい春土萌え
渡り鴉も名前を拾うということか
春昼おのが姉と闘う鴉いて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*12
月姉(げっし)はや裸となれり月見草 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
ネクタルを噛まずに含み静かな家 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*13
あしたふと網の発生沖つ島
春月死す網と剣のあらそえば
猪を煮る鍋の破裂や冬広土
人類に鶸落としゆく水糞よ
蜂鳥は憩うや巨石の軸孔に (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
野火の奥確かな歩みの父行けり
一光年の岩の裂けより冬鼠 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
郁子の実を額(ぬか)にあてみな忘却へ
逝く父に光背かすか雨野かな
晩秋や人生まれんと苔裂けて
似我蜂が刺すべく宙に腕を入れ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*14
北から国はまず興るまいといふ友よ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*15
乞食みな南より来る辛夷花 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*16
頭の上にひとつ東風の水溜り (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
北向きにお産うながす二月空
愚者の鼻ひねると春の水ゆたか (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
野蕗みな女陰の位置はひくくして (『句篇』Ⅵ)
元金のみを殖やすがよいと啼く郭公
しじみ蝶陶の聖書も割れにけり
葉蔭一瞬オークス競馬と思われる
陸は近しと肩の鸚鵡黙すのみ
拡がりと縮まり数人隊の春
藪入やみながふすまに隠れおる
男根も模写にすぎない百合の中
青葉闇巫女は他神とあらそえり
夏風や幼女は土より貝を得ん (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
遠国ありと波に遊べる白兎 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
蚊がひとつ出る盗掘の春の穴 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
宇宙服はずしてあげよう草遊び (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
土塀隙より入りきて殖ゆ弁慶草
右を下に寝て芹の水流れ行く
窓辺の鸚鵡航海のちは無口にて
空中からふと授かるや蝸牛
色蛇に石嚥ませてはみがく夢 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
谷石らよろこびの果て踏み石に
国破れちがやに馬を曳くからす (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
或る石の男根修復静かな秋
竹の管通して吹けば鮒濁り
蛇の頭をあらわす拇指少し出し (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
葛生原何かと寄れば肖像画
深痕の松脂採りに誰も来ず (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
虚(そら)へ蹴上ぐまくわうりの最後の孤
後三年窓をわずかに秋の家 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
秋立つの黒鯛料理気負うなよ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
蝦蔓(えびづる)の繊維かなしと噛むなんて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
曼珠沙華誰も家中へ飾らずに (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
葉守神触るまで樫みなうす葉
眠りおれば屋根の上とぶ雪の猪
平凡な亭過ぎ没す猪げむり (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
波に現わる半面鯛や涅槃西風
岩の門(と)は冬至にもっとも開かれし
雪家に集うみな安らぎの豆を持ち
馬頭とて豆入り粥をこぼさずに
天や地や豆の煮えこそ安堵なる (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
晩年晩春陶器の力も高まれり
大地の壺を砕く陶工夏の初め
手にもてば陶新しき壺の危うさ
考えて勃起する人草の秋
氷る沢あり包皮のままに旅の人 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*17
岸辺に浮く橘の実を寄せにけり
無量寿仏盗みがたくて藪がらし
秋揚羽大乗り物の行く高さ
郭公は励ます地上の平靴を
尼僧出て煙草を起すや風の跡 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
春神殿の高き処で抱かれるも
神殿が怒るとクッキーすべて割れ
鶉料理に近づく女去るおとこ
髑髏から舌落ちきれず夕雲雀 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
やや春の草にかくれて諸鶉
倒れ木のほとり鶉の長生よ
弟子現れて鶉を破る秋の暮れ
鶉の降るやアジア抒情詩人達 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*18
せきれいの糞落ちる日が冬払い
船上で鳩交む日を波とせり
冬藪に日輪廻せる大巫業 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
北上の白雲のひだに蜂ひそみ
天気乙女か明るきものを腹中に (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
大むらさきが後ろに廻る仏体や
百日紅御弟子は剃刀持たされて (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
精霊通る細枝(え)払いの夏静か
岩の裂けより人差指の曙よ
冬の荷馬を笑わす影の童ども (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
萱の秋戻るにうしろの道消えて
冬雀百尾を上げて茶なダンス
落石は畠をめざすや山上の鷹
一(ひと)春を飛ぶ巻物の貴い広がり
夏野汝が骨に肉をさがす我
手を振って送るのじこの綱渡り (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*19
木仏を見あぐはおそらく夏嫌い
雲の峰劇のなかばで撃たれし人
緑蔭そこ命とりの円椅子ふたつ
なすりからこすりの両手菩提木
畳鰯の落しものこそ青大地
鶴首に石の環しずもる春の暮
巣下しの鷲の一瞬いわかがみ
白雲や柴折って文字をつくる人
爪蓮華死人の喉より抜くことば
夏草や二(ふた)柱の家あるもよい
左肩を露わに泣かん逝く春ぞ
深山菫這いゆき鼻出血の死へ
麦穂波頸章の亡父(ちち)耐えるのみ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
ヴァイオリン一器泳げり虚(そら)裂けに
春は手をおみなに費すことなかれ
胸ふかく挿(かざ)すサフラン救心せよ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*20
鎌入れのやや早過ぎぞ麦の友
夏至となるや仏の山に石の花
*1 定稿では「嵐山」→「嵐山(らんざん)」に改稿
*2 定稿では「卯月」→「睦月」に改稿
*3 定稿では「雲底」→「古(ふる)草」に改稿
*4 定稿では「水辺夕遊び」→「夕べ水遊び」に改稿
*5 定稿では「野辺の盛(も)り」→「野の盛(も)りの」に改稿
*6 定稿では「栗の花」→「笹の花」に改稿
*7 定稿では「夏過ぐ風や」→「萱過ぐ風は」に改稿
*8 定稿では「真夏脚」→「夏脚」に改稿
*9 定稿では「魂」→「魂(たま)」に改稿
*10 定稿では「橄欖の」→「山桃の」に改稿
*11 定稿では「匂いばな」→「位ばな」に改稿。* 「江戸時代 女流俳人・秋色女」という付箋による注あり
*12 定稿では「春昼」→「春月」に改稿
*13 定稿では「ネクタルを」→「ネクタルは」に改稿
*14 定稿では「入れ」→「入れつ」に改稿
*15 定稿では「いふ」→「いう」に改稿
*16 定稿では「辛夷花」→「木瓜の花」に改稿
*17 定稿では「旅の人」→「渡る人」に改稿
*18 定稿では「鶉」→「鶫」に改稿
*19 定稿では「のじこ」→「野鵐(のじこ)」に改稿
*20 定稿では「挿(かざ)すサフラン」→「挿すサフランの」に改稿
第四章
あらゆる水へ冬の力が加わるも
沖から来て窓辺の砂となる鱏は
一対の抱き合うてこそ夏の花 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
空気から岩蓮華まず生まれけり (『句篇』Ⅰ-乳頭山より-)
石垣をあゆめば暑熱の舌の花 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
いずれ生まる遠い牛乳(ミルク)の中の月 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
夏の文字ただ難形のSとして (『句篇』Ⅲ-夏への旅ー)*1
菩提木少し離れていちじくの栄え
レントゲン線翁を通らず夏の花 (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
秋海棠や時の翁が坐せるのみ (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
冬枝吊りに廻る翁よ紙遊び (『句篇』Ⅲ-夏への旅-)
赤とんぼ飛ぶ安らぎの山禿げに
岩(いし)の上に家建て怖れる西の風
芹の野に伏す顔(かんばせ)も流れゆく
雪枝に鷹伏す夜の福音ぞ
赤蜂に刺さるも福音書記の人
マタイ伝より
春薄雲に山上の町隠るべし (『句篇』Ⅵ)
明日はみな炉に投げられる草の王 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
耳に入りたる虻を塞ぐは狂人よ
野紺菊の面(めん)蹴り小靴はかされて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
西下行二句
いずれ山々存在せずに笹静か (『句篇』Ⅵ)
大和諸山がやがて土となるや妻 (『句篇』Ⅵ)
つぐみらに巨顔の砕けが与えらる (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
しゆろの葉の扇の燃えておとこ亡し
稗草刈って幕屋の底に寝る二人
野鼠跳ぶや律を知るも知らざるも
寒鯉吸い合う夢の中なる人違い (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
空気声洩らし了るや水芭蕉
雉子山から隣家を衰えさせる声
最後の乞食来るかと議論の鶫達
麦は穂に傭い女はただ一人まで
海上去るやかつて机の林檎箱
食卓を負い行き倒る野菊原
ことばとて預り物や返す晩春
はたはたに野の楕円圏与えらる
冬鯉浮く覚醒しおる眠りつつ
北空へ鷲は驚異を求めんや (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
野池の鯉は高齢にして婚約し
夜の箱船けっして昼を通らずに
野菫蹴るその紐靴に恋せんや
花野の二人大追放の杖をつき
秋風や野じこの貌も車輪の中 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
いずこへも流れず麦秋父の溜池 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
節分草の地に影も無き出会い人
朝鮮乙女の痛快の靴が冬波に
松葉青汁双手清浄食の子よ
悲母像が手をつきませる苔の花
つりがね茸(たけ)は月光棒で打たれたり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
早春の梭(ひ)を置けばすぐ泳ぐ海 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
早春の横波すすむ梭のうごき (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*2
沖に立つや梭は一本の墓じるし (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
泳ぐ梭を掴まん海に片手あり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
いずこから来て百の梭の春の海 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春の沖老いたる梭から没しけり
行く野先ず第一圏に蛇流れる (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
幼年や着せられいたる陶の服
草虱安藤和風を道連れに (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
青葉闇坐るは己が灰の上
春御空横に裂けても女陰なれ
千人並びの大縄跳びや一度成る
春分点や黒ケーキこそもたらされ
黒鳩や啼くと湖南に雪ふれり
葉鶏頭同人ひとりは俳優(わざおぎ)か
日遍(あまね)く稗を播きしがあざみ生ゆ
柳浪の端に睡蓮生まれけり (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
流れずに浮かぶ食卓善知鳥達 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
開学やすずめの尿を眼に受けし (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春の水遠く背をもつものが海 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
綿蟲吐く泥体の穴わずか見え
菫かぐ鬼面の倭小犬が来て
寒牡丹晴れ風強き亡父(ちち)なりき (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
秋田城址
古代雉子をきく青黒の眉の人 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
夏の岩染滲み出る父乳と思わんや
なんで夏野に酒神杖をもつ我は
同じ春歩み去るのだ四つ方に (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
きのうから弟子美しく冬日惨
柵守となる浜麦を噛みて棄つ
墓参急ぐ老母を常春藤(きづた)は妨げて
火のほとり水は流れて秋の家 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
遠くあり十三人の曼荼羅華 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
人々はその妻を出す秋祭り
暮春道のわりあい杖は導かず
妙高下りの日本当帰を踏むものよ (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
「死ぬる日は生まる日にこそ愈(まさ)る」秋 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
昼菫そこまで来ている渡海人
遠足の尿をとぶ日本当帰ぐさ
石階の三段までや秋の蛇 (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)
地震雲遙か赤鱏飛んでおり
冬の鱏父とも知らず殺しける
梨花ふらし石の枕に眠る旧人
虻や蚋漉して野の気を持ち帰る (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
風にも落ちず椿の堅実愚かなる
棉明るき道端(はし)をゆく蛇も友
広目の少年もまた蛇のすえ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
夏の戦さわれら石ほか使わずに
鷺舞の最も遠くを見るものよ
天地(あめつち)の塵混ざると蝶生まれけり
一月渚すれちがいたる阿眉(あみ)の人
秋日めざす眉の広原なる乞食
白鷺ひとつ浅き野川を非難され
寒の内餅投げ占の裏ばかり
日にいちどつまづく驢馬も山上へ
鳥山の明るくなれり餓鬼の飯
郭公働く木仏も汗のしたたれり
葡萄棚天に快死の猫ひとつ
少年いま湯の玉投げき冬の海
春鷲近しと岩から剣を抜ききれず (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
念仏ダンス現るると思え荻の空
夏経(げきょう)この青紙の海燃やしける (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
藁ふかく火神は生誕していたり
大鏡車に立て来る草の秋
野の宴雨こぼさずに給仕人
寒鯉より口中の刀抜けば死す (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*3
冬鶏を神処に抛りて逃げ去るも
忘れ野突く棘ある杖も優しかり
夏道外れて行く新しき西行ぞ
夏瀬いま洗濯の腸(わた)流れ過ぎ
麻糸のみな上昇へあかね空
青大地瀕死の父が逝きたくて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
痩鮒の己れ釣らるる気もす秋 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
冬土間のすみ恥しの消化器よ
針金でさぐれば土偶か夏大地
虎黄金の口あけにけり秋の滝 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
大神神社最初に口をひらく妻 (『句篇』Ⅵ)*4
露出せる大地の貝殻蹴るや妻
遠くめぼうき旧体の猫ねそべるも
山あざみ行く仏身も色なして
何の冬真綿にくるまれ椿の実 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
春浅き鮒の隠語も川べりに
軽石で頸する乞食よ春の海
欅葉は散るまで天に所属して
辻観音のざらめ雪かと舐める馬
巻蛇よとねりこの木の形成よ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
柘榴林地震(なえ)が犬をふるわせて
新墓一基囀りのなか裁かるゝ
老母泣くや夕とぶ鳥の総計に (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
月光山へ向くや地平の茸ども
暮(くれ)海は不意に近づく木ささげに (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
栃の枝に告知の鷲は来たりけり
笹鳥どもの白(はく)眼をもて迎えらる
さすらい人はサフラン花を炎症に
急ぐ勿れ聖務の肩に鶲(ひたき)乗せ
金色の舌出す乞食も春の暮
可(よし)とすや神はむしとりすみれ見て (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
赤腹およぐ楓の樹頭に池はあり
かの細枝を娶り損ねて雪椿
日々紅(にちにちこう)や魂魄帰りくるなかれ
折りたたみがたき新歌藤の下
枯草の甘根とおもい噛みて棄つ
白雲からひつじ下さる婚の庭 (『句篇』Ⅵ)
朴の花いまだに人の過ぎざるも
菊束をいちども抱かず死ぬ御空
転筋のわれはふもとに雲の峰 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
晩秋の泉に波を彫る人よ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)*5
こがらしに声は嗤うや土の中
林間寺院甕から逃げて酔い蜂ぞ
枯野涯手のひらに火をもみ遊ぶ
乱るゝは師弟二人の冬の菊
枯菊を投じて土上離れぬ火
遊行女は落ちずよ片手を山稜に
白雲汝が頭は股のなかに在り
すれちがう牛乗り隠者顔かすか
未だ眠れる石は打たずに青大地
戯れや小手毬へ出す剣の尖(はな)
冬鷲しかと眼(まなこ)をむける沖波に
老鸚鵡桃盗る羽から手を出して
老い蛇に聖旨告げらる深草原
阿弥陀の鼻と共に遊べ昼つぐみ
此の岸に片寄る春の鯨(いさな)波 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
海べりの母牛逃亡す春のくれ
かぎりなく水洩る桃の縫目より (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
流雲やときどき後ろに誘う蟇 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
雪原を行く足うらに朱文字かき
連理草燃(も)すむらさきの火と成れり
逝く春の河波あわせて汝が歩み (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
あざみ広野に法服の父疲れしか
憶い起せひこばえの母庭柳 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
鳥原へ出たる農夫を洗う秋風
遙かに離脱する雲もあり塔蜂原
へへののもへじが崩る二月の聖崖に
ただ一本の蓮(はちす)のつばさ横動き
桔梗の方へ好色の人墓参り
此の道や燃え木拾えば秋の暮
箸に挟んで草火を喉へ秋の人
裸婦立てば草蟲はみな横に跳ね
紫雲英原流れてはまた戻る川
春王墓驚くシャベルの一突きに
次第に踊るは禍(まが)つ衣や紅の花
枯野はや昼月へ水引きあげて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
夏の丈草人無き土俵に外ならず
婚礼の下着を燃やせり夜の風
投げ瓶(つるべ)もう帰り来ず秋の暮 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
さえずりの妙にせわしも墓誌(はかじるし) (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
紫雲英原水抱く人と思われる
日枝神社遠しと他人の田を渡る
秋立つや野辺に小さき石頚刎ね
信女の文(ふみ)の半分は草か夏雲雀 (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
白罌粟越えて他人の墓に假にねて (『山毛欅林と創造』Ⅶ―最後の神話―)*6
二月未だ山水縦にするなかれ (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
夏の板墓誌(はかじるし)は誰も読まざるに (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
陶土舐め少し食べれる夏の風
一対の雌雄の鹿皮逝く春ぞ
白雲下にただ甘ざけを欲す旅
見えざれば雨天の乳房たれも見ず
歳旦の試筆の父上がくと崩れて (『句篇』Ⅴ-万物の高揚-)
栗花の墓辺に長居するなかれ
握れるは光の種子か雨野行
麦秋未だ地中で刀(とう)を抱く男
磧より蝶来て止まるは親岩(いし)に
萱の穂さびしき王立小学校が見え (『句篇』Ⅳ-待機と蓮-)*7
峰あらしみけんに符(ふだ)を打つべかり
冬山河根本の寺ひとつきり
*1 定稿では「夏の」→「夏の岩(いし)」に改稿
*2 定稿では「横波」→「頻(しき)波」に改稿
*3 定稿では「刀」→「刀(とう)」に改稿
*4 定稿では「西下行二句」の詞書あり
*5 定稿では「人よ」→「者よ」に改稿
*6 定稿では「白罌粟」→「芥子」に改稿
*7 定稿では「さびしき」→「寂しき」に改稿
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■