自筆原稿『空なる芭蕉(一)』は断簡である。全部で何冊あったのかは現時点ではわかない。記載された総句数は一〇二五句で、そのうち一九二句(約十九パーセント)が句集『山毛欅林と創造』と『空なる芭蕉』に収録された。破棄された句は八三三句(八十一パーセント)である。安井氏は意に沿う作品をなかなか生み出せなかったようだ。
表を見ればおわかりのように『空なる芭蕉(一)』と名付けられているが、自筆原稿は実際には安井氏の第十四句集『山毛欅林と創造』(平成十九年[二〇〇七年])の草稿である。自筆原稿『空なる芭蕉(一)』には前書きがあり、安井氏は「書題は次の一句に拠った。/きみゆけば遠く空(くう)なる芭蕉かも 『霊果』」と書いている。この記述は第十五句集『空なる芭蕉』(平成二十二年[二〇一〇年])の「後記」とほぼ同じである。
前回書いたように、安井氏は『汝と我』、『四大にあらず』と続いた〝句篇〟の試みを、第十三句集『句篇』で三部作として完結させようとした。しかしどうしても納得のゆく達成感を得られなかった。安井氏はさらなる探究を再開したが、その際、『空なる芭蕉』という言葉(主題)を〝句篇〟連作の到達点として設定したのだと思う。しかし自筆原稿を元に句集をまとめる段階になって、安井氏が想定した至高の高み(であるはずの)『空なる芭蕉』には到達できないと直観したのではなかろうか。そのため自筆原稿『空なる芭蕉』は句集『山毛欅林と創造』草稿として解体されることになった。つまり句集『山毛欅林と創造』は、『空なる芭蕉』に至るための地ならし的作品だと思われる。
しかしこれも先に書いたことだが、安井氏の〝句篇〟探究の試みは『空なる芭蕉』でも終わらなかった。最新刊の第十六句集『宇宙開』(平成二十六年[二〇一四年])でようやく一応のピリオドが打たれたのである。この軌跡は安井氏の〝句篇〟連作の試みが、極めて困難なものだったことを示している。この困難はまた、安井氏が句集を一冊上梓するごとに、その表現地平のハードルを上げたことから生じている。
創造を思いつつ入る山毛欅林
創造や空気の荒き山毛欅林
欝然と山毛欅林に入る創造よ
山毛欅林出づれば創造神にあらず
山毛欅林きょう創造の遙かなる
(句集『句篇』「第Ⅶ章 交響の秋」より)
句集『山毛欅林と創造』で「山毛欅林」を含む句は「青山毛欅や創造は約七日もて」一句のみである。しかし前の句集『句篇』では五句が連作されている。この連作は示唆的である。一句目で「創造(行為)を思いつつ(山毛欅林に)入る」のは私である。二句目で私は、創造行為は山毛欅林の中の「空気」のように「荒き」ものだ、厳しいものだと詠嘆する。しかし三句目で句の主体が変容する。「欝然と山毛欅林に入る」のは私ではなく「創造」である。四句目でも主体は変わっている。「創造神」は厳密には私でも創造でもない。五句目で発話主体は再び私に戻る。私は山毛欅林を見ながら、創造はまだ「遙か」だと再び詠嘆している。
言うまでもなくこの連作のポイントは四句目である。「山毛欅林出づれば創造神にあらず」という句は山毛欅林の中で〝私〟と〝創造〟が一体化して「創造神」になるが、山毛欅林を出るとその融合が霧散してしまうことを示唆している。安井氏が求める俳句表現のためには私と創造の一体化=創造神化が必要だが、それは山毛欅林の中でしか起こらないのである。句集『山毛欅林と創造』は、私と創造の一体化の秘儀を確実なものとするために作られたと言えるだろう。
端的に言えば、安井氏がいう〝創造〟とは俳句形式のことである。俳句形式は透明な球体のようなものだ。その外殻表層を五七五に季語と規定することはできるが、内側に確固とした内実があるわけではない。俳句形式の球体に入りこんだ言葉は瞬時に俳句言語化されるが、それを外殻と内実に分類することはできない。外殻と内実は不可分なのである。
江戸以前の近世において俳人たちは俳句形式の透明な球体の中で遊び、明治維新以降の俳句の俊英たちはそれを外部から相対化し、理論的に定義しようとした。大局的に言えば現代の伝統俳句派と前衛俳句派のアナロジーである。しかし確認できたのは曖昧で不定形であるにせよ、なんらかの秩序で統御されている俳句形式という一つの球体宇宙が〝ある〟ということだけだった。
「創造神」であらんとする安井氏は、俳句形式に闘いを挑んでいない。高柳重信的前衛俳句は安井氏の中で終わっているのであり、安井文学の究極の目標(夢想)は俳句形式との一体化(創造神化)、つまり俳句そのものになることである。安井氏は評論集『もどき招魂』で俳句文学の本質を神に憑依する神楽の翁の喩で語ったが、その思考は実践的に一貫している。
擂り鉢を散るものがまた生類に
振りむけば門も無門もはこべぐさ
青がらす翔つは大地の砂絵より
西の空見るはまぐりの薄開き
木苺白花湯上がりの神冷えて
秋かぜに三つ石放れば三つの峰
白桃幾つ剥いて白煙満つる宮
日陰蛇産まねば神も殖えずして
蓮華つつじ岩の裂けより縦の声
旅の終りを少し越えゆく秋揚羽
(句集『山毛欅林と創造』より)
父逝(ゆ)けり春の深処(ふかど)に飯残し
雁の空落ちくるものを身籠もらん
山瓜は分かれて水と白雲に
うつぼぐさ人が初めの死を創り
遠き船火事偶然もはや必然に
前衛の薔薇菓子もはや滅裂に
夏蓬無文字の墓をめざさんや
月光や漂う宇宙母(ぼ)あおむけに
蟋蟀は月光童子の髪の中
天類や海に帰れば月日貝
(句集『空なる芭蕉』より)
句集『山毛欅林と創造』と『空なる芭蕉』から代表的な作品を十句ずつ選んだ。両句集を厳密に読み解けば、安井文学が〈変〉から〈静〉に変容しつつあることがはっきりわかるだろう。また『空なる芭蕉』に収録された「遠き船火事偶然もはや必然に」、「前衛の薔薇菓子もはや滅裂に」は前衛俳句への悼辞かもしれない。
富澤赤黄男に出会った重信は俳句同人誌「薔薇」を創刊した。また重信の代表句に「船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな」がある。船火事は時間的にも距離的にも遠いものになってしまったが、もはやそれは「偶然」ではない。安井文学がそれを「必然」に変えるのである。
天からの吊糸みな切れ赤とんぼ
西に跳ね睡蓮喰いの鯉なれや
蝦夷樅の深根が地軸を掴むらし
雁に遅れて行く鶴を見る海の人
雪渓に青草ありと父行きぬ
池を学べと老師は鵞鳥残し去る
涅槃より逃げ来てひそか笹鼠
秋木賊前世の絵馬をひろい行く
老い母やふいに紅葉となる深さ
白昼の藤這う厠恐ろしき
雲雀の巣集めて焚けば雨近し
枯野わらんべ甘(あま)石ふくみ吃りつつ
日吉神社に白桃振れば核(たね)鳴れり
打ち割れば石にこもれる冬雲雀
己が蔓もて雲へ登らん烏瓜
老母編む冬鯉に衣かぶせんと
春鳶や遙かに朱箸を洗う川
夏あらし父立ち諸佛は坐りおる
からたちの実や眼に盗み手で与う
鳥海山や童子坐れる滝の裏
例によって自筆原稿『空なる芭蕉(一)』から、句集に収録されなかった作品二十句を選んだ。「天からの吊糸みな切れ赤とんぼ」、「老い母やふいに紅葉となる深さ」は鮮やかに赤を感じさせる秀句である。「白昼の藤這う厠恐ろしき」、「枯野わらんべ甘(あま)石ふくみ吃りつつ」は安井氏らしい〈変〉を感じさせる作品だと思う。
なお今回で私の連載は終了である。大量の貴重な資料を長期間お貸し下さった唐門会の酒卷英一郎氏、自筆草稿の検討・掲載を快く許可してくださった安井浩司氏に心から感謝申しあげます。自筆稿の整理・検討という原稿の性格上、資料の多い研究論文のようになってしまったが、私の試みにより安井文学の理解が少しでも進めば幸甚である。
岡野隆
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空なる芭蕉(一)
安井浩司
敢えて申せば、本集はマーラー交響曲第九番・第四楽章における何人たりと解析しがたいものに、呼応するがごとくに書かれたものである。なお、書題は次の一句に拠った。
きみゆけば遠く空(くう)なる芭蕉かも 『霊果』
著者
第一章
中学校横の日新の道驢鳴して
乞食とて天へうつむく盆の花
物忘草ミヨソティスを葬れり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*1
腹這いに摘むこともなき蛇含(じゃがん)草 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
麦の後ろの浜に出やすき百姓よ
枯荻の水なきに尾を濡らしけり
赤腹は誘うよ山上に旅ありと
夏草や深井は養うべきにして
海近く鵙の巣焚けば匂いけり
麻裃(おがせ)に至るその童僕に従えば
浦島草や小旅のはての激しけれ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
野火過ぎるとき股濡らす只の人
茅舎忌の金色の蟻潰しけり
麦を抱く人炎と煙の双つ肩 (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)*2
秋の草火に紙の法服着て投ず
昼やみの棗に立てるは維那人(ゆいなびと)
燕裂いて雨安居を待つ兄なりき
夏断崖にやまべを差して旅人よ
夏国(なつくに)へ入るや某女を肩ぐるま
祖父皹牛諸池の底探りもして (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
野鯉より出る腸(はらわた)の古(こ)物なれ
老(おい)妻を抱き上ぐ万葉植物に近く
つぐみ野を突くは風刺の杖なれや
哲理の人は日雀(ひがら)を膝にやすらがん
梅雨の空たてがみの魚踊り消ゆ
赤麻(あかそ)の穂遠く牛渡る小野乙女
薬師会の浄草刈るや女たち
眼をかすめ白雲去れり薬師草
恋雉子は溺れる谷の秘密湯に
終(つい)の椎がありと手招く女友老ゆ
蝦夷鷲をあおぐや切株机とし
岩に如来の浴室の跡雨つばめ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*3
幼友を訪えども水梨半果のみ
山水流れて髭つきの魚好まない
母坐して空有(う)のおおばこ日当れり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*4
禿詩人に
ななかまど・うるし「好漢。心せよ」
水は水を歩み来たれる春の闇
何の夏花歳月人を待つべかり
杖頭にわらじを掲げほとけが浜
秋風過ぎて百の女陰も百の眼に
弟子のふりして芭蕉を移す二三人
遊人いずれ鷹の落とせる石に死す
夏のあらし猫は嫌がる田園を
大庭神社のはや水よりも重氷
浮きかもめみな湊合の波がしら
古茄子やみな身体をあきらめき
師逝くや大いに野蟲の興るとき
人体はまた帰り来る耕衣の忌
二月渚その陶画片は鳥にして
青酸の一滴もあれ雨後椎葉 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
桔梗紋の男が手を挙ぐ北の空
最後の餐(めし)へ榛の原を我過ぎつ
風ゆする山毛欅の胎(はら)には日雀達
石柱縫いつつ雲丹売人は遠くなり
山菫後達(ごんだち)はみな腹這えり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
白雲や双峰別けの御鷹泛き
石菖道の傘より蓑を拾わんや
秋只今の東司の方を拝み否(け)す
秋かぜや皇子は湖上に泳ぎ伏す
著我の花植えたる人が見下ろすよ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
繁縷(はこべら)や地霊は門べに集まれり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
深萱吹かれ山を下る山ありき
花野に蟇の四大借物大切に
あゝ瓢箪の叩きねんぶつ心せよ
晩年われらひいらぎを焚き降伏へ
風を得てむらさき華髪に竪(た)つ者よ
野牡丹に歩みを止めき異解(いげ)の人
孟宗竹や夏の終れる道があり
荒地蟇汝は寂しき我は死す (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*5
深(ふか)春の水辺にはせを抱き起す
天からの吊糸みな切れ赤とんぼ
導師のち海上に椅子焚かれたり
壺の中で衝突する鳥青野波
脚垂れ蜂が空中墓に出会う秋 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*6
春鷹に野岩(いし)は姿勢を高めんや
石礫を来て弟子は見よ百日紅
童体を忘るべからずよ鳴子ゆり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
天へ向えば胸に溜まるや赤とんぼ
蕾あれば一月椿の身構えき
冬滝のふいに老魚がわが腕に
食卓を回せば北へと雉子の首
冬鷲形は十字の肩を掴むべし
聖芍薬や三重だがいに接吻(くちづけ)に
匂い醜(しこ)草小教会堂に入る愉しみ
神でなく神の弟死ぬ盛夏 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*7
涙して深き眠りの暮春の人
土堤虎杖すぐ新しの神立てり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*8
枯(こ)草盛る秤はわざと動かずに
善知鳥今日海は腹を盛り上げし
過ぐ夏をふと垣間見る蛇もあれ
醜(しこ)鳥を書記は消さずに藤あらし
最も遠き雪鷲を書記知るべかり
雪鷲と書記の人のみ残らんや
晩夏海そこに影なす物質の人
幼児抱く鷲父(わしおや)岩屋に手を入れて
鷲父(わしおや)の冬滝大いなる興り
千年のひらめを揚げや裏の海
山裾を薄身の魚の流れる二月
老師来る夜雲の高さに夏の杖
秋風や湯立つ峠をめざす老母(はは)
昼おそらく蝦が蟹座に遊びおり
鳩燃やす入江の丘の小さな茂み
黐花に高背の蜂師も呼ばれたり
夾竹桃や聖霊学園焼けて亡し
土より水を択び坐れる春野行
鶴啼いて湖上をいそぐ雲の族
冬水仙や雨が地雨を打ちはじむ
木ッ葉鰈も巨大となれる夕の空
遠海の穴に紅梅たどりつく
五月鳩乾ける霊を踏みいたり
老母の窓に冬波高きは海の腹
青葉騒地震(ない)にとかげが没す時
萱の芽や裏から大地は刺されたる (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
僧若く紫陽花啜り暮らすのよ
冬の壺中の一掴みに海のまま
飛燕草や空舟はいま山上に
鞭上げや硝子の中の青野馬
草合歓に内気な兜ひとつ置き
夏林檎蛇の消化に耐えるのみ
盆近し釜にいらくさ投げられて
北空を尾を上げて這う国ひとつ
秋風や頭を割られし国もあり
出口なく入口狭きよ夕菅庭
石塔の天井揚がれる冬雲雀
石山の猿の顔消す秋のかぜ
聖者来るはずもなしと野鼠跳ね
烏おうぎ己れを過ぎる翁なれ
人を待たず玫魂のはな砂庭に
花榊小猿を垂らして行く人よ
四月槐の根方に多き地中の魚
母へ向けし筒から冬蟲とび出すよ
夏の酒をもて一犬居を訪ねんや (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*9
青御空鳩酒を欲る師負えば
この家の奥の飴師や燕来て
寝返れば桃と同時に割れる空
虚(から)の雲が落ちておった石踏山 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*10
十年(ととせ)また雉子飯を出す北の友
今日石山に脚を組めば氷りけり
石鏃渡る手の繋りのいずこまで
枯野から棚で死にたき鶉来て
鶏頭と犬走るべしまひる原
空半分の昼がありけり箒草
ふところから己が顔出す枯山河
御堂かすかな音を立てて冬絵あり
菓子ひとつ花から出してくる桜鬼
白雲充分ひらく山上市(まち)の門
道の楽師その瞬きに蝿容れて
犬貌の見えつつ燃える冬の庵(あん)
野火を行くパイプに溢れる枯草で
恐らく冬の神社に老猿ひそむらし
枯松林沖にも咳があるばかり
御犬下るや春山上の熱をもち
柴あやめ宴(うたげ)はそばを流れ行く
山荻風や忘れるばかりの会釈道
枯蓮を掘るべし次代のおとこ達
夏よもぎ最後の井戸を踏んで消す
観者立つ夏崖揺れて動かずに
春の泉に小舌を放つ鵙がいて
雨を来て古鳥溺れるかきつばた
夏いらくさ人体を貸す少年に
青葉騒蜆のような眼のおとこ
石の山涙の谷をくだるかりがね (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
夏の風いつから賢魚が石皿に
熊撃人(うち)の頭上に光輪浮くは今
歌の空翼を石がつらぬかん
秋彼岸鯨の波かと思わるゝ
高丘や鍬には雷雲落ちず過ぐ
蛇なめて端(は)城の傷も消えにけり
古代雉子を聴く高知らずの丘にねて
遠空の気をみる者よ茅花原
筆をとり崖下におくや冬の鶴
風の奥食医は手折るしおでぐさ
個の賊よ青枝(え)の剣で勝てるのよ
寒土より空見る獅子を掘り出さん (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*11
西風や折れた葱から抜きはじむ
雷ふくむ空気の満てり岩蓮華
紅空木(べにうつぎ)植えて苦しむ師ならん (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*12
鷲氏忌の日輪掲げる重さの翼
靫(うつぼ)ぐさ地軸はここから空に出て (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
からすおうぎの夏花を師は急がずに
虚空梅もとは暗き肉なりき
夏花巡る不老の母と不死の父
秋川屋水の料理があるばかり
枯荻道の馬上火事と叫びけり
師父語る道は大地の傷なりき (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*13
祖母泣くや雉子の雌雄に網打てば
大山菫蹴上げば空(から)の甲冑で
耕衣「平面」句(「洗濯船」)に促され
平面睨みつつ相会うや老鯰
平面を来る洪水も椎葉闇 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
鳶落ちて平面変のあることよ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
春土に洗えば平面妖や女立つ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*14
此の土の平面親しき黒揚羽
夏野糞平面のみが永遠や (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
誰も蹴らずに平面翻(ほん)や夏の海 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
平面飜じることあらば今夏の海 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*15
花野行く牡牛の中も平面ぞ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*16
秋平面や土より高き泉あり
薄原凄平面の来るごとし (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*17
茸噛む口のけむりの遊行人(びと)
枯野波板一枚で行く祖父よ
鳳仙花乞食は腰のみ高まるよ
冬鵙が思いのままに滝緊まり
此の浜に猫の雌雄を離(わ)ける秋
鴬かえって乞食顔して近づき来
藁履(ぐつ)を燃やして天の鷹落とす
西に跳ね睡蓮喰いの鯉なれや
何の空緋鯉の腹にわらべねて
縞すすき股間の西日落とすのみ
臥牛山知らずに熊笹道は明るし
幼くて雨に首振る蝦夷すみれ
黐(もち)の粒花息巻く父に降るべかり
鶯おどる冬樹の股より噴く楽に
牛の背に山脈もてば冬ちかき
耕衣居や鵙付きの枝壺に挿(さ)し
紅梅急ぐな父が己れを殺すまで
ふるさとや手を百圧(お)しの餅もあれ
秋風や畑つ立ち物みな歩み
地に植えて天を覆える箒ぐさ
激突のつばめの跡みな聖壁に
絵馬堂に綿蟲を吐く乳房かな
青野あらし牛骨拾い撲りあう
秋石山の男女で叫ぶ声ひとつ
雉子苑に大き盗みのおこる秋 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*18
百姓泳ぐ急に冷たき晩夏海
西行道(みち)や好色の草踏み生かす
悲の母は眼薬を振る鷺の野に
四月渚の両腕に昆布架かる人
蝮草抜きたるおみなの手よさらば
亡父(ちち)むかし手を挙げ沈み夏の海 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
黒檀の箸をもて刺せ秋厚雲
月光や塀裏明るき寂しさに
虎杖の辺をあゆみ落つ最上川
背に巨きかまきり感ず草に伏し
花消えて真に撲(う)たれるさるすべり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*19
黒揚羽女(め)無き浜こそ択ばんや
盆過ぎの野の牛にみな網打たれ
木仏に止まる秋黒蠅も甘くなり
天心やわらべが雲雀の巣を燃やし
浄土が浜に塩濃き父となりゆくも (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
*1 定稿では「物忘草」→「勿忘草」に改稿
*2 定稿では「麦を抱く人炎と」→「麦藁抱いて炎と」に改稿
*3 定稿では「浴室」→「浴槽」に改稿
*4 定稿では「母坐して」→「母坐せる」に改稿
*5 定稿では「荒地蟇」→「荒地鷓鴣」に改稿
*6 定稿では「蜂」→「鷺」に改稿
*7 定稿では「盛夏」→「晩夏」に改稿
*8 定稿では「土堤虎杖」→「土堤虎杖や」に改稿
*9 定稿では「夏の酒をもて」→「夏の緑酒提げ」に改稿
*10 定稿では「石踏山」→「白頭山」に改稿
*11 定稿では「出さん」→「出せり」に改稿
*12 定稿では「紅空木(べにうつぎ)」→「紅空木」に改稿
*13 定稿では「傷なりき」→「傷なりと」に改稿
*14 定稿では「春土に」→「春土」、「女」→「女霊」に改稿
*15 定稿では「今」→「いま」に改稿
*16 定稿では「花野」→「草野」に改稿
*17 定稿では「薄原」→「薊原」に改稿
*18 定稿では「雉子苑」→「孔雀舎」に改稿
*19 定稿では「撲(う)たれる」→「揺すらる」に改稿
第二章
振りむけば空と苺の殺し合い
夏少年よ柱ひとつの空と海 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*1
秋深空呟きの草みな刈らる
小石道剣をもて釣る赤とんぼ
菩提樹に鳥乗りすぎの小夏いま
「千にせよまだ一ならず」夏木賊 (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)
ツエラン「糸の太陽たち」より
秋石山きょう墨色の猿湧いて
密雲近し自然池を抱く我に (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
古池や浮かびの石も雨に在り
枳穀庭に没入しており老優は
岩の屋(いえ)二月を送る琵琶持てり
精霊とんぼ浦の小卓に降下して
春鷲は飛ぶ最高の鋳型より (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*2
麦秋の野蜂は倉を守りおり
今日浜蜂小男根を刺すなかれ
蝋梅や会えば徐徐に狂雲の人
冬鷲の翼むらさき裏打ちされて (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
やや暗く雪入りの酒よからんよ
一月神社猿から朱煙立つらしき
あじさいや繋がれており職(しき)の馬
現少年や梨の花底急冷えに (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
浜畠虚体となれる茄子ぶくろ
秋山畠人の根ごときもの抜けり
蝦夷樅の深根が地軸を掴むらし
勾(まが)池を掬えば常世の蛭むしよ
新しの箱庭供えん御鷲山
己れ見るごとくに在りき御鷲山 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
厚梅雨の窓から入り来る霊鷲山
眼つむるほどに心騒ぐや鷲の峰
沙門若くつつじに隠れて花嫌い
明日天竺の枕というを贈らるか
雁に遅れて行く鶴を見る海の人
裏山の明るき空位に黄蜂来て (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*3
雪一枝守護の鶲を止まらしむ
鳥は水をはこぶ苦熱の菩提樹に
五位鷺が啄いて小沼廻(めぐ)りの流れ
紅鶴は啄(つ)かずに天地をつなぐ紐
二月ふもとまず養魚池洗われき
岩天井にちりばめ蜂や鳥の文字
炎霊さまが伏して久しき夾竹桃
雨の他郷鵞鳥に傘で打ち勝つも
撃壌の歌おころらんよはこべぐさ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
行く蛇に即(つ)くのみの此の盆の道
どくだみの白花遠くに小海あり
雪渓に青草ありと父行きぬ
根(こん)において突出するも山牛蒡
鶴林に墓あればみな名無き父 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
「剣もて切るに乳を流す」雪の鷹 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)
「摩訶止観」より
叡山菫遙かに海を見て逝けり
岩の屋(いえ)去年の燕も裂けしまま
師逝くや諸河の水飲み了えて
百日紅いつからそこに存問の人
はこべ這いぐさ新しの神涎して
池を学べと老師は鵞鳥残し去る
主の肩に夏を怖れる山がらす
花つばきこぼれ落ちたる一鬼心
古蓮の池を抱かんと父愚か
晩夏を行く腹中あんぱん大切に
振りむけば門も無門もはこべぐさ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
げんげ原手のひらつけば沈み行く
天の井戸汲まれふる我が菜園に
祖(おや)墓へ地のものは飛び鶴歩み
耕衣碑の甘土を啄(つ)く鶴が来て
夏の風さわぐや一尾の魚占(うら)に
澄むほどに佳き占いの鮎なれど
春土摩(さす)れば顔のかたちに古石出づ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
葛深き小野の乙女を追いきれず (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
おそらくは車輪に結ばれ揚雲雀 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
聖庭や胸から蟬は剥がれない
旅人渉る冬沢の湯のひと握り
枯野来て水を乞うや獅子がしら
日向おおばこ一行(ぎょう)一座(ざ)に百姓よ
道の人の顚倒より生ず冬の蝶
青あらし物は蔵にて叫びおり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
百姓は浮かぶ浅海身をまかせ
浜へ出て一乗にと在り秋揚羽
佛の座ぐさ狐の顔の母は崩れて
捩(ねじ)杖ついて鷺の位をめざし行く
春や黒き鳥いっせいに踏む山ぞ
春古草のなか恥しの池ひとつ
冬日輪活けるや浅き水盤に
秋潟(うみ)や一瞬みえて百の鳥道
妙にせわしの頭を示すや二月鵙
道ひとつ古海のほとりの鳥の庭
春雷や鳥散りやすき浄土門 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
春鳶ごと空は墜ちつつ神(こう)池に
日蝕みな母蜂の巣に帰らんと
砂吹く泉の涸れは近し枝鵙に
戸隠神社筒鳥潜みやすくして
はこべらや土鈴を持てる土偶人(びと)
青がらす翔つは大地の砂絵より (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
晩夏師は砂の枕に沈むなり
砂を見て山を忘れる日々草
石の剣は恐らく夏の蔵にあり
砂垣はみずから消えて月見ぐさ
石の塔立つべし土中に雁埋めて
浜辺より火炎雲雀の揚がるまま
杉くらく起ち源流へ歩みだす (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
金色の背骨の乞食に秋の雨
罌粟畠眼に隠された村があり
涯めざす花野に穴は捨つるのみ
海ちかく独頭(どくず)の葱の立ちにけり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
帰らなん抱(いだ)き覚えの初夏の海
鶫それぞれ夏岩山の空部屋に
青菜畠や巨き翼の眠り風
木枯や踊るばかりの狂句斎
茜草(あかね)抜く空気の珠が全身に
雪煙立つ貴婦の山と呼ばるべし (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*4
果てめざし胸に灰塗る夏の海
三面で成る夏の家恐ろしく
天籟や盗み聴きする岩鼠
老鹿臥すは大地の甘き処にて
夕波に引かれる乙女引くいさな (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
道開く踊りが御熊の頭をつけて
百人に散らし与えん沙羅の花 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
われら身の氷流れる二月谿
老母かがむは苦行林の竹の子に
師の足の曲(まが)ゆび知れるは野の鼠
雲むらさきのふと最高処に入る鷹
蛇の頭を蹴らんと行けば夏の終り
振りむけば蓮と日雷とけ合うて
天父は喜ぶ鳬・雁・鶉の鳥料理 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*5
涅槃より逃げ来てひそか笹鼠
夏小辻己れ叫ぶや賊賊と (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*6
月の村高き一人は踊りさま
蕾(つぼ)蓮華折るやその手を濡らさずに
枳穀門入るとき友を捨てにけり
一蝶得んと切株達に網投げて (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*7
原書負い野の低月を跨ぐのみ
楓の枝(え)掴み垂れつつ遊行死す
秋石山のさまざまな席先師たち
はこべぐさ地平のオペラの凹凸し
西土に睦む衛生の鳩を学ばんや
山河に残す狼を打つ韻(おと)として (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
寒鯔(ぼら)の背とも思える西の波 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
寒の林過ぐとき肩の鵯(ひよ)が消え
小学奥のかの背表紙に半月ひとつ
草合歓ばかりふゆ能因法師の滞在に
秋風や道の裏をも行く人か
浜の畠荒葱折れば呼気がして
石塔は地に終るのみ麦を刈る
秋木賊前世の絵馬をひろい行く
驢馬過ぎる野岩(いし)の汗を信じつつ
老父(おや)の尻抱いて差し出す夏の海
炎える茸炎えざる茸が校舎裏
三月鳩は装飾の濃き鍋に来て
四月空鳩は鍋から翔ちにけり
老狼は肉厚き碑へ跳ね上がり
冬浜の茸は己れを閉じにけり
湯の沢にしばし抱かれて別の母
今日夏原難解(なんげ)の猫のころがれる (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
亀をつらぬく光線もまた夏の庭 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*8
暮天盲女は唇(くち)に鞠をはずませて
花蛇もはじけて神将の調髪に (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*9
庇の燕は聖女の財布を覗かんや
黒蝿ほどの悪霊天い逐いだせり
青あらし土中に転ぶは亡父らし
獅子舞の遙かな道がこの家に
密雲広がる鳩と魂(たま)との平衡よ
今日遊行海のからだを泳がんと
遊行女(め)におもわず藤棚鳥糞はね
下衣燃えつつ走る化尼(けに)も寒夕べ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
野の蟲は生まれる鶫の計算に
日の原の神は花鶏(あとり)を串刺しに
雨池の安らかに蛭生(あ)れさせや
乾漆像は真(ま)風の引援もて立たん (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*10
野蓮亡し空気をすべて探れども
かっこうや百の名を呼ぶ日供堂 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
地上日輪紅花のなか這い去るも
布袋草真上に舌出す日輪よ
地上日輪分割されて野牛(のうし)らに
山蛇集め燃(も)せば日輪上がりけり
秋の聖窟もの食みあるは恥しく
道行くに故意の便秘か夏の驢馬
旅人をまた振りむかす熊の星
夕風の蓮の実はみな独房に
日鷲わが禿頭に足憩わせや
日の道を少し引きしか蟾蜍(ひき)の友
ゆびを入れ錠を開けるや通草園
名なき連峰みな冬水の流れおり
春鷲高き神殿のふと後ろむき
緑蔭粘土に魂を掴みて形成す
吸取紙に鳥足文字が春土より
孔あれと芭蕉葉杖で突きにけり
漠と天覗くや芭蕉葉孔あけて
塔から堂へ小蜂の道に過ぎざるも (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*11
旅人はみな積みゆくや尿塚に
己が尿塗れば胸浮く夏の海
野紺菊を嗅ぐ海水の名残(なごり)して
合歓のもと罠を仕掛けん旅人に
天蛾(すずめが)挟むと亡父のふた指長くして
握りおれば野鵐次第にふくらむも (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*12
真空大師が仰ぎていたり雲の峰 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
臥牛が岩(いし)を穿てば夏酒あふる手に
触れ合えば一味の塩や蛇舌と
諸木訪えばかしこき棗が頭(こうべ)垂れ
見えなくなりぬ空気の穴に隠れ蜂
秋の丈草(たけくさ)過ぎつつ怒りねんぶつは
観自在最初のはたはた跳ねやまず
野の岩や会上会下(えじょうえげ)の黄蜂たち
巡礼人(びと)を野葬に鶴を林葬に (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
芥子(けし)を折る最も偉大か経翻家
大藁塚を揺すれば乞食現われき
紅葉よけれど開山堂を忘れずに
今日睡蓮の微尿が水を清めたり
野鼠どちも大仏修理をめざす春
雨つばめ延命観音濡れしまま
冬の満月遊戯(ゆげ)観音に誘われつ
枯蓮火事の二人三笑ありうるも
炎天怖れ大地の割れに住むからす
丸花蜂ら百の鏡を訪い滅ぶ
白雲や酒壜の蛇を振るばかり (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*13
鬼の花地上に落ちき朴打てば
竹の悲鳴絞れば白き汁こぼれ
忘れ難きは他人の池の蒲ひとつ
春から冬へ「木仏は火を渡らず」に (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
「無門関」より
木枕のわれを引かんと秋の海 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
柑(かん)投げて浅く思える春の沖
青瓜を盥に入れてや沖送り
石投げて外(そ)れを知りおる仏桑花
浅き眠りに酒壺さらうは枯野波
老い母やふいに紅葉となる深さ
なんで山寺おろす試みすすき原 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
夏牛過ぐ崖の曼荼羅知りながら
老僧侶海ちかければ脱ぐ衣(きぬ)を
枯野忌の正客の馬来つつあり
明日(あした)傷めと枇杷の杖に打たれたり
僧は見る鶺鴒死の尾を持ち上げて
春鳶うかぶ石の流れる今丘に
なお遙か母の頭上の父霊雀
父雲雀揚がれる夏の漂母より
消しがたし隣家の空の紅梅を
春日輪藪にひそむを平手打つ
青む崖蔦わが放尿も昇るべし
老農は解くや小池の封印を
露月家(いえ)深く天蛾ひき入れて
晩秋人(びと)よ水の上で蓮焚かん
遠つ祖(おや)は茸の熱物食うて死に
掬い食う葉牡丹の上(え)の残雪を
恋弟子をよぶ猿麻桛(さるおがせ)かぶりつつ
樹の股の奪人奪位青あらし
赤松に登らん妹よ雲閑(しず)か (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)
黒とんぼ尿すは劫の途中なれ (『空なる芭蕉』Ⅱ)
躓きをもて光りそむ冬きのこ
振り返るほどに忘却冬すみれ
息触れて回る無窮のからすうり
捨て小屋に一生無事の蜂高し
岩煙草足跡ばかりの遊行人(びと)
雌雄経て雁の触れあう秋の海
波をもて鯛殺しけり涅槃西風
荻の波すべて骨董消えゆくも
ははきぐさ己がこぼれ実天に掃き (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
梵僧は泉より花汲み去れり
祖父坐して月夜茸を錯(あや)まらず
散る朴樹いずれも持てる水溜り
老母の庭に十一鳥(どり)を行かしめや (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
此の道をえらべば隠者の夕暮へ (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
いっせいに蓼の穂となる幕屋道
正中門の無礼の牛も青あらし
色草や蓮(むらじ)の人を追う蛇も
雪蟲は親しき老母の体温に
天邃きむかし雪譜の綿蟲も (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
紅葉なか心に模様をもつ勿れ
瓜のあとの石礫畠に遊びけり
五月野に蓙あればきみ直立し
椿投げて曼荼羅占い逢かなれ
*1 定稿では「夏少年よ柱」→「夏の少年支柱」に改稿
*2 定稿では「飛ぶ」→「翔つ」に改稿
*3 定稿では「黄蜂」→「桑鳲(いかる)」に改稿
*4 定稿では「雪煙立つ貴婦の山と呼ばるべし」→「今日貴婦の山と呼ばれる雪煙り」に改稿
*5 定稿では「鶉」→「鷺」に改稿
*6 定稿では「己れ叫ぶや」→「叫ぶや己を」に改稿
*7 定稿では「一蝶」→「秋蝶」に改稿
*8 定稿では「つらぬく」→「貫く」、「夏」→「初夏」に改稿
*9 定稿では「花蛇もはじけて神将」→「青虻もはじける神将(かみ)」に改稿
*10 定稿では「真(ま)風の引援」→「真風(まかぜ)の誘引」に改稿
*11 定稿では「塔から堂へ小蜂」→「堂から塔へ黄蜂」に改稿
*12 定稿では「野鵐」→「野鵐(のじこ)」に改稿
*13 定稿では「白雲や」→「秋白雲」に改稿
第三章
湧くつばめ古海老父の現われに (『山毛欅林と創造』Ⅳ)*1
大梅雨の昏睡神女(みこ)を抱くべかり (『山毛欅林と創造』Ⅳ)
白昼の藤這う厠恐ろしき
荻蔭に水ごときが鳴り巡礼女
暗き人が手に提げ来たる河の物
くれがての火を継ぎつぎに鳥渡る
軽(かる)の道えらび去りたる日雀かな
大目して導く雪鹿亡友(とも)ならん
雨空の透きる器に杜父(とぶ)魚かな
古層調査の夏のおとこよ尿永し
フラスコの野の水に透く死蜂なれ
湯沢を下る死鷺は水となりにけり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*2
粗壺かぶり突き合う父ら春大地
風の裂けに蟬はさまれり秋の浜
扁虻(ひらたあぶ)地にとどまれば夏の海 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*3
雲雀の巣集めて焚けば雨近し
西風が渦となり来るぼんのくぼ
春土はや蹴り石恐れる石ぼとけ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
まず匍匐(はらばい)のことを行え夏至の原
うつぼぐさきょう匍匐(はらばい)の道静か
深草井に近し匍匐(はらばい)波の人
稚き野に採り物として髢(かもじ)ぐさ
空中より優曇華もはや採り物に
種麦いちど枯れて抱かれる百姓に
今日蛇の青野をへだてて厨人(びと)
亡父(ちち)夏の氷に墨文字書きしこと
腹中の剣の鯉魚こそ贈らんや
蝦夷菫奇子(あやこ)の泣きも風のまま (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
巨佛に来て空気に属する雀たち (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*4
枯野わらんべ甘(あま)石ふくみ吃りつつ
尾をひいて琴流れ来る春の沖
華鬘ぐさ一骨踊りの来つつあり
牡丹の高さに成就せんと筆塚は
老母は涙ながすや小足の蟾舞(ひきまい)に
日吉神社に白桃振れば核(たね)鳴れり
能の廃曲ひとつ掬えばきりぎりす
春や野の埋れ鈴鳴る地踏みかな
鳥ども笑う籠なる鶸の爆発を
こおろぎへ拡げて長きは血写経 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
あゝ枯菊を抱く焼身のよろこびに
まずフェルト敷き繁縷原踏み均す
供華会(くげえ)みな母の実家に生まれたり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
声を殺して通る秋の浮沼(うきぬ)あり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*5
天鬼は覗くや黄睡蓮を真上より (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*6
綿蟲や十字横木に乳房垂れ
沖の鯨(いさな)が近づくりんごの花祭り (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*7
雲湧くも阿夫利神社の鈴振れば
野の百合の機械仕掛けに虻陥ちて
香り樹の必ず鸚鵡が枝(え)隠れに
魚として復帰りくる諸(もろ)男根祭 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*8
男根は断(き)られそこから二月(きさらぎ)菜 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*9
青虎杖の遙かにさわぐ男根機 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*10
花キャベツとなる男根を地に埋めき
かまきりは挑むよ無礼の男根に
断(き)られたる男根跡に桐の葉を (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*11
夏庭や男根没なる銅の人 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*12
腋ふかく魚生(あ)れおるか涅槃人(びと)
松の根を源流として野の蛇ら (『山毛欅林と創造』Ⅰ)
岩より引き抜く百の鰯の佛生会
打ち割れば石にこもれる冬雲雀
地底へ作用する鳶蛭生(あ)れて
踏み行くは稚(わか)足彦や土筆原
左に廻る浮き皿多しや秋の海
かかし十字が横に倒れて遠近に
雲生まる楡にとねりこ擦(こす)るたび
柏に吊られ假面ずれたる冬男 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*13
祖父の家樫に夕日の落ちる道
春や父大篦をもて平(なら)す海 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*14
卍を描けば廻る石皿秋の風
曇天を搏つ篦の木を信ずべし
父蛇よ顎もて大地をこするのよ
墓石洗えば雲から現わる銀やんま
最後に父が会衆へ橘投げ入れる (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*15
浅くねて黄疸の治癒蒲公英に
小高きに共同便所を葡萄山
新馬の尻大あざみに襲われき
火通しのエジプトモミザ炎えざるも
がらがら玩具落としてみるや冬山河
枯蔓の三本撚りゆれ燃え立てり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*16
夏山河土偶を揺すればからからと
聖パンも野性酵母を忘れずに
或る詩人の死
寒夕べ撚糸ついばむ鶴が来て
どんど響きの冬杉行けど誰もいず (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
紫雲英みな川の名をもて水発てり
火の中に蔵われよかの曼珠沙華
老蜂落つ雲の中なる議会より
行く方(かた)へ鶴の広がり雲となり
手ひろげ狒狒は遊行を受け入れる (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*17
冬の蝿ぬくしと没す狒狒の胸
稚鷹を峰越しに奪(と)る祖父の手は
穴即ち天よりこぼれる蟬いくつ
我に来るたしかに手動の青葉波 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
北めざす斜め十字もかりがねも (『山毛欅林と創造』Ⅲ)*18
鳶となる倒れ十字の上に来て
こがらしや地面にうごく紐十字
野生りんごの貧弱に主ひざまづく
鷹を得て霧に現わる自浄の山
涅槃西風鱏は孤島の下にねて
築山(マウンド)の鷹に百姓あゆみ寄る (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*19
春雷や初国ここに石ひとつ (『山毛欅林と創造』Ⅲ)
春の山々石球投げて起しけり
石球は掌の中に耐え雁過ぎつ (『山毛欅林と創造』Ⅲ)*20
石鳩の石粒をもて巣は成れり (『山毛欅林と創造』Ⅲ)*21
春鳶や石の環並べに石余し
恐山の石持ち帰れば叱る父 (『山毛欅林と創造』Ⅲ)
雲となる石を燃やし鱒焼けば
薬師像や石のつゆ飲み夏つばめ
大師粥入れたる石もとろとろに (『山毛欅林と創造』Ⅲ)
海上の眼となる渦や雁渡る
昼菫上がり下がりの天蓋は
秋の家ただ一牝馬を繋ぐのみ
野紺菊やや低き世に入り行くも
元の形にかえって笑うや枯野馬
晩春の大地のへそに落ちるかりがね
地のへそに近づく春の天つ腹
天心や終(つい)の鱒焼くけむり溜め
日常や聖女がひらく藤の門 (『山毛欅林と創造』Ⅰ)*22
大いなる黒家畜もいて麦の秋 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
天つ窪みに乳満たし行く鶴がいて (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
密雲伝書の鳩が抜けれる穴ひとつ
石投げて洪水の王殺す秋 (『山毛欅林と創造』Ⅲ)
石碑蔭に大地の息子夏きのこ
雁の列天の縫い目となりゆくも
千日紅最後に摘んで去るものよ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
熊の野にひとつ昼星信じけり
雪野来てバター粥に泣く我ぞ
紅梅や夜は冬波の訪い来たる
汝が分け前を更に頒つ黒葡萄 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*23
天は何も行わず地に芥の花
朝(あした)戦さに去る枝蛙に会釈して
野つばめの舌の業なる天濡れて
水にあらず雲にあらずよ白桃枝(え)
翼つきの衣濡れてあり春の家
伊吹隠れに幼女の尿よ冬の虹
茅舟焼く火から煙となる高し
持ち寄って海火に山火交われり
手の鎌は風殺さずに切るばかり
野祭りの地蜂を追えば追われるよ
夏の宴に低く霊智の蜂とべり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*24
三角のいろりに寄り来る枯野波 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
枯野中三つの石もていろり成る
野の鍋や三個の石に落ちつくも
亡師忌日
耕衣恋す魂も姿も秋海棠
郭公やつられるまま主は予言して
春の宴大地に甕底突き刺して
朴散華我消え失せる直前に
願いつつ父逝く火葬は夕の方
青鴿は寄らずよ異族の食卓に
崖上旅人まだらの紐を垂らしつつ
誰も鵞鳥の首筋食わず秋の暮
我ら塩ぱんもて婚約へ夏の海
今日木蓮天気からの下し物
熟れすぐり量り天地を感じたり
柴天はかがみ有翼車輪を組みいたり
寒鮒釣りのかつて在りし者なれや (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
さあ、れんが焼かんと叫ぶ枯野かな (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
われら夏を過ぎ胡桃園に没したり
日々紅(こう)の高さに諸霊起りけり
蒲刈る人の腰から上に光あれ
庇の蜂は親し乞食の口述に
天くらく黄蝶よぎる刃物屋通り
額(がく)植えて生涯鍛冶屋は怒らずに (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
頬ずり用の假面を吊す初夏の家 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*25
広きひたいに接吻(くちづけ)ゆるす萱負女
己が蔓もて雲へ登らん烏瓜
秋湖の舟の顔がみんな後ろ向き
羆に打たれし者のみ浮上昇天へ
霊(たま)を知らずにヒマラヤ杉の実を噛む子
四月わが無毒の尿を流す海
黙座ずるやただ山桃を蔭として
子供の国に大山猫の尾を入れき (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
薊葉さわぐ仮神社こそ恐ろしく
われら砂橇篠懸大樹をめざすのみ
過ぎるとき少し目まいのかぶと花
夏草やみな傘形に成る家ぞ
わが生墳箸で小蛇を挟み棄つ
夏原や砂振る料理撥ねて成り
鯉の屏風急に倒れる深雪原
枯野中湯を持つ神にすがる母
口中に火をふくみ会う冬祭り
鷹の空しんじつ白玉欲す我 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*26
空中に浮きでる滝や出羽の春
赤き料理を抱(いだ)き没せり冬山河
冬鷹山銃を持てるは礼装の人
伽藍鳩そらまめは欲掻きたてる (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
姉妹とわにレンズ豆の煮えざるも
箱庭を盛れば巡礼(めぐり)の山遙か
田園の放火遙かに月見草
底鮒突く一月の棒を信ぜんや
老母編む冬鯉に衣かぶせんと
六月こそと畦をつねる神がいて
向うより形なきトンボ来たる秋 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*27
熱風の報土に浮きおるあぐら人
牛は牛に隠れいてみな麦あらし
御堂の蜂は盗む女をゆるしけり
さえずりに波とも思えず皺の池
土壁に止(とど)め刺されるからすうり
剣舞の村を巡る黄蜂の親しさよ
春鳶や遙かに朱箸を洗う川
むらさきの柱を起こさん冬山河
冬近きひよどりひとつ石雲に
冬原の石雲となり落ちざるも
さえずりも臨終もみな今日の人
或る旅
神護寺の白絵に冬鹿近づけり
漆藪思わず抜ける無事の人
枳穀門あり開閉をゆびさせば
一糞より生(あ)れて家々に蝿親し
尻尾から牛を見る人かすみぐさ
柑投げて野干の脳裂ありうるも
頭を捨つるごとく浮きおり夏の海
晩年や蟹およぐらし水枕
昼からは分ちがたきや麦と浜
老いの父の意外に浮かぶ夏の海
厠壁模を作(な)せば様成れる秋
寒空の椿や拾いつくすまで
今朝獲れし亀は火炎に焼けざるよ
冬近き孔雀は水に遊ぶなり
低空に己れの写し山すみれ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
老母(はは)の家夏の柊組むべかり
夏の雁塔石の隙に塩噴いて
大庭神社は秋の草を看て (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*28
遺跡土にそっと差し込む椿の実 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*29
夏奥羽鉄(くろがね)の水啜りけり
奥海や山も波立つ夏すすき
すぐそばに溺れる机や水芭蕉
浮き上がる鐘を沈めん夏の海
芥の原水のかたちとなるわらべ
永遠や雉子炎え落ちる冬の滝
大小に重なる今時(こんじ)のきのこども (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*30
この男逝く春塵に執しつつ
秋かぜや身体ほどなる厠穴 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
茨(うばら)国影なき鷲を行かしめつ
北堂のあじさい闇に母立てり
深山きのこ打ち上げられて昼の浜
天心に啼き声ばかり餅雲雀
水つまむ箸の力が春の野に
参宮道や失われたる椿の実
冬の日へ羆皮被て立てる子よ
冬鶴に円池踏まれている音か
蝦夷蟬の机上に尿をゆるしけり
*1 定稿では「湧くつばめ」→「飛ぶつばめ」に改稿
*2 定稿では「湯沢を下る死鷺は」→「湯の沢下る死鷺も」に改稿
*3 定稿では「夏」→「初夏」に改稿
*4 定稿では「巨佛に来て空気」→「巨仏辺の空氣」、「属する」→「属して」に改稿
*5 定稿では「声」→「息」に改稿
*6 定稿では「覗くや黄睡蓮を」→「覗くむらさき睡蓮」に改稿
*7 定稿では「鯨(いさな)が」→「鯨(いさな)も」に改稿
*8 「供祭・五句」の詞書の五句目
*9 定稿では「二月(きさらぎ)菜」→「万年菜」に改稿。「供祭・五句」の詞書の三句目
*10 定稿では「青虎杖の」→「紅ばなの」に改稿。「供祭・五句」の詞書の四句目
*11 定稿では「桐」→「桑」に改稿。「供祭・五句」の詞書あり(初句)
*12 「供祭・五句」の詞書の二句目
*13 定稿では「柏」→「樫」に改稿
*14 定稿では「父」→「祖父」、「平(なら)す」→「均す」に改稿
*15 定稿では「父」→「祖父」に改稿
*16 定稿では「枯蔓の三本撚りゆれ」→「枯くさの三本撚りの」に改稿
*17 定稿では「手」→「腕」に改稿
*18 定稿では「故鷲巣繁男氏に二句」の詞書あり
*19 定稿では「鷹に百姓」→「鷲に信徒ら」に改稿
*20 定稿では「耐え」→「耐えて」に改稿
*21 定稿では「石粒」→「石くれ」に改稿
*22 定稿では「藤の門」→「枳穀(きこく)門」に改稿
*23 定稿では「頒つ」→「頒て」に改稿
*24 定稿では「夏の宴に低く」→「夏の宴たかく」に改稿
*25 定稿では「假面を吊す初夏」→「假面吊るせり冬」に改稿
*26 定稿では「鷹」→「鷲」に改稿
*27 定稿では「秋」→「浜」に改稿
*28 定稿では「大庭神社は秋の」→「大庭神社古草が春の」に改稿
*29 定稿では「椿」→「檪」に改稿
*30 定稿では「きのこども」→「あわきのこ」に改稿
第四章
春や地の三本脚なる箸の神
白檀の板に亡父(ちち)ねて夏の波
貌幾千を重ねきて鶏秋黒土
冬虻ひとつ洋花検査官に落ち
近づくものを鏡恐れる青あらし
表紙叩けば書物のなかや冬鼠
雷湧いて土偶に黄蜂やどりけり
鍵に似て手を入れる春濁り空
箒の中へ鼠も消えて寂光院 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*1
極楽落(おとし)をひらけば迅し春の川
夏すすきはや假(け)の賊は作られつ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*2
杖をもて打たる空理のからす瓜
岩鷲や白雲に矢はひそみつつ
小笹原無縫衣をもて相会うや
白鯉釣る眉毛のこと信じけり
師回顧
寒すみれ与奪同機と教わりき
青野わがかけじくに石降りやまず
梅雨蜂は大コーヒにめぐり合え
道踏んで空気に映るや水芭蕉
鶯来るやすももの枝の有限に
棗大樹の力の抜ける真(ま)風過ぎ
岩根に鶫下りるや夏の命令に
椎の固実の沈む大地も老成し
九月西風斑の人を老けさせる
扶桑花の夏至正月のありにけり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*3
永世の樽飲みおるや夏の父
尋ぬれば冬の鯉魚亭おことわり
寒鯉一尾モウ大酒家ハ現ワレズ
貌鳥触れ行く三つの泉の色ちがい
草にねて賤(しず)女は平らとなりゆくも
冬柘榴指(さ)せば白絵に現われつ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
浮鵜覗くや春海上の諸穴を
差し入れる天心雁の止り棹
足(あ)裏より溺れる旅の夏川原
薬師佛魚や鳩のねりあわせ
九月渚を行く真言師むらさきに
老雀容れ空中の椀帰りませ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*4
坐す人の大網膜や秋の暮 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*5
春と秋を現わす一人相撲して (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
秋草野這うは下位の諸霊たち
池に訪う友は鵞鳥の啼きまねを
山毛欅登る空気の刻みに足かけて
春の空いずれは塵となる絵馬も
沙羅の枝の折れる一瞬鳩の旅
塩辛く溺れ難きは熊野海
雲の老父また腸(はらわた)を納めたる
見返れば野荻の総和の倒れたり
愚者の石ふところに立つ麦の花
野の劇の人類の父が撲られき (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*6
行く水に霊もうすきは磧巫女 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
断崖に小雲湧くはや盆の海
竹管おく弟子の耳に雲の声
山桃樹抱き体熱を入れかえき (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
野の菊を銭投げて切る同行人(びと)
地の鷺を舞う関節の音せずに
春乙女立つ複雑な衣裳きて (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*7
ゆび二叉に示すは何ぞ彼岸墓
能因道(みち)帽子で蟬を採りにけり
二月浜弟子の目隠し取るはいま
嫌がる乙女冬虹に押し上げられき
暮春みな煙は元火に帰らんと
鵙の頭をもつ杖なれや秋の人
瓢箪に薬酒を入れれば笑う蟇
漆園に入るやいちどは頭(こうべ)下げ
物の芽の祭服に入るあずま人
おやゆびを口に濡らすや聖四月
かっこうや友生(ゆうせい)に告ぐ雨のこと (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*8
山国の稲を越えつつ白汗の馬
牛を椅子に錯(あやま)る女も行く夏野
箱柳門戸にわれは応えない
門の客去るまで耐えき春の暮 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
千人踊りに入れば出られず雲の峰
無礼の蜂もやがて憩える凌霄花
短気な犬を抱く百姓女秋の浜
老優が現わる柘榴の名園に
大地に坐して秋の峰を行うや (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*9
小雀(こがら)噛み水すこし飲み秋の峰 (『山毛欅林と創造』Ⅴ)*10
鷹は去る春土に武勲詩ひとつ置き (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*11
花山椒牡鹿に瞬時が与えられ
善知鳥遊ぶ海面の穴遠近に
夏の一瞬影の国に鷹降りて
天台書をもち冬鹿に近づかん
夏至の人女陰の中で文字をかき
天道近しと翡翠(かわせみ)の死が枝にあり
野ざらしの骨盤に棲む蜂若し
藤の波の聖霊声をもらす鷹
午後師父の茸中毒運ばれ行く
姫虻近づく野牛(のうし)の舌の甘垂れに
山蛭通るときのみひらき二重門
かっこうやいそしむもよい翻訳に
甕を出て黒松登る翁かも
鷲の野に涙のつぶを拾う箸
野のあらし小袋に没(い)る夏男
睡蓮や中庸の池雨すこし
十字しるしの馬の鼻寄せ白木槿 (『空なる芭蕉』Ⅱ)
巡礼人らあざみの傷を触れ合わせ
凌霄花確かにはるか審神者(さにわ)たつ
四月驢馬布巾(ナプキン)で歯をこすらずに (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
恐るべき春鳶橋の欄干に
月光や秘密の洩れて荻生家(いえ) (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*12
黒鯉の身からの洩れに耐える春
二月われら鷹羽重ね意を交わす
天辺の梯子の亡父よもう落ちず
鷲爪のごとくに指立て四月海
春土いま骼(ほね)から羔を創る友
鯰圧さう田園の神の甥たちが
栴壇蔭にそぞろ歩きを誘う神
山毛欅に父葉守の神に揺すられき
栃の花空中にて主を迎えんや
へりくだる者高めんや青芭蕉
日の下に新しきはなし扇茸
種壺は傾けられき野の宙に
二三の島が逃亡しつつ春の海
肩肉をつき出す花鶏(あとり)の餐宴に
風に現るゝ汝がすべての瓜屋妻 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*13
夏独活のすこし高きに執着の人
十葉の鎮もるほどに数息(すそく)の人
母を誘う父は青野に戯笑(けしょう)して (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
あしゆびほどの諸善男子箒草
大空のいずこか山桃みな落ちて
春山墓一度顔出しもう来ぬ人
青芹掴むや氷の下に手入れて
木斛の庭雨降らしの鼓打つ
花まつり肘と膝もて行く老母
野仏の触れば声あぐ我のみに
さえずりやされど唇(くち)に切る十字 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
夏あらし父立ち諸佛は坐りおる
尊(みこ)なれや稲を渡る足の裏白 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*14
寒椿ひろいそこねて難眼の人 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*15
虻や蝿たちまち入る明眼の人 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
あん入りの土饅頭の墓でよき
乞食桃水遙かなりけりうす氷
死はちかし牡鹿の緑蔭緑想に (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
夏虻は渡るや二つの乳峰を
冬渚あゆみ来てただ一指立つ
恋人よポプラに彫りこむPopulus (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*16
いつからの倒れ須彌なる胡麻の花
小雀(こがら)の脚の見るにも耐えず日供堂
老虻のぼるや海と陸のあいの庭
青野散りゆく伴侶なしに男たち
土壁に躍るは最後の草賊か
岩波におどる原詩の鱒であれ
風見ぐさ無位真人が手折れけり
梅一輪驢はすかさずに師を蹴るも
召命や風に現われ猿子(ましこ)鳥 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
春日下鏡造りの小屋ひくく
能因道(みち)や朴の葉ほどの耳娘
青荻風や神名ノートを隠し持ち
小雀(こがら)は歌う労働蜂をさそいつつ
秋の蝿落ちるは薔薇の一息に
雪山河舞う物部の假面して
一人来て春の墓山踏み固む
冬日輪を押し上げの坂行人よ
茸の森に掴みと握りを行うや (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
猿の皺面つけて春日を迎えけり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*17
木がらしや貌の見えねば大連座 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*18
風をはらみ鷹飼人(びと)も夏の死へ
菖蒲池鍛冶の翁が浸りゆく
野蓮なすすべての糸の元が手に
桑に剣を掛けて忘れる父も子も
さえずりや先二タ割れの舌もいて
風切りの鎌を揚ぐ血がたらたらと
垂れ柘榴一睡十日の父痩せて
辛夷経て養魚の父(おや)が現れき
野荻も知らず牛追い人の正体を
雲に吹かる柘榴は顔を荒くして
九月過ぎて甘き稗原刈るばかり
いばらの上に王なる役者運ばれき
振りむけば老いたる恋人青祈禱
天心に止息の鷺となりおるも
袋をかぶり眼裂二つ冬山河
帰省して夏ねんぶつに囲まるゝ
牛虻が来て黄な財布に入り眠る
むらさきかたばみ相会うは褌(こん)無しに
寒紅(かんべに)や連山高くなりにけり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
卯花聴く狐の耳も蕩(と)けおらん (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
畑土を老神歩むにみみず耐え
青山河千字の紙もて褌(こん)となせ
羽衣草や紐を結べが鎮もれる
冬蝶を知るも知らずも天台の人
坐の人よ眼のなかに散る櫨(はぜ)の花
身をひくめ神将が待つ毛蓼原 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*19
海ゆれる鐘に春蟬あたる時
二月浜足跡人(びと)を追い行くも
秋風や歌詠むほどに耳垂れ女(め)
海へ出てつぐみは休む雲の尾に
青葉みな首(こうべ)をはずして葬らん (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
風の牛はらむや父の一撃に
雪鹿は近し斎(さ)庭の湯の燃えに
冬空の尾が垂れいたり牡丹園 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*20
回廊より一(いち)人こぼれて秋の海
萱の芽に陶のサンダル立つ乙女
冬松林矢印のまま海へ出て
猿の脳啜れば秋の風くろし
岩ひば渡る遊行足(あし)頭に頂かん
樫の一樹を修正しつつ風の家
夏野匍うわれら無月の乳房にて
夏いらくさへ小学の椅子なげ誇る
一滴の水掬わんと秋の海
毒意をかくす夏茸のまま巡礼道(みち)
とねりこの葉音を耳に逝く父や
山の端に止まれる釣るの灌頂位
からたちの実や眼に盗み手で与う
連翹折る勢至という名の兄のごとし (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*21
曇天自在に歩く者こそ不吉なれ
柘榴盛れる食卓を驢馬巡るのみ
振りむけば水蛭掬う少年の春
蕗葉にとるおのが粒尿大切に
おだまきに化作(けさ)の蟇がしずもれる (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
「切られたみみずは鋤を許す」耕氓よ (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
ブレイク「天国と地獄の結婚」より
青山河牛の中にてつまづきぬ
蓬野遠くわが舌を知る女たち (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*22
小穴多き舟泛(う)く父よ秋の海
岬より雲に移れる晩秋の人
終(しまい)湯に現わる二月の難破人
あらゆる匙は角皿を落つ夏嵐
春鳶や来ることもなく空の賊 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
雛一羽残して渡る山がらす
草上や崩れる父母(ふも)に盆の風
翁面の皺落とし去る繁縷ぐさ
波の刻み砂の刻みの出羽西風(いではにし)
岩棚の書物を抜けばつばめ来て
左肩もて宙に入るや金雀枝道
旅人も山翡翠(やませみ)影も固定されて
賊過ぎてのち剣を抜く木賊原 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*23
雨森の啄木鳥に椎すすみ出て
冷え蟋蟀が母の座禅に近づきぬ
釣り浮子(うき)を揺らす愉しみ寒の鮒
蓮を見る蓙に酔うて見劣りの父 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*24
野水を敷いて青木酔叟遙かなれ (『山毛欅林と創造』Ⅵ)*25
荒地牡丹に微酔翁もよからんよ (『山毛欅林と創造』Ⅵ))*26
野菊中嘆き笑いや止酒の人
鳥野涯平石に文字生まれおり
桔梗屋餅菓子めざす日蜂を先頭に (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*27
迷わんや女流のぜんまい並ぶ野に
野焼くや頭に火をもつ鳥もきて
石崖や涅槃の父(おや)が寝袋に (『山毛欅林と創造』Ⅶ-最後の神話-)*28
聖窟や箒に乗せて寒鶏を
税吏来る濁(だく)の酒みな雪底に
岳がらすよろこぶ通草の早割れに
風の僧柘榴に当てるノギスなれ
百棒を願えばひとつ冬菫 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*29
地に近くなる印象の裂柘榴
山河はや雌鹿も氷で包まれき
老鱶は行くべかりはや湾の刃に
芥子(からし)種目ぶたに吹かれ蟲となれ
いずれにも向かわず十一面の秋 (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
山梨のあまた落つ手の届かねば
夏海や一人一棒突かれ消ゆ
寒椿受けるや両手の展開に
父に垂る袋にたたまれ芥子(からし)種
老母這うて菱形餅に遊びけり
尿壺も回りおるらん麦あらし
青葉庭回る孤壺の産むべかり
恰好の小馬(ポニー)現わる青山河
早春の山牛顎を引き出せり
百鴉天を遷ろう火事があり
冬日抱き波羅蜜山を越えにけり (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*30
色糸を垂れれば深鯛涅槃海
国柱あり鵙の舌釘打たれ
鳥海山や童子坐れる滝の裏
夢野なら袂の中なるきりぎりす
二月割れ谷串の乾魚(ひもの)も泳ぐべし (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
能者立つとうもろこしの黄な毛して
浮き板を机となさん四月海
野蜂生(あ)る尿の最後の雫より
青山河いま燕尾服切り落とす
月光菩薩の奥の舌も酩酊せや
真山裏に氷る蛇もありにけり
馬のかたちを渡らすにみな水芭蕉
恐らくは火種くるみの椿の実
釣り上げの鰈は隠れる白雲に
枯原の音を食う鐘いまひそと
中堂や却って眠れる雲がらす (『山毛欅林と創造』Ⅱ)
幼父なら筒に蓬をつめるのよ
鶯は落つグレゴリオの餅声に (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*31
土物(つちもの)の馬出る畠に秋のかぜ
熟柘榴ゆびもて火薬を盗まんや (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*32
冬月光牛裏のこおろぎ耐えるのみ
二月滝やふと御兆(しるし)のこぼれもの (『山毛欅林と創造』Ⅱ)*33
*1 定稿では「中へ」→「中に」に改稿
*2 定稿では「賊は作られつ」→「賊の忍びつつ」に改稿
*3 定稿では「ありにけり」→「来たりけり」に改稿
*4 定稿では「老雀」→「天雀(ひばり)」に改稿
*5 定稿では「秋の暮」→「茅花原」に改稿
*6 定稿では「父が」→「父(おや)」に改稿
*7 定稿では「春」→「春日(かすが)」に改稿
*8 定稿では「雨のこと」→「雨催い」に改稿
*9 定稿では「大地に」→「水辺に」に改稿。「自得・二句」の詞書あり(初句)
*10 定稿では「自得・二句」の詞書二句目
*11 定稿では「鷹は去る」→「鷹巡る」に改稿
*12 定稿では「洩れて」→「洩れいて」に改稿
*13 定稿では「風に現るゝ」→「風となる」に改稿
*14 定稿では「渡る」→「渡れる」に改稿
*15 定稿では「寒椿」→「雪椿」に改稿
*16 定稿では「恋人よ」→「恋の人よ」に改稿
*17 定稿では「春日を」→「春日」に改稿
*18 定稿では「木がらしや」→「枯野波」、「大連座」→「大運座」に改稿
*19 定稿では「毛蓼原」→「深草原」に改稿
*20 定稿では「冬空の」→「冬雲の」に改稿
*21 定稿では「連翹」→「空木(うつぎ)」に改稿
*22 定稿では「蓬野遠く」→「遠く蓬野」に改稿
*23 定稿では「木賊原」→「菖蒲道」に改稿
*24 定稿では「蓮を見る蓙」→「蓮見会筵」に改稿
*25 定稿では「青木正児頌・二句」の詞書あり(初句)
*26 定稿では「牡丹」→「野菊」、「微酔翁」→「昏睡臾」に改稿。「青木正児頌・二句」の詞書二句目
*27 定稿では「日蜂」→「小雀(こがら)」に改稿
*28 定稿では「父(おや)」→「人」に改稿
*29 定稿では「冬菫」→「冬牡丹」に改稿
*30 定稿では「冬日抱き波羅蜜山を越えにけり」→「春日抱き波羅蜜山(やま)を越え行けり」に改稿
*31 定稿では「鶯は」→「冬雲雀」に改稿
*32 定稿では「ゆびもて火薬を盗まんや」→「ゆび入れ火薬を掘り出さん」に改稿
*33 定稿では「二月滝」→「二月凍滝」に改稿
H14・3・12
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■