万緑や総身も輪の積み上げぞ
『安井浩司「俳句と書」展』公式図録兼書籍をパラパラと眺めていると、安井さんはつくづく一筋縄ではいかない作家だなぁと感じてしまうことがある。巻頭の方に『安井浩司自選一三〇句』が掲載されているが、僕が安井さんの秀句・名句として記憶している作品がだいぶ抜けている。作家と読者の選択眼は違うと言ってしまえばそれまでだが、安井さんには読者におもねる姿勢が一切ない。墨書はさらに頭を悩ませてしまう。書のために作品を選んだのだから、そこには墨書を書くための審美眼が働いているだろう。しかしやはり愛着のある句が選ばれているはずだ。その愛着のありかを探るのが、なかなかに難しいのである。
■『句篇』(平成十五年[二〇〇三年])より■
乳頭山の春より現れ始むべし
万緑や総身も輪の積み上げぞ
月光や無熱の崖下に転ぶ我
西の空に龍重体となる美しき
厠から天地創造ひくく見ゆ
瓢箪を蹴れば空国(からくに)ひびきけり
万物は去りゆけとまた青物屋
(『安井浩司自選一三〇句』より)
安井さんは『自選一三〇句』で、句集『句篇』から七句選んでいる。このうち『万緑や総身も輪の積み上げぞ』『月光や無熱の崖下に転ぶ我』がなぜ選ばれたのか、直観的にパッと理解することができない。僕ならこの二句の代わりに『おとこ尊くおみな老いたり星祭り』、『老農ひとり男糞女糞を混ぜる春』を選ぶだろう。ただ逆に言えば『万緑や』と『月光や』の二句が、僕がまだ理解できていない安井文学の側面を照射していることになる。またこれらの作品は、『万緑』(夏の季語)と『月光』(秋の季語)、プラス『や』という切れ字の古典的顔つきで始まっているが、その表現内容はかなり厄介である。
ちょっと話が脇に逸れるが、僕の大学時代には古典的文学青年がまだ棲息していた。彼らは古今東西の作品を読みあさっては、喫茶店などで飽くことなく議論していた。小説家志望の文学青年が多かったが、友達に俳句を書いている学生がいた。彼に誘われて数回だが句会に参加したことがある。その場で題に即して順番に俳句を詠む力などなかったから、あらかじめ書いておいた句を持ち寄るのである。彼が所属していた結社から年上の俳人が来て批評してくれたことが一度あるが、後は学生だけの相互批評会だった。各参加者が最後に優れていると思う句を選び、一番票が多かった句がその会での秀句となるわけである。
僕はその後俳句に魅了されることはなかったが、それでも俳句は面白い表現だとつくづく思った。簡単に言えば、句会では作品に対して自己がいかに客観的でいられるかが試される。俳句は基本的に十七文字の短い表現だから、嬉しい、悲しい、さみしいといった感情を言葉で切々と表現することができない。なんの変哲もない言葉を選び、それを中心に感情を表現しなければならない。
しかし特定の言葉への〝思い入れ〟は禁物である。思い入れがある言葉であればあるほど、参加者から『わからない』、『伝わらない』という批評を受けてしまう。俳句で句会が必要だと言われているのはこのためなのかと思った。句会は自己と言葉との距離が適切に保たれていることを確認するための、修練の場でもあるだろう。実際、自己の中に他者を設定するようにして客観的に句を作った方が、句会での評判は良かった。
学生時代の一過性の遊びに過ぎないが、この時の体験は僕の中に長い間残った。伝統的な客観写生俳句を好むことはなかったが、作家の温もりが感じられるような主観的作品を嫌うようになったのは確かである。しかし文学金魚の企画で安井さんの俳句を腰を据えて読み始めて、当たり前だが句会的俳句のさらに上のレベルがあることに改めで気づいた。
俳句文学では、自己と言葉の間に適切な距離を取らなければ良作を生み出せないのは確かである。しかし子規の明治初期ならいざ知らず、そのような客観写生的態度は今では俳句の初歩だ。伝統俳句ならここから無数に存在する季語や難語をどう作品に取り入れるのか、切れ字等をどうやって使いこなすのかといった技法の問題に移るだろう。しかし俳句を〝現代文学〟として捉える作家の場合は、俳人固有の観念的主題をいかに客観化して表現するのかが次のステップになると思う。
いわゆるプロと呼ばれる俳人たちがぬるい主観的俳句を書くことはない。しかし自己固有の観念を表現すれば、突き放した客観表現であろうと難解な作品となる。もしそういった難解作品を句会に出しても評価は芳しくないだろう。またそのような作品を合評してもあまり意味がない。問われているのは写生俳句や句会的俳句の上位審級にある俳人の〝作家性〟、つまり作家の確信の深さだからである。その場限りの相互批評や宗匠による添削などは、むしろ作家の個性を潰してしまいかねないとも言える。
安井さんの『万緑や総身も輪の積み上げぞ』を素直に読めば、〝夏の強い日射しを浴びて濃く生い茂る草木の緑の中で、人間の全身もまた中が空洞の輪が積み上がったものである〟ということになろう。問題は言うまでもなく『輪』である。この『輪』がなにかの喩であれば、その実体を特定することで作品は簡単に読み解ける。謎はなくなるのである。しかし『輪』は喩ではあるまい。この作品は観念的だが、『輪』は輪投げの『輪』以上の意味を持っていないと思う。
万緑や総身も輪の積み上げぞ(『Ⅰ-乳頭山よりー』)
荒地菊や輪よりも貴き車軸棒(同)
鳶の輪下に霊石を積む意味ひとつ(『Ⅲ-夏への旅-』
句集『句篇』には、円い輪という意味の単語を含む句が三句ある。『荒地菊や』では〝輪よりも車軸棒の方が貴いのだ〟と表現されている。『鳶の』は〝鳶が描く輪の下に霊石を積む意味はひとつある〟という意味内容である。『輪』は単純に中空で円形の物体という意味で使われている。しかし『輪』の上位審級にあるのが『車軸棒』であり、それは『霊石』だと読解できる。つまりここには周縁(外殻)と中心(中核)という対概念が設定されている。『車軸棒』や『霊石』という中心概念(観念)を直截に表現できるなら、安井さんは迷わずそうしただろう。直接的な表現が不可能だから『輪』が現れたのだと言うことができる。
また『輪』と『車軸棒(霊石)』は、言い換えれば周縁と中心は切り離せない。堅固な外殻があるから中核が保たれるのである。『句篇』の安井さん自選句に即せば、『瓢箪を蹴れば空国(からくに)ひびきけり』ということになる。『瓢箪』の中は空である。しかしその外殻を蹴れば、空でありかつ国である中核が音を立てるのだ。『輪』には安井さんの最新句集『空なる芭蕉』に連なる中核理解-すなわち俳句〝本質〟理解が表現されているだろう。安井さんは『空なる芭蕉』の後記で『芭蕉は、東洋において空なる植物と謂われる。(中略)茎なす葉鞘を捲るほどに、その中核の実体は遠く、遂に無体になることに由来する』と書いている。
そのような理解に立てば、『万緑や』と並んで理解し難い『月光や無熱の崖下に転ぶ我』の表現内容もおぼろに伝わってくる。月の光には太陽のような熱はない。だから『月光や無熱の』は当たり前の常識を表現していることになる。転調は『崖下に転ぶ我』で起こる。〝我=私〟は謎などなにもない日常を離れ、冷え冷えとした月光すら届かない崖の下であえて転ぶのである。この句には微かに自嘲的な安井さんの自己認識が込められているように思う。安井さんのような方法で俳句文学のアポリアに躓いた詩人はいない。俳句の実体はあるが、それは形式を叩くことによって聞こえる霊的な音のようなものである。
美術流通的な価値について書いておくと、実も蓋もないが俳人の書は代表句であればあるほど後になって値が上がる。しかし持ち主によってその価値が決まる作品もある。『万緑や総身も輪の積み上げぞ』は安井さんによる一種の述志の句である。夏の盛りのように気力・体力が充溢していなければ、俳句芸術の不可知の内実を封じ込めることはできないということである。誰が持っていても魅力を放つような作品ではない。様々な人の間を転々とするだろうが、この墨書は持ち主を選ぶだろう。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■