岡野隆さんの詩誌時評『No.033 月刊俳句界 2015年11月号』をアップしましたぁ。桂信子さんの俳句を取り上げておられます。大正3年(1914年)生まれで平成16年(2004年)にお亡くなりになった女流俳人です。日野草城に師事して句誌『草苑』を主宰されました。モダニズム系の俳人としても知られます。

 

岡野さんは桂さんの俳句について、『桂信子を有名にした初期俳句は、題詠「エロス」あるいは「女身」といった類のものである。当時の俳句界の主流は戦後左翼的アンガージュマンに彩られた社会性俳句だったわけだが、それに背を向け異を唱え、独自の表現領域を開拓するような域には達していない。(中略)思えば日野草城「ミヤコホテル」連作の時からしてそうだった』と書いておられます。

 

また草城の『ミヤコホテル』連作について、『大正後期から昭和の初めにかけては私小説の全盛期である。小説界では露悪的でエロチックな作品がたくさん書かれていた。この程度の表現内容で、大の大人だった俳人たちが不謹慎、猥雑と騒ぎ立てるはずもない。「ミヤコホテル」連作がスキャンダルになったのは、本質的にはそれが俳句コードに抵触したからである。要するに俳壇大本営である花鳥風月コードにふさわしくない異端として排斥されたのだ』と批評しておられます。明快にバッサリ切り捨てておられますね。これは意図的だと思います。そうしないと問題の本質が明らかにならない。

 

俳人さんたちって、ほんとに不思議な方たちです。俳壇が結社主体で、待ってました定年的に、俳句を詠んで楽しく余生をくらしたい善男善女が集まってくる習い事サークルが主流なのは周知の通りです。若くて意欲的な俳人たちは、もちろんそういった俳壇母集団の上をゆく、いわば〝高尚な俳句活動〟をしていると思っているわけですが、どーも腰が据わらない。

 

若手俳人に前衛俳句についてどう思うかと聞くと、知らないとか、もうあれは終わったとかいふ答えが返ってくる。いわゆる伝統俳句について聞くと、伝統俳句なんてものは存在しないとか、ああいう習い事俳句とは違うことをやっているんだ、といった答えです。でもなにか新しいことをやっている気配はぜんぜんない。コソコソ前衛的な俳句を詠みながら、俳壇を牛耳っている伝統系の偉い先生方に認められ、俳壇で出世することを期待しているような感じです。体制内反体制勢力のようなもので、いずれ俳壇の主流に飲み込まれてゆくんでしょうな。俳句について原理的に考え、俳句文学を活性化するつもりがないなら、大人しく大結社に入って出世の道を模索した方がよござんす。

 

どんな文学ジャンルでも『ではない』と言っていたのではダメなのです。現状に異和を覚えるなら、意図的に問題を明快に整理し、対立項を作って、その上で自己の新たなヴィジョンを開示する必要があります。少なくとも現実俳壇に身も心もどっぷり漬からずに、もっと広い視野を持った方がいいです。たとえば〝俳句はなぜ多くの日本人にとってお遊びなのか?〟といふ問題を設定し、それについて真剣に考えることでも俳句文学の本質に迫れるのです。

 

 

岡野隆 詩誌時評 『No.033 月刊俳句界 2015年11月号』 ■

 

 

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