岡野隆さんの詩誌時評『No.029 月刊俳句界 2015年07月号』をアップしましたぁ。『俳句再入門~実はわかっていない俳句のこと』を取り上げておられます。岡野さんは、『俳句は〝習うもの〟つまり〝習い事〟である。これは俳句芸術の基本だが、(中略)なにも先生に手取り足取り技術を教えてもらうことではない。俳句に本気になれば、いずれかの時点でなぜ俳句は五七五なのか、なぜ季語が必要なのかを考えなければならなくなる。(中略)俳句には参照すべき〝本体〟がある。(中略)俳句初心者でもベテラン俳人でも、常に倣う・習う姿勢がなければならないのは同じである』と批評しておられます。

 

また『一方で、文学には作品にどうやって〝現代〟を取り入れるのかという問題がある。(中略)しかしまず何よりも古典に倣い、習わなければならない俳人の精神はどうしても保守化してしまう傾向がある。(中略)ただ現代人が詠むのだから、現在詠まれている俳句には自動的に〝現代性〟が含まれると考えるのは少し楽観的過ぎるだろう。(中略)現代俳人だが、物故した直後からその現代性が色あせ始めることが多い。現代性はそれを取り入れようとする作家の意志がなければ作品には反映されない』とも批評しておられます。

 

石川は文学金魚編集人をやるようになってから、歌誌、句誌、自由詩の雑誌を読むやうになっていますが、いちばんマトモなのは意外なことに歌誌ですねぇ。マトモとはどういふことかといふと、作品評価がリベラルであること、その判断を下す権限を持つことが多い中堅以上の作家を信頼できるといふことであります。ベテランと呼ばれる作家が揺らいでいると、下の方までその歪みが伝わってしまふ。俳壇は高濱虚子以降、結社所属作家優遇主義を基本としております。自由詩壇はよくわかりませんな。石川には崩壊寸前に見えますが、結社保守主義に固まった俳壇に比べれば、新しい動きが生まれる可能性があると思います。

 

通されて深山のごとき夏座敷

五月雨や竹あるかぎり竹の節

風鈴のほかは加へず母の部屋

冥途よりこの世暗しと蟬しぐれ

すててこの脛より父の老いて来し

しやがむ子に蟻も地べたも限りなし

 

今回の時評では、岡野さんが引用しておられる柴田佐知子さんの句が良かったです。撞着的表現が多いですが、俳句がミニマルな場所(視点)から、宇宙的と言って良い広い場所に拡がってゆく芸術だといふことをよく示しています。

 

 

岡野隆 詩誌時評 『No.029 月刊俳句界 2015年07月号』 ■

 

 

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