鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第39回 浄法寺塗(後編)』をアップしましたぁ。『岩手の漆器は「秀衡椀」、「南部塗(南部箔椀)」、「正法寺椀」、「浄法寺塗」の四種類に大別される』と書いておられるやうに、浄法寺塗は秀衡椀から続く東北の漆器です。ただ漆器は制作された場所(遺跡)を見つけにくいため、相関関係を明確にしにくいのでふ。

 

秀衡椀の由来になっている藤原秀衡は・・・源義経を匿って源頼朝と対立した平安末の武将である。・・・古くても江戸初期の作だろう。・・・奥州平泉は江戸時代は伊達家仙台藩の所領だった。・・・江戸初期に、これだけ豪華な漆器を作れたのは伊達政宗公だけかもしれない。秀衡椀という名称(伝承)も、一時は日本国の覇王を目指した政宗公らしいとは言える。・・・岩手では恐らく江戸中期にはすでに幻となっていた秀衡椀を模倣して、浄法寺エリアで貴人向けの南部箔椀(南部塗)が作られた。それと平行して庶民向けの浄法寺塗が製作されたわけだが・・・それらは遠く平安・鎌倉時代の作を憧憬している。その憧憬の強さが一種独特の華やかさとオリジナリティを生んでいるようだ。

 

秀衡椀→南部塗→浄法寺塗と続く岩手の漆器の系譜を、鶴山さんは明快に説明しておられます。大胆ですが、説得力のある仮説だと思います。芸術や学問の世界で魅力ある仮説はとても大事です。反対するにしても証明が必要で、それが人間の知を前進させることになるからです。

 

鶴山さんはまたアイヌ所蔵の漆器についても書いておられます。『江戸後期になるとアイヌ所蔵品に浄法寺塗が増える。幕末から明治になると漆器の大半が会津塗になる。これは経済原則を示唆しているようだ。産業としての浄法寺塗は幕末には衰え、新たに台頭してきた会津塗に市場を奪われたのである』とあります。こりはその通りですね。

 

 

鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第39浄法寺塗(後編)』 ■