ラモーナ・ツァラヌさんの『青い目で観る日本伝統芸能』『No.021 文化の交差点に甦るギリシャ悲劇――錬肉工房『オイディプス』』をアップしましたぁ。今年の3月27日に座・高円寺2で公演された鍊肉工房の『オイディプス』を取り上げておられます。『オイディプス』はソポクレスの代表作ですが、日本語テキストは詩人の高柳誠さんです。構成・演出は岡本章さんで、鍊肉工房らしく現代演劇と能楽を融合させた舞台です。江戸糸あやつり人形座の田中純、塩田雪さんも公演に参加しておられます。

 

ラモーナさんは、「『オイディプス』では、演技面で能楽に由来する面白い工夫が見られる。この作品の主な登場人物であるオイディプス王とその后・イオカステは、複数の役者によって演じられる。役はただ一人の役者の身体に固定されず、役者から役者へ、または役者から人形へと移動しているのだ。自分の記憶を語る声は、本当は独自の身体を持たない幽霊の声であることがこの工夫によってさらに明確になる。能でも主人公やその物語を聞く人物のセリフの一部分は地謡で謡われる。主人公の役は演者の身体に固着しているわけではないのである。現代演劇で役と役者の身体を別々のものとして扱う方法は前衛的で、新鮮な効果を生み出す」と批評しておられます。

 

演劇は人間が生み出した文化の中で最も古い形態でありながら、いつの間にか文学とはあまり関係のないジャンルと見なされるようになっていきました。作家たちは1960年代から70年代あたりまではジャンルの垣根を越えて盛んに交流していましたが、その後、それぞれのジャンルに専心あるいは埋没していったのです。それはそれで理由があり、またそれなりの成果も生み出したのですが、現代文学はどのジャンルにおいても激しい行き詰まりの気配を濃厚に漂わせています。〝新しいアイディア〟が生まれてくることがほとんどないのです。

 

かつて〝新しさ〟とは皆が知らないアイディアであり、それを作家の才能と呼んでいた面があります。しかし情報化社会では誰もが〝知っている〟という状況の中で、なおかつ新しさを表現しなければなりません。いち早く未知の情報を仕入れ、それを消化して日本文化における新しさを演出するという方法はほぼ不可能になったわけです。

 

こういった状況の中では、ある文化の中で最も古典的なジャンルで何が起こっているのかを検証するのも一つの方法だと思います。能を含む演劇や短歌・俳句などは日本文化の基層です。そこで起こっていることは、世界の変化に直結している可能性があります。文学金魚では今後、ちょいと演劇ジャンルに注目してゆきたいと思いますぅ。

 

 

ラモーナ・ツァラヌ 『青い目で観る日本伝統芸能』『『No.021 文化の交差点に甦るギリシャ悲劇――錬肉工房『オイディプス』』 ■