【公演情報】
会場 座・高円寺2
鑑賞日 2015年3月27日
作 ソポクレス/高柳誠
構成・演出 岡本章
音楽 細川俊夫
出演 桜間金記(能楽)
田中純(糸あやつり人形)
笛田宇一郎(現代演劇)
鵜澤久(能楽)
塩田雪(糸あやつり人形)
岡本章(現代演劇)
牧三千子(現代演劇)
宇宙の始まりを連想させる闇の中で、最初に響くのは音。破裂音の連続は動きを生み出し、諸元素を引き寄せて、やがて光と闇が分裂した星空の形となる。その星だけを目撃者としながら、遠い昔に死の世界へと去った者たちの声が甦り、記憶を語り合う。古い異国の国王の記憶の中で、一つの神託によって王自身の出自に関する真相の究明がはじまる。誰よりも先にその真相に気付いた后は、必死に王に出生の秘密の探求を止めるよう願う。何があろうと真実を求める王は、やがて自分は己の父親を殺害し、知らぬうちに実の母親と結婚してしまったことを知る。自分が治めるテーバイ王国が疫病に襲われているのは、神々の怒りを招いた自分の重い罪のせいだと悟った王は、責任を取る決心をする。すでに自害した后の衣の留め金を使って王は何度も自分の両目を突き刺す。世界が崩壊するかのような激しい音に包まれ、光がなくなった宇宙はまた静寂と静止に戻る。
錬肉工房の『オイディプス』は、ソポクレスの原作を基にしながら、オイディプス王の物語に宇宙的な次元を加えた夢幻能の形で上演される。台本を手がけ、ギリシャ悲劇と能楽の世界を現代詩の言葉で結びつけたのは詩人の高柳誠である。この作品はギリシャ悲劇に題材を求め能の一種類である夢幻能の構造を借りてはいるが、あくまで現代演劇であり、多様なジャンルの舞台芸術を背景にした出演者たちの共演によって成立した。
演劇ユニット錬肉工房は1971年から活動しており、能楽の要素を取り入れた実験的な現代演劇作品を発表し続けている。このユニットの主宰者である岡本章は、能独特の演技や世界観、作品構造の根底にあるものなどを現代演劇で活かしつつ、新たな舞台表現の可能性を探検している。1989年がら始まった現代能楽集の連作は、錬肉工房が追求している演劇表現の結晶だといえる。主な作品として『水の声』(1990年初演)、舞踏家の大野一雄が出演した現代能『無』(1998年)、ハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』の上演(1998年)、宮沢賢治の原作を基にした現代能『春と修羅』(2012年)などが挙げられる。いずれも能や現代劇といった演劇ジャンルはもちろん、小説や詩などの文化ジャンルの垣根を越境する作品である。
『オイディプス』は2010年に上演された『バッカイ』に続く、ギリシャ悲劇に基づいた二つ目の現代能である。ソポクレスの原作に新たな命を吹き込んだ高柳氏の詩は、現代演劇の俳優三人、能楽師二人、そして二人の糸あやつり人形遣いに操作される人形の身体によって、観客の目の前に死者たちの対話として展開される。死者を登場させ、彼らに記憶を語らせる設定は夢幻能の構造である。
夢幻能では、遠い昔の出来事と縁のある場所に来合わせた旅人の夢の中に、一人の人物の幽霊が現れる。幽霊は自分の物語を語ってから旅人に弔いを乞う。この形式では過去が忠実に再現されるのではなく、記憶が呼び起こされるのである。記憶は主観的で曖昧であり、時空間の制約を乗り越えることができるので、異国の物語や過去の出来事などを語る際にとても便利な表現形式として活用できる。『オイディプス』はギリシャ悲劇だが、現代的な視点から夢幻能の構造が取り入れられている。
たとえば『オイディプス』では、演技面で能楽に由来する面白い工夫が見られる。この作品の主な登場人物であるオイディプス王とその后・イオカステは、複数の役者によって演じられる。役はただ一人の役者の身体に固定されず、役者から役者へ、または役者から人形へと移動しているのだ。自分の記憶を語る声は、本当は独自の身体を持たない幽霊の声であることがこの工夫によってさらに明確になる。能でも主人公やその物語を聞く人物のセリフの一部分は地謡で謡われる。主人公の役は演者の身体に固着しているわけではないのである。現代演劇で役と役者の身体を別々のものとして扱う方法は前衛的で、新鮮な効果を生み出す。
さらにギリシャ悲劇と能楽が結びつくもう一つの共通点がある。夢幻能では幽霊の物語を聞いた者の祈りによって死者の魂が成仏する。記憶を語ることが成仏に至るための懺悔になるわけだ。主人公の成仏を目撃し、その魂を浄土へ見送る観客の精神状態は、アリストテレスが『詩学』で「カタルシス」と呼んだ精神の浄化と似ているだろう。アリストテレスは悲劇を観る者の心の中に呼び起こされる感情は精神を浄化する役割を果し、それが悲劇を観るメリットであると論じている。能楽の世界でそのようなアリストテレス的カタルシスが論じられることはないが、波乱に満ちた記憶を告白する人物の物語は観客の心を激しく揺さぶる。そして彷徨う死者の魂がやがて安らぎを得ることは、観客の心を安堵させる効果を持っているだろう。
ヨーロッパと日本文化の古典であるギリシャ悲劇と能楽が、根源的なところでどこまで共通しているのかに関してはまだまだ議論の余地がある。しかし錬肉工房の『オイディプス』は、作品構造の面でも演技の面でも、二つの文化の演劇形式を反映した意欲的作品だった。異国の古典に取り組むために能楽、現代演劇、そして糸あやつり人形の芸を代表する出演者が力を合わせ、交流しながらそれぞれのジャンルの制約を超越しようとする姿勢は希有な例として特筆すべきである。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■