星隆弘 連載評論『翻訳の中間溝――末松謙澄英訳『源氏物語』戻し訳』(第06回)をアップしましたぁ。紫式部著の『源氏物語』の末松謙澄英訳の星隆弘さんによる日本語戻し訳です。今回は第三帖「箒木(ははきぎ)」です。雨夜の品定めとして有名ですね。光源氏と親友の頭中将が理想の女性についてあれこれ品定めをする場面が中心です。
儒教が入って来て以来光源氏の色好みは身勝手なスケベといったふうに俗解されることもありましたが、んなことあるわけがない。まず当時は平均寿命が短かった。幼児死亡率も高かった。子孫を残すのが急務だったわけですが、『源氏』を読めば明らかなようにその手順は非常にソフィスティケートされていました。もちろん平安時代は古代母系社会から男系社会になっていて男性貴人の力が強かった。夫や愛人の色好みに悩む女性が多かったのも確か。しかしそれはいつの時代でも人によります。光源氏の色好みは最高に洗練されていました。
金魚屋刊の『文学とセクシュアリティ―現代に読む『源氏物語』』で小原眞紀子さんは、恐らく初めて『源氏』を一貫して女性作家・紫式部が書いた小説として読み解いています。どんな時代でも社会の大枠は個の力では変えられない。平安貴族社会が男性社会だったのは確かですが、女性作家が男の身勝手な色好みを許すはずもない。
今回の戻し訳でも光源氏の「ときには良い家柄に生まれながらも身を持ち下げて、卑しく落ちぶれた様にはもう位高(くらいだか)の時分の栄えなど見る影もないというのもある。片や、低い生まれに発して官位を昇り上がり、此見よ顔で仰々しい屋敷を構えて、誰彼となく見下しているようなのもいる」という言葉が訳されています。光源氏は「しかし、一つとて見どころのない人などいるものかな」とも言います。
この雨夜の品定めはその後の光源氏の女性好みに明確に反映されています。彼は女性を美醜で選ばない。また男の貴族が生まれた家柄に縛られ出世に上限があるのに対し、女性はその生まれにかかわらず美貌と才覚次第で殿上人になれるのを知っています。それをルッキズムと批判してキャンセルしても仕方がない。女権社会になれば男性が『源氏』の女性の立場になるだけのこと。光源氏が理想のプリンスなのは社会制度の大枠に雁字搦めに縛られながら、その懐の中で異なる美質を持った女性たちを理解し愛したからです。
■星隆弘 連載評論『翻訳の中間溝――末松謙澄英訳『源氏物語』戻し訳』(第06回)縦書版■
■星隆弘 連載評論『翻訳の中間溝――末松謙澄英訳『源氏物語』戻し訳』(第06回)横書版■
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