池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第03回)をアップしましたぁ。今回はザ・バンド後期に発表された『南十字星』中心の評論です。特に「Jupiter Hollow」という曲が中心です。
フランスの批評家モーリス・ブランショは、批評集『来るべき書物』(一九五九年)の中でこう書いている。「詩の現存とは、来るべきものである。つまり、それは、未来をこえてやってくるものであり、現にそこにありながら来ることを止めない」(粟津則雄訳)。この表現を借りて言えば、ぼくの考える「来たるべきロック」とは、「未来をこえてやってくるものであり、現にそこにありながら来ることを止めない」音楽のことだ。
池上晴之『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』
「現にそこにありながら来ることを止めない」表現をどう模索するのか、どう獲得するのかは作家の永遠のテーマだと言っていいでしょうね。たいていの場合、それには媒介が必要です。作家によって美術だったり映画、音楽だったりします。文字を表現手段とする作家が文字だけに興味を集中させてもなかなか上手くいかない。
例えば村上春樹さんは音楽からかなりの啓示を受けています。文学金魚の作家では遠藤さんは恐らく映画が啓示の素です。ある意味魅力的な惑星の磁力によって、少なくとも自分の中にはない新たな表現を作り出してゆこうとする。池上さんの『ザ・バンド論』は文学論でもあります。
■池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第03回)縦書版■
■池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第03回)横書版■
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