寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第22回)をアップしましたぁ。今回から子どもが生まれて第二部といったところです。当たり前ですが子どもに関しては、生まれたというだけでは終わりませんよね。そこが妊娠出産小説の面白いところであり難しいところでもあります。
鶴山裕司さんが『正岡子規論』「Ⅴ 散文革新」で書いておられるように、日本の私小説は俳句的四季の循環性で物語を閉じてしまうところがあります。私小説は人間の自我意識の苦悩を描く小説ですが、たいていの小説家は善人です。だから極めて残酷、という物語の落とし所を嫌う。救済として子どもが生まれた、雨の後は晴れる、辛い時期の後には楽しい時期が来るという循環性に物語の落とし所を求めてしまうわけです。
ただそういった日本文学のクリシェとも呼べる物語展開は手垢がついてしまっています。しかも作家が善人であり、世界の秩序を壊す側ではなく守る側、あるいは新しい秩序を提示する側にいるのは確かです。日本文学を相対化して、さらに新たな文学のヴィジョンを提示する時期にさしかかっていると思うわけです。
■寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第22回)縦書版■
■寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第22回)横書版■
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