No.144『古代DNA―日本人のきた道―』展
於=国立科学博物館
会期=2025/03/15~06/15
観覧料=2,100円(一般)
カタログ=2,500円
名古屋市科学館に巡回(2025/07/19~09/23)
前にも書いたが国立科学博物館旧本館設計者は昭和初期の文部技師・糟谷謙三である。上から見ると建物が飛行機の形をしている。斬新な設計だ。東京上野の美術館・博物館ではル・コルビュジエ設計の国立西洋が有名で世界文化遺産に登録された。が、どーも気に入らない。何度も通っていればわかるが渡辺仁設計の東京国立博物館本館や片山東熊設計の表慶館、それに飛行機型の科博の方がずっといい。建築の良し悪しは外観だけでは決まらない。最も重要なのは導線だ。これはまあわたくしの偏見かもしれないが、建築家は有名になると〝俺の建物に人間の方が合わせろ〟になりやすい。公共建築であれ私邸であれ有名建築家に丸投げはお勧めしない。ロクなことにならない。コルビュジエの国立西洋は使い勝手が悪い。採光なども含めた美術館導線は東博や科博の古い建物の方がずっと優れている。国粋主義者ではないが、コルビュジエだかなんだか知らねーけどさ、と言いたくなってしまう。欧米コンプレックスもほどほどに。
科博の展覧会を取り上げるのはこれで三度目である。前回取り上げたのは『ミイラ展』だが小心者のわたくしはマジびびった。ミイラはエジプトが有名でパブリックイメージはキレイに装飾された柩である。南米ペルーのミイラも布にくるまれている。遺体は隠されているわけだ。しかし日本の即身仏様は剥き出しの遺体だ。ミイラの存在は知っていたがミイラ作りの技術がなかったので修行者は絶食したりして遺体が腐らないよう独自に工夫した。そして死後自分の遺体(ミイラ)が人々に公開されることを望んだ。メメント・モリである。会場で間近で尊い即身仏様を見て、善男善女の一人であるわたくしはううっと死を恐れたのでありました。
で、今回の『古代DNA―日本人のきた道―』展はちょっとだけ『ミイラ展』と関係がある。人類がアフリカ発祥で、アフリカから全世界に人類(ホモ・サピエンス)が広がったことは今では科学的に実証されている。この実証が得られたのはDNA解析技術が格段に進歩したからである。遺跡などから発掘(発見)された古い人骨などに少しでもDNAが残っていれば解析可能となった。DNAはいわば人類(ホモ・サピエンス)の永遠の生命である。科博の展覧会は派手さがないので美術展時評で取り上げにくいが大いに知的好奇心をそそられる展覧会が多い。
『DNAと遺伝子、ゲノムの関係』
『古代DNA―日本人のきた道―』図録より
まずDNAの仕組みから。単純にDNAと呼び習わしているが、DNAは生物の細胞核の総称である。この細胞核をゲノムと呼ぶ。人間の場合はヒトゲノムである。ヒトゲノムの中には23対(計46本)の染色体がある。よく知られているように染色体は細い糸のような形状だ。この染色体の中に遺伝子情報であるDNAが書き込まれている。アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4つの塩基がDNAの構成要素だ。DNAから構成される遺伝子情報は2万種類以上だがそのすべての情報(核ゲノム情報)を、しかもわずかに残った骨などから解析できるようになったことで太古の昔から現代に至るまで人間がどのように地球上を移動し交雑して来たのかが科学的に実証できるようになった。
わたしたちの身体は膨大なタンパク質から構成される。このタンパク質をどう作るのかという設計図がDNAである。肌や目の色などわたしたちの身体の隅々までを規定するのがDNAということだ。「ヒトの(身体の)設計図を1冊の本に例えると、文字にあたるのがDNA、文章に相当するのが遺伝子(の並び)、そして本に相当するのがゲノムということになる」(国立科学博物館館長・篠田謙一)。
人間は両親から遺伝子を一つずつ受け継ぎ子どもにはそのどちらかの遺伝子を渡す。そうやって遺伝子情報はランダムに混ぜ合わされ変化していく。が、それ以外にも新たな遺伝子が生み出される仕組みがある。親から子に受け渡されるDNAは完璧にコピーされるわけではない。稀にコピーミスを起こす。突然変異である。有害な突然変異だと病気になったりするがたいてい無害だ。ただ親が持っていなかった様々な特徴が現れることになる。この変異が生活環境に適した形で現れると子孫を残しやすくなる。日本人が海藻などを消化できて欧米人にはできないといった人種的特徴はそうやって生じた。
〝わたしたちはどこから来てどこに行くのか〟という問いかけは人間(人類)にとってとても重要だ。どんなに現代的変化が劇的に見えようとそれは過去の人類史の延長上にある。この人類史を解き明かすための学問ジャンルは考古学、言語学、人類学など様々だ。古代DNA研究はこれらの学問ジャンルに確実な科学的裏付けを与えてくれる。様々な人文学的学問ジャンルが科学的裏付けを得てさらに進化可能になったのである。
『縄文人と現代アジア集団の主成分分析の結果』
同
古代DNA解読技術を確立したのはドイツのマックス・プランク人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士である。その功績により2022年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。それまでヒトゲノムはミトコンドリアDNAの解析のみ可能だったがペーボ博士が核ゲノム全体の解析に成功したのだった。その結果ミトコンドリアDNA解析では絶滅したと考えられていたネアンデルタール人(約4万年前までユーラシア大陸に居住していた旧人類)のDNAがヨーロッパ人やアジア人のゲノムに含まれていることが明らかになった。ネアンデルタール人と現生人類(ホモ・サピエンス)は交雑していたのである。これにより人類進化史はまったく新しいフェーズに入った。交雑によるDNAの変化で人類史(民族史)を跡づけられるようになったのだった。
日本に注目すると列島にホモ・サピエンスが到達したのは約4万年前である。ゲノム解析によるホモ・サピエンスの出アフリカは約6万年前であり、約2万年かけて人類は列島に到達したことになる。縄文人と呼ばれている人々である。縄文人のゲノム(遺伝子)が現代日本人の基層になった。
『縄文人と現代アジア集団の主成分分析の結果』はヒトゲノム中に存在するSNPと呼ばれる1塩基の違いをデータ化したものである。SNPはヒトゲノムの中に1000万箇所以上存在するが一定期間以上ある集団(民族)が持続すると婚姻によってSNPが集団内に広がってゆく。その違いによって民族の移動や違いが明らかになるのである。
図からわかるように緑の丸で囲まれた現代日本人のSNPが一番縄文人のSNPに近い。純粋な縄文人はもう存在せず絶滅してしまったが、その遺伝子は最も日本人に受け継がれている。また現代日本人の遺伝子と韓国、北京漢民族、北方少数民族のシベ族は比較的近い関係にあるが、南方漢民族からカンボジアに至る南方ラインになるとどんどん差が広がってゆく。
このような違いは各民族の孤立を示している。アフリカを出たホモ・サピエンスは世界各地に居住するようになったが数万年に及ぶ長い期間、あまり交流(交雑)しなかったのである。世界中の各民族はそのようにして生まれた。
『変化した弥生時代の年代観』
同
土器などの年代判定には炭素14年代法が使われる。動植物は炭素原子が連なった有機物で出来ているがその中に炭素14が含まれている。この炭素14は放射線を出しながら規則正しく減少するので、土器に附着したススや同じ場所から出土した炭化植物などから年代測定が可能になるのである。
この炭素14年代測定の結果と考古学上の新発見から、今では従来的な日本の古代史が大きく書き替えられている。『変化した弥生時代の年代観』がそれである。弥生時代の変化となっているが縄文時代の終わりと古墳時代の始まりも書き替えられることになった。従来弥生時代は紀元前5世紀くらいに始まったと考えられていたがそれが500年ほど古い紀元前10世紀には始まっていたことが明らかになった。古墳時代も少しだけ開始時期が早まった。
日本の古代史で最もスリリングだが資料が乏しいのは縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけてである。中国史書に弥生時代末から古墳時代にかけてのわずかな記述があるだけで、文字資料がまったく存在しないのだ。また縄文時代は恐ろしく長い。約1万6千年前から2900年前まで1万年以上続いた。考古学的出土物も膨大で草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と様々に変化していく。この縄文時代を通して原日本人である縄文人は列島の中に閉じこめられ異民族(異文化)とほとんど接触しなかった。しかし弥生時代になるとそれが劇的に変化する。
弥生時代には水田稲作が始まり武骨で装飾的だった縄文土器は姿を消す。代わりにスッキリと合理的な弥生土器が作られ使用されるようになった。この変化は直線的なものではない。明らかに外来民族(文化)が列島に大量流入したことを示唆している。古墳時代をテーマにした仮説だが、東洋史学者・江上波夫による騎馬民族征服王朝説などが生まれた理由である。荒唐無稽な仮説ではない。弥生時代には大陸から人が列島に押し寄せて来たことがDNA解読によって明らかになっている。
『現代の東アジアと縄文人、弥生人の主成分分析の結果』
同
本州の現代人が持っている縄文人由来のゲノムは10~20パーセントで、渡来系弥生人のゲノムが80~90パーセントを占めることが明らかになっている。『現代の東アジアと縄文人、弥生人の主成分分析の結果』は前述のSNPを指標にしたゲノム分布図である。ピンク色の三角形(▲)が弥生人のゲノムである。
縄文人と同じゲノムの弥生人もいるが、弥生時代後期には既に縄文人と交雑した在来系弥生人がいた。弥生時代後期には列島にさらに新たな渡来系弥生人が渡ってきた。彼らのゲノムは現代日本人に近かった。そのため縄文人と渡来系弥生人の間に、渡来人と在来系弥生人のハイブリッドの集団が生じている。サンプルが増えれば縄文人からハイブリッド、渡来系弥生人の推移がほぼ直線になるはずである。
弥生時代は2900年前から1750年前までの約千年間続いた。千年は長いが縄文時代の10分の1以下の期間である。しかしこの千年間に膨大な数の人々が列島に渡来して先住縄文人と交雑していった。わたしたちが考えているより遙かに高い航海技術が確立されていて、人々が急激に列島に渡ってきたことがわかる。
渡来人は先進民族であり朝鮮半島南部から列島に渡ってきて水田稲作や青銅器文化を伝えた。しかし現代韓国人に近いゲノム集団ではない。遺伝子的には中国東北部の西遼河流域の雑穀農耕民族だということがわかっている。言語学では日本語の源流と考えられているエリアの人々である。こういったことはゲノム解析でなければ決して明らかにならない。(下編に続く)
鶴山裕司
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■