No.114『フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる』展
於・神奈川県立近代美術館
会期=2021/01/09~04/11
入館料=1,200円(一般)
於・渋谷区松濤美術館
会期=2021/04/20~06/13
入館料=1,000円(一般)
カタログ=2,273円
コロナの影響が、まさかこれほどまで美術館に及ぶとは思っていなかった。文学金魚編集人の石川さんに美術展時評はなるべく会期中に書くよう言われていたのでどのタイミングで書こうかと迷っているうちに、緊急事態宣言でいきなり美術館が閉まってしまう。閉館期間も延びる。渋谷の松濤美術館に回覧していたベーコン展も結局ほとんど開館しないまま終了だ。仕方がないとはいえ、せっかくイギリスから作品を借りて展示まで済ませた美術館関係者はさぞ無念だったろう。とても面白い展覧会だったのに。
この連載をお読みくださっている方は薄々おわかりだろうが、僕はウルトラアヴァンギャルドの前衛アートがあまり好きじゃない。初めからそうだったわけではなく、ご多分に漏れず知恵熱真っ盛りの大学生時代はまずデュシャンにショックを受け、バウハウス、未来派、ダダ、シュルレアリスム、ニューヨーク・ダダ、アクション・ペインティング、ポップ・アート、アンフォルメル、フルクサス、シューポス・シュルファス、ストリート・アートと前衛ばかり追いかけていた。印象派なんぞのぬるい絵なんか見てられるか、といった感じだった。当然目は欧米に釘付けで日本の画家たちにも冷たかった。日本画はまったく興味がなく、瀧口修造を中心としたアンデパンダン系の前衛画家の作品くらいしか見ていない。
それが変わってきたのは身銭を切って絵を買い始めてからだ。ムンクの『叫び』やゴッホの『耳を切った自画像』をプレゼントしてあげると言われれば有り難く頂戴するけど、すぐに売って別の絵を買うと思う。個人が持っているべき絵じゃない。画家のアトリエは不穏な場所で、そこで付随していたいろんな要素を剥ぎ取られて裸で出た絵が見る人に強い衝撃を与える。アトリエの中で強烈な圧が加えられたからである。僕は美術館は墓場だと思っているが、極端に圧がかかった絵を見るなら美術館という清潔で安全な墓場の方がいい。ゴッホの出来のいいヒマワリを壁にかけて毎日平然と見ていられる人はかなり図太い神経の人じゃなかろうか。ゴッホなら穏やかな風景画を壁に掛けたいですね。
また極端なコンセプチュアルアートになると、板に釘が数本打ってあるだけだったりする。展覧会で見れば面白いのだが買うとなると相当に高いので、うーんと唸ってしまう。もちろんアートに限らず最初に新しく何事かを成し遂げた人は偉大だ。ただそれが認知されるには長い時間がかかる。人によってはこれは何の冗談だと言ってしまうような作品でも、作家のコンセプトというか、思想が強靱ならいずれ理解者が増える。付け焼き刃なら長い時間のうちに化けの皮が剥がれるということでもある。画家の確信が掴めれば作品を買うこともあるが、やはりコンセプト(思想概念)が先に立つ作家は好きになれない。作家の肉体的執着や偏愛が言葉にするとあるコンセプトにしかならないような画家が好きだ。
デュシャンはコンセプチュアルアートの先駆者だが、グリーン・ボックスに納められた創作メモを完全に理解できる人がいたらお目にかかりたい。彼はまごうかたなき偏愛・偏執の人だ。グリーン・ボックやホワイト・ボックスは、文字が書かれたメモが入った〝箱アート〟を作りたかったとしか思えない。世界で一番魅力的な〝箱〟を作ったジョゼフ・コーネルは、もしかするとデュシャンの『秘められたる音に』や『パリの空気』などにインスパイアされたのかもしれない。
フランシス・ベーコンは繰り返し見た作品が一点ある。大学二年生の夏休みに帰省して運転免許を取っていたのだが、講習が終わると遊びに行くところがない。仕方がないので市内を教習所のバスが循環していたのでそれに乗って富山県立近代美術館に通った。瀧口修造や東野芳明が顧問をしていたこともあって一九八〇年代にしては珍しい現代美術専門の美術館だった。二〇一七年に新しく富山県美術館が開設されて閉館したが、ハミルトンのデュシャンのレプリカが奥の方に展示されていた常設展のレイアウトは今でも思い出すことができる。僕はここで多くの現代美術家の名前を覚えた。
『横たわる人物』
一九七七年 油彩・キャンバス 縦一九八×横一四七・五センチ 富山県立美術館蔵
ただ当時はまだネットがなく情報の入手に手間がかかった。画家たちの名前を覚えてから少しずつ情報を得ていったのだった。ベーコンらは画集の入手すら難しかった。また時間が経つうちに浜辺が波で洗われて小石が露出するように、強く印象に残る画家とそうではない画家が生じた。ベーコンは前者だ。当時も入手困難で高かったと思うが、今売ればとんでもない額になるだろう。瀧口・東野さんはさすがである。
美術で金の話をするなとお思いになる方もいらっしゃるだろうが、美術が本当に好きなら価格、お金は案外重要だ。真作のゴッホが百万円で売られていて買うか買わないかを即断しなければならないとしたら、本物保証付きの作品を美術館で見た目の経験だけでは足りない。何を見ていたのだろうと考え込むことになる。美術を見る真剣さの度合いが試されることになる。当たり前だが美術館に入る前の作品の多くは市場にある。
ベーコンをより強く意識するようになったのは二〇〇〇年前後からだと思う。世界のアート市場はニューヨークに支えられている。アメリカのMLBと同じで、ニューヨーク・アート・シーンで評価されると日本の価格からゼロが三つくらい増える。当然アメリカン・アートが一番の人気だ。二〇世紀後半はネオ・ダダやポップ・アートがスター絵画だった。しかしじょじょにヨーロッパ勢が巻き返していった。最も高く評価されたのはバルテュス、ジャコメッティ、そしてベーコンである。いずれも若い頃にシュルレアリスム全盛期でシュルレアリスト・グループと交流を持ったが、結局は背を向けて独自の絵画(彫刻)に突き進んだ。
バルテュスの作品が古典絵画の骨格を持っているのは一目見ればすぐわかる。しかしジャコメッティやベーコンは最先端を突っ走った前衛アート、のように見える。だが何かが決定的に違う。抽象的だがはっきりと具象が基盤になっている。難しいことを言い出せばきりがないが〝具象抽象アート〟である。人間存在にとって根源的なモノが露骨に表現されている。
ベーコンの絵は気持ち悪いといえば悪い。しかし画家固有のエゴや、絵を描いた時の危機的精神状態が突き刺さってくるような作品ではない。むしろ自己の中にもある根源的何かが底の方から湧き上がってきて形を与えられたような感じだ。比喩的な言い方になってしまうがどこかで見たような気がするイメージだ。ベーコンの絵なら壁に掛けて眺めていられる。昔から知っていて、だが形を与えられなかった何者かがそこに〝居る〟感じだ。同居人と暮らすように毎朝「やあ」と挨拶できるような存在感がある。ジャコメッティの彫刻にも同じことが言える。
『帽子をかぶった頭部』
一九三〇年代頃 油彩、キャンバスボード 縦四五・五×横三五・五センチ バリー・ジュール・コレクション
フランシス・ベーコンは一九〇九年にアイルランドの首都ダブリンで生まれた。和暦では明治四十二年になる。『随筆集』で知られる哲学者・神学者のフランシス・ベーコン(同姓同名)は遠祖に当たるのだという。裕福な名家の出だった。ただベーコンは思春期にははっきりゲイの自覚があったが保守的な父はそれを許さなかった。矯正までしようとした。ベーコンは家を出されベルリン、パリ、ロンドンなどのヨーロッパの大都市を転々とした。一九三〇年、二十一歳の時に自分のアトリエで仲間と最初のグループ展を開いたが絵は独学である。
売れっ子とは言えないがベーコンは三十代には絵が評価され始めた。ただその前作である一九三〇年代、二十代に描いた作品の多くを自らの手で廃棄している。『帽子をかぶった頭部』は数少ないベーコン初期作である。今回の展覧会では初期作十点の油彩画が展示された。
第一次世界大戦後のヨーロッパではダダ、そしてダダを継承したシュルレアリスムの嵐が吹き荒れていた。後にシュルレアリスムには批判的になるが初期のベーコン作にはキュビズムやシュルレアリスムの影響が見られる。それを嫌ってベーコンは初期作の多くを廃棄したのだろう。が、逆に言えば残された絵はそれなりの自信作だったことになる。
展示された初期作は若かったとはいえタッチも色調も統一されている。ベーコン作品は悪魔的とも言われたりするが色彩は案外明るい。ただ初期作はグレー系の背景色を使うなどやや中間色的な色遣いである。画風を確立してからのベーコンはスコーンと抜けた明るい色を使うようになるので、初期作の粗いタッチとおとなしい色遣いはまだ迷いがあった精神状態を反映しているのかもしれない。
なお今回の展覧会はバリー・ジュール・コレクションの一部である。バリー・ジュールは美術家でも美術評論家でもない市井の人である。晩年のベーコンは超有名画家で、バリーはベーコン作品が棄てられているのではないかとゴミまで漁る人が現れたと書いている。非社交的な人だったとは言えないがベーコンは仕事場のアトリエに自分以外の人間を入れるのを好まなかった。しかしバリーはなぜかベーコンに気に入られアトリエに招き入れられた。バリーはベーコンの家の修理や買い物、散歩や映画鑑賞にも同行するようになった。ベーコンが突出した画家だと認識していたバリーは話を録音したり、内容をメモする許可も得た。多くの写真も撮っている。バリー以外の人にはなかなか許さなかったことである。
ベーコンは一九八二年六月に初期作の一点をバリーに譲ったことがある(今回の展覧会でも展示されていた)。しかしその二日後にいずれ返してほしいと言われたとバリーは証言している。完全に譲ってしまえばベーコン作品の重要性を知っているバリーはいつか公開するだろうが、迷いがあったのだろう。ただスペインに行くベーコンをヒースロー空港まで送る際に、バリーは車のトランクに作品を積むようベーコンに命じられた。油彩画などは少ないが、それは千点を超えるベーコンの創作関連のドキュメントだった。どういうつもりなのかと聞いたバリーに、ベーコンは「どうすべきか君はわかっているはずだ」と答えたのだという。
バリーは一九九二年四月十八日に空港にベーコンを送ったが、十日後の二十八日にベーコンはマドリード市内の路上で心臓麻痺を起こして客死した。なぜバリーに創作の秘密とも呼べるようなドキュメント類を預けたのかはわからない。ベーコンは美術批評家を嫌っていた節があるのでよき理解者だったバリーの方がドキュメントの扱い方を知っていると思ったのかも知れない。
『Xアルバム3表』
一九五〇年代後半~六〇年代前半 油彩、コンテ、チョーク、紙、フォトモンタージュあり 縦三七・五×横二三・五センチ 同
『Xアルバム5表――ファン・ゴッホ・シリーズ』
一九五〇年代後半~六〇年代前半 油彩、コンテ、チョーク?、紙 縦三七×横二三・五センチ 同
『Xアルバム9裏――叫ぶ教皇』
油彩、コンテ、鉛筆、紙 縦三六×横二八・五センチ 同
今回の展覧会の目玉は『Xアルバム』からの出品だった。ベーコンは十九世紀末の古いアルバムにドローイングやコラージュを貼り付けていた。表紙と裏表紙に大きくXの黒い文字が書かれているので『Xアルバム』と呼ばれている。調査により元々は六十八点がアルバムにあったとわかっているが表紙と五十七枚はロンドンのテート・ギャラリーに寄贈された。今回展示されたのはバリー・ジュール・コレクションに残された十一点である。『X-Files』というドラマがあったが英語でXは未知の意味がある。またX-ratedの用法もあるようにちょっとヤバイニュアンスもある。
『Xアルバム3表』は写真を貼り付けてその上にドローイングが施してある。ベーコンはモデルを使わず雑誌の写真の切り抜きなどを使って作品を描いた。またベーコンはゴッホを敬愛していて『ファン・ゴッホ・シリーズ』の油彩画連作があるが、『Xアルバム5表』はその習作である。『Xアルバム9裏』がベーコン中期の代表作『叫ぶ教皇』の習作であるのは言うまでもない。
ただそんなことは知らなくても『Xアルバム』の作品は美しい。乱暴に描かれているように見えるがタッチも色彩も一貫している。深い確信がある画家でなければこんな絵は描けない。『Xアルバム』を見ていると画家は本当に魔法使いだと思う。誰でも絵は描けるが、そのあたりにある紙切れの上に描いた形と色が美術品になってしまう。こんなアルバムが欲しい、いつまでも見ていたいと思わせる。
なんのために『Xアルバム』を作ったのかはわからないが、ベーコンにとって愛着のある小品群だったことは作品を見れば伝わってくる。ベーコンと言えば後期から晩年の巨大な油彩画作品がすぐに頭に思い浮かぶ。不気味と言えば不気味だが迷いのない人物造形に、スカッとした色遣いの完成度の高い絵しか描かない画家という印象だ。しかし『Xアルバム』はピカソやクレー、クートラスらと同様にベーコンが手に触れるものすべてを美術品に変える力を持った作家だったことを遺憾なく示している。
『2人のボクサーのドローイング』
一九七〇年代~八〇年代頃 モノクロ写真掲載紙へのグワッシュのペイント 縦一七・五×横二七・五センチ 同
『自転車選手の写真上のドローイング』
一九七〇年代~八〇年代頃 モノクロ写真掲載紙へのグワッシュのペイント、コンテ、ペン 縦一五・二×横一五・三センチ 同
バリー・ジュール・コレクションにはほんの小品だがモノクロ写真に彩色した作品がかなりある。『自転車選手の写真上のドローイング』のように後に油彩画作品として仕上げられることになる初発のアイディア作品も含まれている。オリジナルのモノクロ写真と並べて比較することができればベーコンの彩色がいかに効果的なのかよくわかるはずだ。ダンスやボクシングなど身体的動きの写真上に彩色したものが多い。ベーコンの加筆が静止画的なモノクロ写真に躍動感を与えている。
ベーコン代表作は静止した人物像が多い。しかしバリー・ジュール・コレクションを見ているとそれが激しい動きの一瞬を捉えたものだということがよくわかる。『叫ぶ教皇』などはその典型だろう。
『叫ぶ教皇』はアンチ・キリスト的文脈で読み解かれスキャンダルを含めて話題になったがベーコンはそれを嫌った。『叫ぶ教皇』を描いたのは誤りだったとまで言うようになった。ホモセクシュアルを含めて積極的なアンチ・キリストの意図はなかっただろう。ベーコンはエジプト古代美術を始めとしてベラスケスやゴヤ、デューラー、ラファエロなどの古典絵画の巨匠たちをこよなく敬愛したが、『叫ぶ教皇』は彼なりのベラスケスへの現代的オマージュだったと言っていいのではないかと思う。
当たり前のことを言うようだがベーコンは現代画家であり前衛画家である。前衛――つまり強い意志を持って今まで誰も表現したことのないような絵を描こうとした。同時代のダダやシュルレアリスムの影響を受けたのは言うまでもない。ただベーコンの指向はシュルレアリスム的な明るい夢ではなく、人間の生と性の根源に下ってゆくようなものだった。
ベーコンはバリー・ジュールに絵で描きたいのは「暴力」であり「ぞっとするもの」だと言った。正直な言葉だと思う。彼が多くの同時代作家と同様に二度の世界大戦で悲惨極まる光景を目撃し精神の傷を負ったのは間違いない。若い頃にはゲイも重荷だったろう。しかし絵に社会批判的要素を込めなかった。彼の前衛性はある意味現代から遅れに遅れることで的確なイメージを得た。ベーコン作品が普通に見ればおどろおどろしいものでありながら懐かしいような感情を呼び覚ますのは、そこに描かれているものが人間存在にとって逃れようのない根源的なものだからである。恐怖を呼び覚ますような暴力であっても底の底まで意識を下って得られたそのイメージはとても静かだ。
ピーター・ビアード撮影のベーコン(右)とバリー・ジュール(左)の写真。一九八六年二月二十三日撮影。ビアードの書き込みがバリーの足元にありベーコンが右側と下部にサインを入れている 同
ベーコンの写真を数多く撮ったピーター・ビアード撮影のベーコンとバリー・ジュールの写真だが、それをベーコンがドローイングを描き加えた紙に貼ったものである。写真の額の意匠だがその抽象模様は美しい。ベーコンのサインが二箇所に入っているので作品の意図があったと言ってよい。今回はベーコンの表芸と言える油彩大作は展示されなかったが、ベーコンが生粋の美術家であることをよく理解できる展覧会だった。
僕は物書きなので書いていないと生きている気がしない。苦しくても書くのが一番の快楽だ。秋田の前衛俳人安井浩司さんが酔っ払って「俳人なんて、俳句を書けなくなったら死んだ方がいいんだ!」と叫んだのを目撃したことがあるが気持ちはよくわかる。もっとも本当に病気になれば治ればまた書けると思って生に執着しそうだが、書けなくなるのが一番辛い。じゃあ文字を愛しているのかというとアンビバレンツだ。
正確に、的確に書こうとしているのだが文字はなんて頼りなく曖昧なんだろうと思う。だから発表媒体はネットでかまわないが、詩書や小説、まとまった評論などは紙の本したいという執着がある。文字を紙の束に閉じ込めモノにしてしまいたい。書くこと以外では美術に快楽を求めてしまうのもそのせいだと思う。美術はいい。しっかりとした形のある表現はなんて素晴らしいんだろうと思う。
美術館で開催される展覧会は回顧展的なものが多いから、習作や下絵のデッサンも展示される。油絵や日本画の本画に向けてデッサンを重ねる画家もいるし、デッサンがいつの間にか本画の下準備を超えて別の作品になってしまう画家もいる。僕は後者の画家に強く惹かれる。
ベーコンは美術館しか購入できないような大作を描く大画家だとばかり思っていた。細々とした小品にも独自の美を加えずにはいられない生粋の手の画家で、魔法使い的画家の一人でもあるとは想像していなかった。嬉しい驚きを与えてくれた展覧会でした。
鶴山裕司
(2021 / 06 / 07 17・5枚)
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