鶴山裕司 安井浩司研究 No.010 未刊詩集『激情』(その二)をアップしましたぁ。安井浩司さんの未完詩集『激情』はあと一回連載の予定です。次回は鶴山さんの解説を付けていただく予定です。
石川、たまに詩誌を読むのですが、うーん、戦後詩・現代詩の時代に比べると驚くほどレベルが下がっていますね。もやもやとした曖昧なことを書くのが自由詩だと思っている作家が多いんじゃないかなぁ。詩の評価も極めて恣意的です。要するに「君の詩はいいね、君のもいい、でも僕の、私の詩が一番だろ」といった一昔前の大学生の合評会が繰り広げられている感じ。ぜんぜん信用できない。
入沢康夫さんの「詩は意味の伝達の道具ではない」というテーゼをいい加減に理解している人が多いと思いますが、言葉で書かれる限り詩は絶対に意味を伝達します。ちゃんと入沢さんの作品を読み詩論を熟読した人は、彼のテーゼが定義としては舌っ足らずというか説明不足であることを理解しています。言いたいことはわかるけど論理としては不十分。それを表面的に捉えてわけのわからないことを書き連ねるのが詩ではありません。
詩は意味とイメージで構成されます。それは完璧なまでに読み解けます。読み解けてなお読み解けない部分が残るのが優れた詩です。鶴山さんは意味とイメージをきちんと読み解く。安井さんの自由詩は、俳人は頭から専門外として無視するでしょうが確実に彼の俳句表現に繋がっている。鶴山さんがそれを明らかにしてくれるはずです。
■鶴山裕司 安井浩司研究 No.010 未刊詩集『激情』(その二)■
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