新潮社さんはだいぶ前から日本ファンタジーノベル大賞を主催しておられます。「ファンタジーノベル」というのはわかったようでわからないネーミングですわね。SFではありませんしお化けなんかが出てくる怪異小説でもありません。まあ言ってみればとっても日本的な幻想小説のジャンルです。現実世界の枠組みをそのまま残した、だけどセオリーが決定的に違うパラレルワールドを設定して一つの物語(ノベル)を提示する小説形態です。
最近ではAIが身近な形で活用されるようになり、チャットGptなんかが話題になっています。人間の知と情報ネットワークはパソコン(電子メディア)が担うようになっていて、スマホやパソがあればほかにはなーんにもいらないというくらいです。書くのも読むのも情報検索するのも情報端末があれば済んでしまう。だからお部屋の中は断捨離的にスッキリ片付いてゆくはずですわね。情報端末があればビジネスはできますし、小説だって書けてしまう。
だけどごちゃごちゃしたお部屋ってなんとなく魅力的なのよねぇ。映画でよくありますが、古いお屋敷を相続して住み始めると地下や屋根裏に秘密のお部屋がある。入ってみると本棚には古い本が並んでいて、埃をかぶった机の上には試験管やビーカーなんかが並んでいます。さらに調べてゆくと開けてはいけないと先祖が書いた張り紙のある金庫なんかがあって、その中から書類や不思議なオブジェなんかが出てくる。まあハリポタ的世界なわけですが、ハリポタが大ヒットしたようにそういう謎めいたお部屋って魅力的でございます。
要するに世界には謎がある方がいいのです。謎があってほしいわけです。謎がなければ人間は生きていけない。世界がうんとつまらなくなってしまうということですわ。だから科学なんかが進歩しても人間は絶え間なく謎を作り出してゆくと思います。その謎は、できれば解けない謎の方がいい。人間存在にまつわるすべての謎が解けてしまったら恐らく人間は今のような人間の形をもうしていないのではないかと思います。抽象的知的生命体でいいわけですから。
時代小説は現代とは違う一種のパラレルワールドを設定して、現代社会では様々な夾雑物に阻害されて表現しにくい男女愛や親子愛、主従関係(いつの時代にも必ずある上下関係)などをストレートに表現する小説ですわ。それに対してファンタジーノベルはもっと根源的な人間存在の謎を描き出すための小説ですわね。一番大きく目立つテーマは人間の死です。死という不可知がファンタジーノベルの一大テーマになっていると思います。
ファンタジーノベルはこの解けない謎を様々な方向から描き出してゆくわけですが、現実世界ではあり得ない生者と死者の交流が描かれることが多ございます。ただそれは人間存在の精神深くに食い込むテーマであり、ファンタジーノベル大賞受賞作が定期的にヒットしている理由ですね。元祖は梨木香歩先生の『西の魔女が死んだ』あたりかしら。中学生くらいまでの女の子の多くが夢中になって読んだことのあるお作品です。
「なあ、名前は? 名前くら教えてくれてもいいじゃろ」
私は画面に目を落とす。『水の町からきた』という文字の後に、名前を打ち込んでいく。彼女が次々に話しかけてくるから、入力が追い付かない。
「ちょっと拝借」
ニチがひょい、と私のスマートフォンを取り上げた。ええと、と不器用に画面を見る。丁寧な手つきではあるが、使い慣れていない感じだ。
「数字ばっかりで意味が分からないんじゃが・・・・・・。この舟のところを押せばいいのか?」
「返して!」
咄嗟に、ニチの手からスマートフォンを奪い取る。体中の血管に冷水を流し込まれたみたい。血の気が引いて、手が震える。恐る恐る画面を見た。ミナモのアプリがトップページのままであることを確認して、安堵のため息を吐く。画面を消して目の前の少女を睨んだ。
しかしニチは、にやにやと笑っている。
「ほらな」
喉元を指さされて初めて、自分の声が空気を震わせていたことに気づく。
上畠奈緒「ナギサのモガリ」
上畠奈緒先生の「ナギサのモガリ」の主人公・ナギサは中学生で「水の町」に住んでいます。親友が亡くなってから声が出なくなってしまったナギサは叔母さんが住んでいる「砂の町」に気分転換に行きます。詩でも小説でもそうですが日本文学には海(水)のイメージが頻出します。海に囲まれ雨の多い気候のせいですが、それにまつわる伝承などがたくさんあるためでもありますね。
ナギサは砂の町でニチという少女と知り合います。ナギサと同い年くらいの女の子ですが「この町の方言だろうか、老婆のような話し方だ」とある。声が出ないナギサはスマホに文字を打ち込んで他者と会話しているのですが、ニチは断りもなくスマホを手に取ってしまう。ナギサは「返して!」と叫びます。声が出たのです。ただし声はニチと会話する時しか出ません。またナギサのスマホのトップページに表示されているのは数字の羅列です。もちろん大切な意味があります。
死後の船旅の目的地は、死者たちの楽園だ。
送りの殯を出た舟は、大陸から海に向かって吹き下ろす強風に運ばれて、南の海へと進んでいく。善い魂を乗せた舟は楽園へと導かれ、悪い魂を乗せた舟は、渦潮に飲まれて海底の地獄へと引きずり込まれていくらしい。
「あれは嘘だ」
ミナモはベッドから体を起こして、高らかに言い切った。また始まった。ひねくれた事を言うのは、ミナモの日課みたいなものだ。
「私の理論が正しければ、季節も時間も関係なく、出航後7日目までにはすべての舟は渦潮に飲まれる。魂の善悪なんて不問。みーんな地獄に行ってるってわけよ」
同
ナギサの亡くなった親友はミナモという女の子です。彼女たちが住む水の町では人は死ぬと水葬にふされます。水の町の人たちは生まれながらに自分の舟を持っていて、その舟に遺体を乗せて海に送り出すのです。うつほ舟のイメージですね。
舟は楽園か地獄に着くわけですがミナモはそれは嘘だと言います。科学的データではすべての舟は渦潮に呑まれて一定エリアで沈んでしまうのだと。ミナモはそれを証明すると言います。自分の舟にGPSをつけてナギサのスマホに位置表示されるようにしたのです。ナギサは砂の町に来てからもずっとミナモの遺体が乗った舟の位置をスマホで確認している。
古代日本では特に天皇家が殯―モガリの風習を守っていました。人が亡くなってもすぐに埋葬せず長期間安置するのです。ミナモの舟が沈むまで期間が殯で、その間ナギサは砂の町にいます。またナギサがやって来た砂の町でも死者のためのお祭りが行われています。祭りの期間中に「死者の霊が家族のもとに帰ってくる」のです。
「ナギサ、見ろ!」
ニチが地面に置いたままのスマホの画面を指さす。アプリの画面が暗転して『meassage』の文字が流れた。電光掲示板みたいに。
『地獄も楽園も嘘だった!』
ミナモだ。彼女がメッセージを送って来ているのだった。
『歌え! ナギサ。ずっとそばにいる』
画面がまた暗転して、海図が表示される。赤い点は海の上にはなかった。海からずっと遠い、陸地の真ん中。砂の町、私が立っているこの場所が表示されている。
同
砂の町の葬送はいわゆる風葬です。ニチはまあ当然のことですが死者です。姿形は少女ですが「老婆のような話し方」とあるようにすでに亡くなっている。死者のニチがナギサを導き救済を与えてくれる。その機微は実際にお作品を読んでお楽しみください。
ただ小説の最後の方でナギサはスマホから親友ミナモのメッセージを受け取ります。定番的な落としどころと言えばそうなのですが、こういった小説の流れにわたしたちは弱いですよね。多くの人が心の中に抱いている願望だからです。ただしそれを単なるファンタジーと言うことなかれ、ですわ。
小説はリアルな世界を描くだけでなく、救済を含めた人々の願望を文字を使ってリアルに表現できる芸術でもあります。このラインの最高傑作は宮沢賢治先生の『銀河鉄道の夜』かしら。純文学だから格が高い、ファンタジー大衆小説だから一段下という先入観はバカげています。原理を言えば小説はすべてフィクション。ファンタジーノベルと文学業界的には分類されようと、傑作は生まれる時には生まれるものです。
佐藤知恵子
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