今号は第37回山本周五郎賞の発表号です。青崎有吾さんの『地雷グリコ』が受賞なさいました。で、同時に歴代受賞作家競作として6人の作家様の短編が掲載されています。ただし連載を含むですわ。大衆小説誌は流行作家様の作品発表のためのペースメーカーですから、こういうちょいといい加減な特集がよく組まれるのですね。書き下ろしと連載コミで○○特集とか銘打ったりするわけです。ま、それはどーでもいいとして窪美澄さんが「空夜」を書き下ろしておられます。
菜乃子の死に顔は美しかった。
美しい人は体から魂が抜けたあとも美しいんだ、と思った。
ずるい。神様はルッキズムの権化。(中略)
菜乃子の体が焼ける間、菜乃子の夫、達也が吐くように泣いていた。慟哭、という文字が頭に浮かんだ。達也を見て、まわりの皆も泣いた。私はまだ泣けなかった。それでも、「ごめんね」と心のなかで言った。
窪美澄「空夜」
「空夜」の主人公は倫子。大学を出て大手チェーンのメガネ店て働いていましたが四十歲を前に母と祖母が暮らす実家に帰って来ました。独身で恋愛経験もほとんどありません。
綸子には高校時代から親しくしていた菜乃子、達也、健太、沙耶の友だちがいます。初対面の時に「四人とも容姿が標準以上だと思った」「その当時の私は容姿が劣っている者は、強い自己主張をしてはいけないし、黙ってその他大勢に徹するべきだと思い込んでいた。(中略)小学校や中学校で受けた容姿に関するいじめが私の心を卑屈にしていた」とあります。そんな綸子に「おべんと、一緒に食べない?」と声をかけてくれたのが菜乃子だったのです。
倫子と菜乃子は二十年以上の友人ということになります。古い親友が亡くなった。そして倫子は菜乃子に対して「「ごめんね」と心のなかで言った」。当然、なぜ菜乃子は亡くなったのか、なぜ倫子は菜乃子に謝らなければならないのかが小説の骨子(基本的ストーリー)になりますね。
連絡をしていた菜乃子といつもの喫茶店で会ったのは、それから二週間後のことだった。
応募した原稿が準優秀賞をとったこと、編集者に会ったこと、それから作品を書き続けていれば、いつか本になることなどを私はまくし立てた。
うん、うん、と菜乃子は相槌を打ちながら話を聞いているが、どこか心がこの場所にないような気がした。目の下にうっすらとクマをつくって、顔色も悪い。いつもは艶やかな長い髪も、今日は手入れ不足の印象が否めない。
「・・・・・・おめでとう」
そう言って笑顔で手を伸ばし、私の手の上に掌を重ねた。その手がギョッとするほど冷たい。
同
倫子は大学二年生の時に五十枚ほどの小説を書いて小説雑誌の新人賞に応募しました。新人賞受賞とはなりませんでしたが準優秀賞で編集者から連絡があり、二ヶ月に一本くらい作品を書いて渡せば本にしてあげると言われたのでした。倫子は小説家志望ではありませんでしたが、自己評価が低かったので「うれしさ、というよりも、受け入れられた、という安心感」を覚えました。さっそく親友の菜乃子に報告します。小説新人賞に応募してみたらと勧めてくれたのは、高校時代から倫子の文才を認めてくれていた菜乃子だったからです。
ところが菜乃子の反応は冷たい。共に喜んではくれなかったのです。しばらくして倫子は沙耶から菜乃子も小説を書いていて、倫子が応募した新人賞に応募して落選したのだと聞かされます。倫子は「私は菜乃子をざっくりと傷つけた。いつもは傷つけられるばかりで油断していた。自分が誰かを傷つける立場になるなんて、思っても見なかった」とあります。共に同じような道を歩んでいきたがる女の子らしいですね。では菜乃子が亡くなった理由に倫子の新人賞準優秀賞が関係しているのでしょうか。
「菜乃子、ごめん、小説なんて、書いてごめん。私が悪かった。いい気になって、菜乃子を傷つけた。もう書かない。小説なんてもう書かない。だから、私のことを、嫌わないで」
「嫌わないで!」そう言った瞬間に達した。菜乃子の手が止まる。菜乃子がさっきよりもひどく濡れた指先を、私の目の前に差しだし、舌で舐めた。本当のことを言えば、もっと触ってほしかった。この時間が永遠に続いてほしかった。わたしの体の上で菜乃子が口を開く。
「・・・・・・私のことを忘れないで」
「・・・・・・忘れるわけがない」
「・・・・・・でもみんな、忘れてしまう。すぐに忘れてしまう。今夜のことも、昨日のことも、明日のことも」(中略)
菜乃子が私の体を抱きしめた。
「倫子のことが好きだよ」
その言葉だけで十分だった。菜乃子とそんなふうなことをしたのは、この夜限りだった。
同
アテクシ、360°全方向のオバサンですから、女性作家で具体的セックス描写、しかもレズビアン、あら珍しいわねぇと思ってしまいましたわ。盛りだくさんのお作品ですが、なぜ菜乃子が亡くなったのかよりも「私のことを忘れないで」がこのお作品のクライマックスだと思います。倫子は菜乃子を忘れない。彼女のことを愛していたとか一度限りとはいえ肉体関係を結んだとかは本質的には関係ないでしょうね。
朝を告げる鳥が鳴き始める。早朝のしん、とした気配が部屋のなかに忍び込む。
書いているのは菜乃子のことだった。
生きている間、彼女を忘れないために、私は小説を書き続けるのかもしれなかった。
同
大学生の時に新人賞準優秀賞となりましたがその後、倫子は小説を書き続けられませんでした。四十歲を目前にしてまた小説を書きはじめたのですが「ここ半年ほどはもう、小説の新人賞には手当たり次第、応募していた。いい結果が出たことはない」。
小説新人賞という関門に限りませんが、何ごとかで頭角を現すのは難しい。ゼロをイチにするのはとっても難しいことですわ。でもイチが二になれば三、四の道が開けてくる。このお作品は本質的にはなぜ小説を書くのかという問いかけですわね。小説は作家にとって最も切実な事柄を真っ先に、すべてさらけ出さなければならない。もちろん、「空夜」がそういったお作品であるかどうかはまた別です。
佐藤知恵子
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■