小説すばるさんの掲載小説はレベルが高いように感じますわねぇ。今号には結城真一郎さんの「今度こそ許すまじ春野菜といんげん豆の冷製スープ事件」が掲載されています。同誌連載の「難問の多い料理店」のスピンオフ短編小説です。タイトルを魅力的にするのは今や小説界の常識ですが「今度こそ許すまじ春野菜といんげん豆の冷製スープ事件」は秀逸ですわ。詩的なタイトルって小説には合わないのよ。具体的だけど謎かけのようなタイトルの方が読者は惹きつけられるんじゃないかしら。とってもセンスのいい作家様ね。
「謙介が浮気してる」
さらっと告げると、ここでようやく雪穂はスマホから顔を上げた。
「は? マジで?」
信じられない、許せない、不愉快極まりない――という表情をこしらえつつ、全身から抑えきれない好奇心が迸っている。でもまあ、こればかりは仕方ないと思う。こういう話題はいつだって私たちの大好物だから。
「たぶんね」
「たぶん? 証拠を押さえたんじゃなくて?」
テーブルにスマホを置くと、雪穂はぐっと身を乗り出していた。
「問題はそこ」
結城真一郎「今度こそ許すまじ春野菜といんげん豆の冷製スープ事件」
主人公は大学二年生の琴音です。同じダンスサークルに所属している同級生の謙介と付き合っています。背が高く垢抜けた男の子ですが、怖がりで気が弱いところもある。琴音はそんな謙介にいわゆる母性本能をくすぐられて付き合うことになったのでした。
しかし謙介は半年前に浮気した。飲み会で知り合った女の子が相手でした。その時は「本当にごめん。俺が悪い。言い訳の一つもなく、全面的に非を認め、最後は泣きながら許しを乞うてきた」。琴音は「泣きじゃくる彼のことを、心のどこかで「愛おしい」と思ってしまった」。そこで一回だけ許してやることにしたのです。その彼がまた浮気している気配です。
サラリと読めて上手い文章ですわ。特に女性の描き方がお上手ね。作者名を伏せれば女性作家のお作品でも通りますわよ。なかなか男性作家は結城さんのように女性登場人物になりきった小説は書けませんわね。
「あの・・・・・・その・・・・・・お邪魔しても?」
伏し目がちに、青年は恐る恐る尋ねてくる。
「ええ、もちろん」
どうぞ、と招き入れる。
青年は軽く頭を下げ、靴を脱ぐと部屋に上がってきた。この部屋に謙介以外の男を入れるのは、これが初めてのことだ。
「で、ご相談というのは?」
私、雪穂、青年の三人で丸テーブルを囲むように腰を下ろすと、青年は開口一番に問うてきた。思わず「本当だったんだ・・・・・・」と呟くと、青年はやや緊張がほぐれたのか、ふっと相好を崩した。
「まあ、にわかには信じられないですよね。こんな〝店〟があるなんて。えーっと、つまりこの〝店〟をご存知たったのは――」
「私です」と雪穂が会話の接ぎ穂を拾う。
「噂では耳にしたことがあって、琴音の――ああ、この子、琴音って言うんですけど、琴音の話を聞いてたら、ぴったりなんじゃないかって思って」
同
琴音は謙介の浮気を確信していますが、なかなか尻尾をつかまえられません。すると親友の雪穂が〝ゴーストレストラン〟に依頼してみたらと提案します。デリバリのみで料理を提供する店ですがそれは表向きで様々な調査を行ってくれるというのです。
まず依頼者は店に特定の料理を注文します。「「サバの味噌煮、ガパオライス、しらす丼」で〝人探し〟、「ナッツ盛り合わせ、雑煮、トムヤムクン、きなこ餅」で〝謎解き〟」といった具合です。琴音が依頼した〝浮気調査〟は「梅水晶、ワッフル、キーマカレー」の組み合わせですが計三万円。しかもそれは〝着手金〟に過ぎず〝成功報酬〟は別。依頼の難易度に応じて成功報酬が決まるのです。
デリバリに来た青年は同じ大学の学生でした。ごく普通の男の子です。琴音は依頼内容を説明します。浮気事件をきっかけに琴音は謙介にスマホの位置情報をオンにするよう約束させていました。謙介はビーバーイーツのデリバリのアルバイトをしているのですが頻繁に奇妙な位置情報が表示される。料理をデリバリするだけなのに特定の場所に一時間、二時間滞在しているのです。謙介に理由を聞いても曖昧な答えしか返ってきません。「詳しくは言えないんだけど、あくまで配達なんだ」の一点張りです。
琴音の説明をじっと聞いていた青年が意外な言葉を口にします。「気がつきませんか」「いまのお話とほとんど同じことを、僕がしているってことに」と言ったのでした。ゴーストレストランはネット上のデリバリ店ですが店は一軒ではありません。様々な店名で注文を受けています。謙介と会ったことはないけど青年は彼は自分と同じアルバイトをしているのではないかと仄めかしたのでした。依頼内容を聞くには一時間、二時間かかることもある。琴音は「たしかに、それならすべての辻褄が合う気がする」と思います。
「つまり、もし浮気だったとしたら、どうしたいですか?」
瞬間、背筋に悪寒が走った。
ぽかんと口を開けたまま、まじまじと彼を見つめることしかできなかった。
間違いない。
こう訊いてくるからには、やっぱりあれは浮気だったのではないか。
やっぱりあの日の直感は正しかったのではないか。
――こんなスムーズに解決するんだろうか。
――あまりにも都合よすぎやしないか。
例の疑念が再びむくむくと鎌首をもたげ始める。(中略)
「浮気相手のことはどう思いますか?」
「そりゃまあ・・・・・・ムカつきますけど、謙介に彼女がいると知らなかったなら、それは仕方ないかなと思います」
ムカつきますけどね、と念押しのように繰り返す。
「じゃあ、もし知っていたら?」
「殺します」
間髪容れずに答えた。
子供じみた返しだし、実際殺せるはずもないのだけど、それくらいの心意気なのは間違いない。
同
もし謙介がゴーストレストランから訪ねて来た青年と同じ仕事をしているなら浮気ではないわけで正式に調査依頼する必要はありません。出費は三万円で済みます。また雪穂が半額を出してあげると言っているので琴音の負担は一万五千円で済む。しかし琴音は調査を正式依頼します。成功報酬が高額になるかもしれないにも関わらずです。直感で〝話が出来すぎている〟と感じたのでした。
ある夜青年から連絡があり琴音の部屋を訪ねて来ます。青年は理由を言わずにもし謙介が浮気していたらどうするつもりなのか、相手の女をどうしたいのか訊きます。琴音は謙介のことは「許しません」と答えます。もし相手の女が謙介に自分という彼女がいるのを知っていて付き合っているのなら「殺します」と即答します。そして琴音の言葉通りに調査は実行を伴って進んでしまいます。
その経緯は実際にお作品をお読みになってお確かめください。ただ彼氏の浮気で騒ぐ、ちょっとのほほんとした雰囲気で始まった大学生の生活が後半になって一気にシリアスさを増します。ある意味社会の厳しさが突き付けられるのです。
青年は琴音が浮気調査を依頼した時に四方山話しでオーナーから「この〝店〟のことを口外したら命はない」と言われていると話ました。琴音はそれを軽く聞き流していましたがどうもそうではない。実社会の、しかも裏家業かもしれない人間が課した厳しく冷たく残酷なルールがあるようだ。
依頼した案件の調査報告は店のメニューに値段付きで表示されます。代金(成功報酬)と引き替えにデリバリを頼めば調査報告内容が読めるのです。調査報告書が出来た時のためにクライアントごとに店との間であらかじめ合い言葉(メニュー名)が取り交わされています。琴音が青年と交わした最初の合い言葉は「浮気男と間抜け女」でした。理由を言わずに青年が琴音に設定させた二番目の合い言葉が「今度こそ許すまじ春野菜といんげん豆の冷製スープ」です。二番目の方が軽い言葉なのですがその内容と結果は重い。それがなぜなのかもお作品を実際にお読みください。
ちょっとヒントを書いておくと調査が終わった瞬間から、琴音は謙介と雪穂と連絡が取れなくなります。大学にも現れない。怖いですね。ホラー小説よりよほど怖いお作品でございます。
佐藤知恵子
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