8月号は「あたらしい恐怖のつくりかた」で6人の新人作家様が短編を執筆しておられます。今号は混じり気ナシの書き下ろし短編です。ということは新人作家様のお試し特集という感じですわね。前にも書きましたが小説新潮様の表紙には「物語を、いつもそばに」と印刷されています。物語が一番重要という編集方針ね。では物語とは何かといえば、起承転結があって読んで「ああ面白かった」と読者が言ってくれるようなオハナシということになります。少なくとも小説新潮様ではその傾向が強うござんす。
で、ホラーはそのための格好の教材ね。小説でもドラマ、映画でも似たようなものですけどホラーは理詰めが原則です。なぜ怪異現象が起こるのか、その原因追究が最大の山場になります。その意味では推理小説に似ていますわ。ただ題材が超常現象ですから、推理小説より少しだけ解釈と申しますか、謎解きの幅が広がります。しかし物語の枠組みをキッチリ作り上げないとホラーにならないのでお試し企画としてうってつけなのでございます。
「呪ってみる?」
綾瀬は言った。指先でつまんだそれを見つめながら。
氷が溶けて薄くなったレモンサワー。汗をかいたグラスが机に小さな水たまりを作っている。脚の高さが不揃いなテーブルのせいで、水たまりは形を変えながら、俺のほうにゆっくりと迫ってくる。奥に見えるカウンターでは初老のサラリーマンが背中を丸めている。
「言ったじゃん。横山さん、消えて欲しいって」
差し出されたのは、ただの紙切れ。だが、俺にとっては。
いつの間にか太ももに落ちた雫。それがスラックスにシミを作り、黒く広がってゆく。八〇年代の歌謡曲が店内に響いている。
背筋「ただの紙切れ」
背筋さんはKADOKAWAさんのカクヨムに投稿した『近畿地方のある場所について』でデビューした作家様です。「ただの紙切れ」は呪いをテーマにしたお作品。主人公は乳製品メーカーに勤務する葛西という青年です。といっても三十歲くらいでそれなりに経験を積んでいます。
葛西は上司のプロジェクトリーダーの横山に悩まされています。斬新な商品企画が欲しいと求められてプレゼンしても、なんやかんや言って否定されてしまうのです。横山は五十歲くらい。葛西がプレゼン資料に記した横文字用語や若者言葉を理解している気配がない。横山の言うとおりにしていると結局今まで通りの無難な企画になってしまうと葛西は苛立ちます。
ただそれは軽い伏線に過ぎません。ビジネスでは結果が全てですから葛西が正しいのか横山が正しいのかは結果次第。物語は居酒屋で同期の綾瀬に葛西が横山のグチをこぼす所から始まります。綾瀬は軽く「呪ってみる?」と言います。社内で横山と同期の佐藤というプロジェクトリーダーが会社を辞めた。その理由がどうやら呪いをかけられたかららしいのです。
綾瀬、誰にも言わない? 絶対だよ? 私、綾瀬のことはけっこうかわいがってたつもりなんだから。実は私、いや、同じプロジェクトだったメンバー全員、知ってるんだよね。佐藤が辞めた理由。多分だけど、私、これからよくわかんない話するけど、笑わないでね。
私達、呪っちゃったかのかもしれないの。佐藤のこと。
同
葛西は佐藤プロジェクトリーダーの下にいた向井という社員が話した内容を綾瀬から聞きます。ここだけ向井の独白体になっています。密室感が増しますね。佐藤に不満を持っていた向井らは居酒屋でグチをこぼしながら、ふと注文票を折り紙にして散々悪口や呪詛の言葉を吐いた。「「佐藤辞めろ」「死ね死ね」みたいなこと言って笑いながら箸で突っついたりして。うん。今思うとちょっとキツイノリっていうのはわかってるんだけど、そのときはみんなけっこう酔ってたからさ。でも、それもすぐに飽きちゃって、最終的には新山くんがジョッキを紙の上に置いて、コースターみたいにしたから、それで終わったの」とあります。
しかし向井たちが未必の故意で吐いた呪詛が本当になったのです。居酒屋で言った言葉が紙に書かれて佐藤が会議室に忘れた資料に挟まっていた。それだけでなく佐藤のいる場所すべてに紙が現れるようになった。次第に一枚ではなく大量の紙が佐藤のいる場所に現れるようになる。それだけではありません。向井は「まだあるの。怖いこと。佐藤、なんだか臭くなって。(中略)腐乱臭って言うのかな。そんな感じの」と言います。
結局佐藤は精神に変調を来して会社を辞め、しばらくして交通事故で亡くなってしまいます。おかしくなった佐藤は会社で「俺は死なない! 潰されてたまるか!」と唐突に叫んだのですが、高齢者が運転する車と建物に挟まれて圧死してしまったのでした。何か自分の死にざまを予言しているような言葉に聞こえますね。
では佐藤は本当に呪いによって亡くなってしまったのでしょうか。それでは収拾がつきませんわね。物語はいわゆるヒトコワの方向に進みます。人が呪いを怖れるのは人間が怖いからです。またお作品は葛西が本当に横山チームリーダーに消えて欲しい、死んで欲しいと思っているのかどうかという問いかけに向かいます。呪いをかけるのはまあいい。そう強く念じることもあるかもしれません。でも実際に呪いが効いて人が亡くなったら・・・。含みのあるお作品でございます。
「彼女は俺たちといるものだ。名前はわざと読めないような漢字を当ててる。これは、願い事を叶えてくれる女神様だよ」
「は、はあ・・・・・・?」
目の前で顔の整ったいかにも普通の男が、ディズニーアニメでしか聞いたことのないようなことを言う。
「いいか。だからな、これはありがたいものだってことだよ。それだけだ。それで、歯を求めるんだよ。安いもんだろう」
んー。
ぬるい風が耳に掛かる。叫びそうだった。木下が恐ろしい形相で大輔を睨みつけていなければ。すぐにでも逃げ出してしまっていただろう。
ずるずると、水を含んだ音がする。
「ヒッ」
指が突き出していた。背後から、何かが手を伸ばしている。麻生の言う通りだとすれば、ありがたい女神が。
んー。
そんなふうには思えなかった。美しくないのだ。取り返しのつかないくらい黴の生えた人間の肌。女神は、美しいものだ。ディズニーアニメでもそうだった。肌は光るくらい白くて。こんな汚いものは、絶対に違う。
芦花公園「噛み砕くもの」
芦花公園さんもカクヨムから登場した作家様でございます。「噛み砕くもの」は、うーん、ちょっと荒削りのお作品ね。短編ですから仕方のない面はありますが、どうも辻褄が合わない個所が見受けられます。
主人公は大輔。「大輔のIQは、いわゆる境界知能の水準にあると判明する」とあります。しかも大輔の家は代々の医師の家系で大きな病院を経営しています。大輔は中学を卒業してから本格的に不良グループの一員になります。ある出来事がきっかけで木下という男にグループ員にスカウトされたのですが、そのグループには「女神」が憑いていた。願い事を叶えてくれる代わりに人間の歯を求める女神です。しかも美しくない。
大輔のグループは日本で殺人を犯したことでメキシコに逃げ、現地のカルテルの下働きになります。それも上手くいかず大輔はグループを離れ「シアトルに行って、香港に行って、北京に行って、とにかく逃げ続けた」とある。うーん、これもムリがありますわね。ムリを可能にする説得力ある上位のテーマなどがあれば別ですけど。
ただあまり知的ではない大輔の元に女神が現れ、かつその女神の悪い影響が大輔にだけは及ばないという設定は魅力的です。推理小説と同じでホラーにもなかなか新たな一手はないですがこのテは使えそうですわね。
佐藤知恵子
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