九月号は「あなたをケアする物語」の短編特集が組まれています。九人の作家様が短編小説をお書きになっていらっしゃるのですが、どの作品もよかったわぁ。小説にはいろんな楽しみ方がございます。それからどうなっちゃうの?系はストーリーを読ませるお作品ですわね。読者が日常生活で滅多に遭遇しない事件を描く小説です。サスペンスやホラー小説が典型的ね。
今回はそういった小説とは違って人間心理が主題の特集です。お作品を読んでいて「やっぱ小説は人間心理描写よねぇ」と思ってしまいましたわ。売れる売れないは別として、これだけビジュアル全盛時代になるとそれぞれの表現ジャンルのウリを確認しなくちゃなりませんわね。もちすべてのコンテンツは事件と人間心理で構成されているわけですが、マンガやドラマ・映画は次々起こる事件が最大の魅力よね。それに対してじみーな文字だけの小説が得意なのは人間心理の機微だと思うのでございます。もち事件+小説ならではの心理描写がうまく組み合わさっているのが素晴らしいお作品ということになると思います。
「そっちは出社マストなんでしょ? 周りの人にうつってもあれだし、明日はリモートにしたくて・・・・・・」
なるほど、グルーミーはマスク顔で、声も憐れに裏返っている。このグルーミーはシャイニーの同期で、何回か飲みにも行っていた。
「体調が悪いなら年休にしたら?」
「いや、明日は絶対に休めない」
当然のように仕事優先だった。
「あとはさ、実は出社日数が足りないのもあって・・・・・・」
シャイニーは、いっときキョトンとした。
「ああ、月に五日のしばりのこと?」
グルーミーは「それそれ」と応じた。明日は月末だというのに「まだ今月は四日しか出社していない」という。このグルーミーは生粋のリモート派だった。
石田夏穂「シャイニー」
石田夏穂さんの「シャイニー」の主人公は、大手電力会社の関東電力に勤務するシャイニーという青年です。会社は東京八重洲にあるのですが町田の社員寮に住んでいます。ただコロナを機に正式にリモート勤務が認められるようになった。社員寮の同僚たちのほとんどがリモート勤務です。しかしシャイニーは国家機密に関係する原子力ソリューション部なので毎日出社を義務づけられています。通勤に片道三時間もかかります。
ただリモート勤務でも月五日の出社が義務づけられている。シャイニーは同じ社員寮に住むグルーミーから、代返ならぬ代理出社を頼まれます。リモートに慣れて出社が億劫になったので、シャイニーに社員カードを預けて出社、退社を偽装して欲しいと頼んできたのです。出社しても上司も同僚もフリーアドレスのデスクで仕事していて打ち合わせなどもパソコンでやるのでバレない。シャイニーは快く引き受けます。実はシャイニーは会社でする仕事がないのです。
「いやあ、毎日のように君がテンパってるのを見ると、何だか可哀想になっちゃって・・・・・・」
これにシャイニーは泣き笑いのような気持ちで、うっすらはにかむことしかできなかった。あはは、この会社って人に優しいな。流石は天下の関電である。しかし、当座は一杯一杯で何も言えなかったが、シャイニーは事後に、こう思った。何だか可哀想と思うくらいなら、どうして、自分をきちんと叱ってくれなかったんだろう。思い返せば、シャイニーがミスしても、皆さん気まずそうに笑うだけで、誰も真剣に指導してくれなかった。皆さん押しなべて他人事で、誰も自分に厳しくしてくれなかった。きっと最近の職場には「優しい」人が多いのだろう。しかし、シャイニーは人生でこのときほど、上から猛然と怒られたかったと感じたことはなかった。
そうして原ソリュに移動したシャイニーであるが、こんなことになるとは、夢にも思っていなかった。シャイニーは何も仕事を与えられず、ただただ放置された。
同
シャイニーは高学歴でルックスもいい好青年です。だから関電に簡単に入社できたのです。それどころか花形のベンチャー部署・カーボンニュートラル推進部に配属されました。しかしシャイニーには大きな問題があった。要領も飲み込みも悪く仕事ができないのです。案の定、シャイニーはしばらくして原子力ソリューション部に転属になります。国家機密に関連する仕事なので毎日出社です。しかしまったく仕事を与えてもらえません。
カーボンニュートラル推進部の部長はシャイニーに原子力ソリューション部への転属を話す際に「まずは、君に謝りたいと思う」と切り出します。「期待しすぎちゃってごめんね」とも言います。最近の大手企業の社員への接し方がよくわかりますわね。セクハラはもちろんのことパワハラ厳禁。それが徹底されています。
完全外資企業では朝出社してクビを言い渡されそのまま退職も珍しくありませんが、外資でも日本法人だとそう簡単にクビを切れません。アドミンと法務部と社員が話し合って半年分、一年分の給料先払いで退職してもらうということもあります。それに比べると日本の大企業はホントに優しいわね。
ただシャイニーは「可哀想と思うくらいなら、どうして、自分をきちんと叱ってくれなかったんだろう」「このときほど、上から猛然と怒られたかったと感じたことはなかった」と思います。ないものねだりですが、ミスを叱り厳しく指導するとパワハラで訴えられる可能性があるのですから仕方ありません。叱ったり指導したりするのはその人を気にかけた親切なんだと言っても今の世の中では通用しませんわね。これはこれで窮屈な社会よね。
シャイニーの代理出社は寮で噂になり、リモート勤務しているグルーミーの多くが代理出社を依頼してきます。最初は感謝されていたのですがどんどんそれが当たり前になる。シャイニーは寮のグルーミーたちの代理出社のためのパシリになってゆく。シャイニーはこの窮地をどう自分で乗り越えるのでしょうか。
で、もちろんシャイニーもグルーミーも社員の本名ではありません。グルーミーが英語のGloomyで「陰気なヤツら」であるのはすぐわかると思いますが、シャイニーは当然のことながらShinyではありません。実際にお作品をお読みになってお確かめください。
「あ、最近は男性更年期外来っていうものあるみたい」
おれがこんなにも重大な告白をしている時にさっきからなにスマートフォンをいじっているのかと呆れていたのだが、男性更年期について調べてくれていたらしい。
「女には婦人科があるんやけどね。更年期か・・・・・・それはつらいわな」
「わかるんか?」
「そらそうよ。わたしもしばらくしんどかったもん」
「え? いつの話?」
春輔が驚くと、妻はさも軽蔑したように「あんたは、ほんまにわたしに関心がないんやねえ」と息を吐く。
「わたしが調子悪くて寝とる時も、『あれ? 飯は?』とか言うとったよなあ、そういえば、そうやったそうやった。あれは、殺意湧いたわ!」
寺地はるな「くま」
寺地はるなさんの「くま」の主人公は食品メーカーに勤める春輔です。小さな営業所の所長をしていますが「所長になった時も、「部下にちょっとなめられているぐらいの上司でいよう」と思っていた。それぐらいの職場のほうが、きっと風通しがいい」とあります。日本中、他人に優しく接するけど本音がぶつかり合わない社会になりつつあることがわかります。が、「くま」という小説はそれをちょっとだけ打ち破るお作品です。トリガーは春輔の男性更年期です。
なぜ「くま」というタイトルなのか、なぜ春輔の男性更年期が妻や会社の同僚との心理的垣根を少しだけ取り除くことになるのかは、実際にお作品をお読みになってお楽しみください。ただ日常を描いた小説では女性作家の方が隅々に目が届いているように感じましたわ。毎日毎日じーっと鏡を見ている女とひげ剃りくらいの時間しか見てない男との違いかしらね。
佐藤知恵子
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