「小説現代」様は単行本一冊分の小説の一挙掲載がおおござーます。今号は一色さゆりさんの「音のない理髪店」です。アテクシ、すれっからしのお局でオバサンでございますから、このお作品についてストレートな批評を書くのは躊躇われますわ。アテクシが一番苦手な小説は登場人物全員がいい人系のお作品なのよ。んで「音のない理髪店」はドンピシャ100パーセント混じり気なしのいい人小説なの。アテクシがどっぷり首まで浸かってる殺伐としたビジネス世界とあまりにもかけ離れてるからかしらねぇ。アテクシの職業病かもしれません。
主人公は五森つばめという小説家です。二十三歲で恋愛小説の新人賞を受賞して本が出ましたが「デビュー作から三年間、新しい本を一冊も出版できずにいた」とあります。書けない理由は「なにを、どうして書きたいのか、書くべきものがわからない、という壁」にぶつかったからです。
そんなつばめにある出版社の編集者・駒形が連絡してきます。つばめに新しい小説を書いてもらうためです。駒形は「じつは私こう見えて、見る目があるんですよ」と言いつばめの才能に期待していると伝えます。つばめは最初の作品を出版してくれた編集者には提出しなかったプロットを駒形に見せます。つばめが純文学ではなく大衆小説の作家だということがわかりますね。かなり細部まで編集者とプロットを詰めてから書き始めていますから。
そのプロットはつばめの祖父の物語でした。祖父の正一は徳島で日本で初めてのろう理髪店を開いた人だった。その祖父について書きたいと駒形に言うと「五森さんが本気で挑戦されるなら、私もしっかり伴走いたします」と後押ししてくれます。とは言ってもつばめは祖父・正一のことをほとんど知らない。まず調査が必要です。
「私はただ、おじいちゃんのことを知りたいんやと思う」
口に出すと、それ以上の答えはなかった。
「このあいだ、おじいちゃんがろう理容師だったことを思い出して以来、ずっと私の心のなかに死んだおじいちゃんがいる。今よりも差別や偏見がひどかった時代に、自分のやるべき仕事を見つけて自立して、子どもを育てあげたおじいちゃんの人生から、私は生きる秘訣を学びたい。どんな困難があって、どうやって乗り越えたのか。なぜなら・・・・・・」
深呼吸をして、自分の心と向きあう。
「私は作家になりきれず、なんのために作家になりたいのかもわからず、途方に暮れているから」
一色さゆり「音のない理髪店」
祖父の正一はもう亡くなっているので、つばめはまず父親の海太にヒアリングします。海太は父・正一について話すのを渋りますが、つばめの説得で少年時代のことを話してくれます。それを皮切りにつばめは父の姉の暁子、そして祖母の喜光子に話を聞きます。最後に正一を指導した聾学校の教師で、徳島で初めて聾学校に設けられた理髪科で教えた宮柱栄次郎に会いにいきます。それによって正一の生涯がじょじょに明らかになってゆくのです。
「つばめちゃんには、まず、ひどい時代やったってことをわかってほしい。ろう者への差別も今じゃ考えられないくらいひどかった」
曖昧に肯く私に、暁子はこうつづける。
「たとえば、正一さんは長男なのに、五森家を継いでいない。でもそれには複雑な事情があってね。一九七九年までの民法第十一条では、障害者は準禁治産者っていって、実際には財産に関する法律行為の対象から外されて家業も継げなかったからなんよ。知り合いには、長男なのに障害者だから追い出された、なんて嫌味を言う人もいたけど、そうするしかなかったわけ。正一さんたちは本家と協力したり工夫したりして、店をなんとか保っていたんよ」
私は目を見開いたまま、暁子の横顔を見つめた。
同
作家様が綿密に取材しておられるので、聾啞の人たちが置かれていた苛酷な状況に関する歴史や差別が細かく書かれています。ほんのちょっと前まで障害者が準禁治産者とされていただけではなく、一九九六年まで優性保護法があり、特に戦前はナチスドイツの影響もあって聾啞者が妊娠しても強制堕胎させられていたことなども語られます。
聾者の言語学習の困難も並大抵ではありません。人間は赤ん坊の時に父母の声などから自ずと言葉を覚えていきます。しかし生まれながらの聾者には不可能です。音ナシで単なる記号として言葉を覚えてゆかねばならない。
聾者の子どもも苦労することになります。子どもは耳が聞こえるのに親はそうではない。子育てでは子どもが危険な遊びをしていても親が気づかないことがある。また物心ついた子どもは手話を覚えなければ親とコミュニケーションが取れません。つばめの父の海太がそうでした。そういった子を「コーダ」、チルドレン・オブ・デフ・アダルトと呼ぶことなども説明されています。小説には未知の世界を知るという効用もありますが「音のない理髪店」には聾者の置かれた厳しい状況が詳細に語られています。
思い返せば、私にはあんなふうに感情を人に曝けだした経験がほとんどなかった。家族や親しい友人にさえも遠慮し、いつも自分を取り繕ってきた。拒絶されたり無視されたり、相手の反応に傷つくのが怖かったからだ。いつのまにか伝えることを躊躇し、そもそも絶対に伝えなくちゃいけないとも思わなくなった。この人にだけは、このことだけは、どうしてもわかってほしいと強く願ったことはいつが最後だろう。
それは相手に向きあっていないせいではなく、自分と向きあうことができていなかったからだろう。私はいつのまにか自分自身に背を向けて、他人の意見に合わせるだけの空気のような存在になっていた。自業自得だった。青馬との電話は、そのことを気がつかせくれた。
同
「音のない理髪店」は祖父・正一を主人公にしたお作品ではなく、正一の生涯を小説に仕上げてゆく経緯を書き綴ったお作品です。新人賞を受賞し最初の本が出ましたがその後書き悩み自己の小説家としての資質まで疑い始めているつばめが主人公ですから、小説は当然のことながら彼女の作家としてのビルドゥングス・ロマンでもあります。彼女の成長は「この人にだけは、このことだけは、どうしてもわかってほしいと強く願ったことはいつが最後だろう」という言葉で表現されています。小説家としてどうしても書きたいこと、伝えたいことを見つけたわけです。
新しい小説を依頼した編集者の駒形は「作品というのは多かれ少なかれ、自分を削ってつくるものだと私は思っています」とつばめに言います。この自分の削り方には様々な方法があると思います。では「音のない理髪店」で作家の内面などが抉るように削られているかというと、んー、んーと思ってしまいますわね。確かに祖父・正一を始めとする聾者の人生は厳しい。でもつばめは人に恵まれています。編集者の駒形、父・海太、伯母・暁子、祖母・喜光子もつばめの取材に応じてくれ正一についての小説を書くよう励ましてくれる。
それはつばめが手話を習うために通い始めたNPO法人デフキャンプ代表理事の青馬青年も同じです。彼はつばめに様々な聾者に関する資料を提供してくれるだけではありません。実はつばめと縁の深い青年であることが明らかになります。小説のラストではつばめと青馬青年の恋の芽ばえも示唆されています。ほんわかしますね。でもね、んー、んー。
「音のない理髪店」は聾者の苦悩や差別を知ることができる素晴らしいお作品だと思います。ただすべてにおいて中庸な小説という感じがしますわねぇ。文体も古典的。とても丁寧に書かれているのですがスピード感がなくって意外と読み通すのに苦労しましたわ。あ、作家様がとってもいい人だということがよくわかるお作品ですからこんなこと言っちゃいけませんわね。要するにすれっからしでイジワルオバサンのアテクシにはあまり向いていない小説でございました。大変申し訳ございません。
佐藤知恵子
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