今号は「時代小説秋祭り」特集です。売れっ子作家様たち七人がお作品を競作なさっています。時代小説の人気は不滅ですわねぇ。巻頭は畠中恵先生。時代小説の大家と呼んで差し支えない作家様でいらっしゃいます。
これは、長崎屋の若旦那を〝旦那さん〟などと呼ぶ人がいる。明日より、来月より、来年よりも先の、ある時の出来事だ。
ただ妖達は、ずっとずっと若旦那を〝若旦那〟と呼び続けている。
(畠中恵「かたみわけ」)
畠中先生の「かたみわけ」は「妖シリーズ」の一つです。畠中先生は一つの世界をきっちり作り上げて物語を量産なさるのがとてもお上手な作家様です。この作品でもそうで、長崎屋の若旦那は「明日より、来月より、来年よりも先」には当然ですが「旦那さん」と呼ばれるようになります。しかし彼に仕える「妖達」は「若旦那を〝若旦那〟と呼び続けている」。長崎屋の若旦那は年を取らない、あるいは肉体的年齢とは無縁の普遍的な力を持っているということです。
その後長崎屋は、主となった若だんなと妖達で、困る事なく商いを回している。余裕があるので、佐助は広徳寺から文が来ると、妖達を上野へ来させたらしい。それで屏風のぞきと金次だけでなく、おしろ、場久、鈴彦姫に小鬼らまで、ぞろぞろ顔を出す事になったわけだ。
「で、何用だい? 詳しい事は、秋英御坊の文には書いてなかったが」
わざわざ長崎屋を頼ったのだ。妖絡みかと金次に問われ、秋英は頷いた。
「寛朝様亡き今、広徳寺には、妖と対峙出来る者が私の他におりません。申し訳ないが、長崎屋の皆さんを頼りたいんです」
「はて、秋英御坊がそうも困るなんて、珍しいねえ」
(同)
お作品は長崎屋の若旦那から始まりますが、この作品には登場しません。長崎屋にいる妖達が活躍します。また主人公は別にいます。広徳寺の秋英という僧侶です。
江戸は魑魅魍魎が跋扈する世界として設定されていて、それを平伏させる法力を持った僧侶が二人いました。寛永寺の寿真と広徳寺の寛朝です。しかし二人とも亡くなってしまい弟子の時代になっています。広徳寺寛朝の後を継いだのが秋英という僧侶で、この秋英が寛朝亡き後の寺で困ったことが起こったので、長崎屋の妖達を頼って問題を解決するまでが今回のお作品の流れです。
かなり複雑な伏線というか世界が構築されています。まず冒頭で登場する、妖達を自在に使っている長崎屋の若旦那が気になるところですが、彼の情報は読者にスリップされるだけで具体的に語られません。妖達にもそれぞれ特技やバックグラウンドがあるはずです。
江戸の魑魅魍魎を平伏させてきた寛永寺の寿真は「いかにも名僧という見てくれ」で、もう一方の広徳寺の寛朝は「僧にしては金に強く、大いにいい加減な所もあったが、やはり法力は強かった」とあります。寛永寺寿真も広徳寺寛朝も掘り下げれば人間的魅力のある僧侶たちです。ただ師を継いで魑魅魍魎を平伏をしなければならない弟子の秋英はまだまだ若く自信がない。そのため以前から懇意にしている長崎屋の妖達を頼ったのです。
大きな木のように世界観が確立されていて、どの部分を取っても小説題材を引き出せるようになっていますね。同時代的に人間(妖)関係を横に辿っても物語は出来ますし、過去に遡っても物語を生み出せるのです。ただこういった世界観が最初にきっちり作り上げておかないと矛盾などが生じやすい。ま、それがいとも簡単にお出来になっていらっしゃるから流行作家様なんですけどね。
「寛朝様を崇めておいでの方々は、広徳寺へ、大急ぎで怪しい品を返す事になったんですよ」
しかし、驚いた事は他にも起きた。寺に対して寄進を返せという声は、見事になかったのだ。
「きゅわわ?」
「不思議な事に信奉者の方々は、寛朝様が法力で押さえていた不可思議を目にし、それは満足されたんです」
自分だけが寛朝の成した神秘を、目の前で見た心地になったのだろう。その体験こそが、寛朝の形見となったのだ。
秋英は、品物が寺に返ってほっとした。だが、また直ぐ慌てる事になった。
「実は、幾つか返ってこなかった品が、あったんです」
「戻すのを、嫌がった方がおられるんですか」
「その・・・・・・逃げた怪異がおりまして」
寛朝は、ことに危ない品には、強い護符を貼っていた。だが、寄進と引き換えに渡すとき、品物を見せる為、御坊が剥がしたらしい。護符から逃れた妖の何人かは、町家に連れて行かれた後、さっさと消えたのだ。
(同)
強い法力を持っていた寛朝は熱心な信者を抱えていて、彼らは寛朝死後に形見分けを望みました。寛朝が亡くなってお布施が少なくなっていた寺も大助かりで、寺にある寛朝ゆかりの品々を譲ったのでした。
ところがそれらは寛朝が護符を貼って妖達を封じ込めていた品々でした。中には品物を渡す時に護符を剥がしてしまい、妖が逃げ出してしまった品もありました。それがいろいろ悪さをするので、弟子の秋英が長崎屋の妖達の力を借りて逃げた妖を再び封じ込めようと動き出したのです。ただ形見分けの品が騒ぎを起こしても「寺に対して寄進を返せという声は、見事になかった」というのはいかにもですね。こういった記述が絵空事に流れがちな妖怪退治を地上に繋ぎ止めています。
「きゅげつ、鳴家、こわいっ」
小鬼が震えて鳴いた途端、突然二匹が、妖達の方を向いた。そして、喰ってやろうというような、それは勇ましい目で、二人を見てきたのだ。
「おいおい、さすがは怪異というか、おれ達より随分と小さいのに、怖いじゃないか」
じりじりと迫ってくる二匹は、止まる気などなさそうだ。今にも飛びかかってきそうだと見て、場久が屏風のぞきの耳元に、小声で囁いた。
「一旦止まって下さい。そして飛びかかってきたら、後ろへ飛び逃げて」
後は悪夢を食べる漠、場久が何とかするという。何しろ、他の手を考える余裕も無かったから、屏風のぞきは頷いた。
足を止めた途端、鳥と猫が、飛びかかってきた。
「きゆんげーつ」
「うわっ」
声と共に、屏風のぞきが飛び退く。すると、何故だか屏風のぞきの影だけ土間に残った。そして、そこへ怪異らが降り立つと、影はまるで悪夢のうように、二匹を飲み込んだのだ。
(同)
「きゆんげーつ」といった擬音というかオノマトペは畠中先生の読者の皆さんならお馴染みですね。擬音を効果的に使うことが畠中先生のお作品をどこかほのぼのとしたものにしています。特に町人モノの「まんまこと」シリーズでは効果的です。主人公は「ふにふに」生きてる太平の世の江戸の町人です。
ただ怪異モノではあんまり効果が上がっていないうような。妖退治のシーンでも、視覚的に絵が見えてこないようなところがあります。読者に絵を想起させるには登場人物たちが多過ぎるのかしら。
とはいえ妖退治に乗り出した秋英が大活躍し、人間的にも成長してゆく物語です。畠中先生のお作品ですから面白いこと請け合いです。
佐藤知恵子
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