今後の巻頭は有川ひろ先生の「シュレーディンガーの猫」でござーます。先生は長く有川浩のお名前で活躍なさっていましたが、有川ひろに改名なさいました。『図書館戦争』や『フリーター、家を買う』、『三匹のおっさん』、『県庁おもてなし課』などで有名なちょー売れっ子作家様でござーます。先生に敬意を表して小説現代様でも異例の一段組みですわ。当然よねぇ。
アテクシなど有川先生は角川さんの作家というイメージがありますが、作家様はフリーランスですから広いフィールドでご活躍中です。ただ講談社様のイメージはあんまりないわねぇ。ま、売れっ子作家様は、つーことは本が売れる作家様は出版社の間で取り合いなのよ。礼を尽くすのは当然ですわね。
ほんで表題の「シュレーディンガーの猫」は言うまでもなく量子力学の用語で「観測するまで物事の状態は確定しない」という意味です。「猫」が入っていますから、猫が登場するのは読む前からわかりますわね。「物事の状態は確定しない」についても同様です。なにか不安定な状態が描かれ、それが一定の安定状態になるまでの物語だと推測されます。
つまり言い方は悪いですが、最初からある意味ネタバレしている作品ですわ。ただこれは自信がない作家にはできないタイトル付けです。タイトルから内容は推測できるけど、「それがどーした」ということです。んでその堂々たるタイトル付けにふさわしいお作品になっています。
名付けを啓介に任せるのは最初から決めていた。そうでなくとも漫画全振りで何かと頼りない夫だ。子供ができたときもぽかんとするばかりで嬉しいのやら嬉しくないのやらさっぱりだった。
あまつさえ「俺の子?」と訊かれて、そのまま戦争が勃発した。とはいえ秒で「離婚だ!」と機関砲を放ったので、啓介は「救護兵!」と叫び続けたのに過ぎなかったが。
違う違う、そうじゃ、そうじゃないと壊れたレコードのように啓介はひたすら泣きを入れ続け、怒り疲れた香里がそうじゃないなら何だと訊くと、今度は「信じられない」と吐かした。
よろしいやっぱり離婚だ、といっそ高笑いしそうになったが、手振り付きで「誤解だ」と来た。何が誤解だ。
自分が親になるなんて信じられない、というようなことを啓介は言ったのだと思う。香里も頭に血が昇っていたので正確には覚えていないが。
こんな駄目な自分が親になるなんて信じられない。そういったようなことをくどくどと語った。漫画全振りで社会生活に支障を来しがちな啓介らしい泣き言ではあった。
有川ひろ「シュレーディンガーの猫」
「シュレーディンガーの猫」は香里と啓介の物語です。啓介は漫画家で、「漫画全振り」の夫です。漫画大好き、仕事大好きといえば聞こえはいいのですが、それ以外の日常生活に大いに欠陥がある。香里が啓介と結婚したのも、出版社社員として彼を担当したのがきっかけでした。
漫画家は浮き沈みが激しい職業ですが、当時啓介は作品が当たってそれなりの収入を得ていました。ところがまったく税金の申告ができない。どうしていいのかもわからない。仕方なく担当の香里が税務申告をし、税理士の言うまま青色申告のための開業届まで出してやったのでした。それが続いて結婚してくださいという流れになったのですね。
引用はお作品の冒頭ですが、香里と啓介の立ち位置がはっきりわかります。まあかかあ天下と言いますか、日常生活に難がある啓介は尻に敷かれっぱなしです。また男の方が子供が生まれるということに対して鈍感です。「自分が親になるなんて信じられない」というのは多くの若い父親が感じることでしょうね。
短編ということもあり、非常にスピード感のあるお作品の始まり方です。つまりリズムがある。この心地良いリズムに乗って読者は一気にお作品を読んでしまう。上手いですね。
「栞が生まれたのに、こんな小さい猫を見殺しにしたら、もう親になれないような気がして」(中略)
自分が見捨てたらこのオレンジの子猫は死ぬのだ、自分が見殺しにするのだというストーリーを一瞬で強固に打ち立ててしまう感受性が、佃啓介をツクダケイスケにする所以なのだろう。自分が拾わなくても誰か他の人が拾うかもしれない、そんな他力本願な物語は漫画にならない。(中略)
「シュレーディンガーの子猫ね」
箱の中の猫の生死は観測するまで不明。その日、ゴミを出しに行ったのが香里だったら、近所付き合いの法則に則ってそもそも観測していないので、この猫は佃家の世界線に登場していない。
ツクダダイスケが観測して、名前までつけてしまったので、三ヶ日みかんの子猫は佃家の世界線に確定してしまった。
同
出産のために実家に戻っていた香里が家に帰ってくると、啓介が子猫を飼っています。ゴミ捨て場の三ヶ日みかんの箱の中に棄てられていたのでした。二匹いたのですが一匹はもう死んでいた。啓介は猫を保護すると動物病院に連れて行き、スピンという名前までつけて飼い始めていました。
「シュレーディンガーの子猫ね」という香里の言葉はこのお作品の解題ですが、啓介がゴミ捨て場に置いてあった三ヶ日みかんの箱の中を覗いてみなければ、猫のスピンを保護できなかったという意味だけではありません。啓介というそれなりに優秀な漫画家の未来も、夫婦関係も、ある出来事が起こり、その結果をちゃんと「観測するまで不明」ということです。
赤子の授乳は無慈悲の二、三時間おきで、それは夜中も変わらない。床に入って睡魔に落ちた頃にふにゃーんとサイレンが鳴り響く。(中略)
すると啓介がもぞもぞ起き出すのであった。
「俺作ってくるから寝てなよ」(中略)
旦那って起きないよー、と職場の先輩ママには脅されていた。曰く、夜中の戦力に数えるな。だが、啓介は今のところ赤子サイレンに気づかず寝こけていたことはない。
だって、スピがさ。とここでも猫なのであった。
離乳前に捨てられていたスピンは、拾って二週間ほどはミルク生活だったという。
スピも二時間タイマーだったからね。(中略)
実家で猫が途切れたことがない香里でさえ、そこまで子猫の面倒を見たことはない。全部母親任せだった。(中略)
よくやったよねぇ、あんたが。
大いに含みを持たせた感想に、啓介は照れ笑いした。
同
啓介という、ぶきっちょでもあり漫画家としては器用でもあり、鈍感なようで繊細な夫が、猫を拾ったことで、そこから父親らしくなってゆく様子がストンと描かれています。猫のスピンの世話をしたことが、実感のない赤ん坊の世話につながってゆくわけです。またそれが夫婦関係を新しいものにしてゆく。
出どころはここかな、とリビング置きのノートを拝見。おそらく尻のほう。――案の定、そこにいた。軽率に投稿したスケッチだけでなく。
たくさんのたくさんの栞里。たくさんのたくさんのスピン。
ああ、この人は、親になんたんだなぁ。
目頭が何やらむずがゆい。いや、胸か。
栞里とスピンが溢れている。溢れて溢れてもうそろそろ頁が尽きる。(中略)
テーブルの上の筆立てからサインペンを取り上げる。ノートの最後に描かれているスケッチに「いいね!」と書き添える。続けてペンが滑った。「大好き!」
あっと思ったがインクなので消せない。いやいや、絵についての評価。
同
香里は実生活能力に難があるから同情して啓介と結婚したわけではもちろんありません。彼の漫画が好きなのです。それもサラリと描かれています。
ペットブームということもあって、小説界では猫モノお作品がかなり溢れています。まあ漱石先生の『吾輩は猫である』や内田百閒先生の『ノラや』など、猫モノには傑作がおおござーますわね。ただま、基本的には招き猫系と言いますか、猫が人間に幸せを運んでくるというストーリー展開が不文律的に成立しています。それを外すテもありますが、「シュレーディンガーの猫」はキッチリ幸せ系のお作品でござーますわ。
で、有川先生が猫好きかどうかは別に、またご自分の体験が薄い下敷きになっているかもしれませんが、このお作品、ほぼ完全なフィクションですわ。当たり前のようですが、これだけリアリティをもって若い夫婦の日常を、若夫婦らしくスピード感のある文章で綴る力量はさすがですわね。売れっ子作家であることを深く納得させる短編秀作でござーます。
佐藤知恵子
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