大衆小説では推理小説が人気ジャンルの一つね。小説新潮様2月号では「特集 氷点下のミステリー」が組まれています。七人の作家様による短編ミステリー小説でござーます。でもねー、うーんうーん、このテの短編ミステリー小説特集って、あんましなのよぉ。ミステリーやサスペンス小説って、短編ではイマイチになっちゃうの。考えてみれば当然よね。
もちろん赤川次郎先生のように、10枚くらいであっと驚く、というかあっけにとられる結末であっさり完結してしまう探偵小説もござーますわ。アテクシけっこう好きですけど、よほど精神が弛緩した時でないと読もうと思わないわね。でもショートショートなら脱力系の結末の方がかえっていいのよ。中途半端な長さの短編になると苦しいわぁ。
ミステリーもサスペンス小説も登場人物の心理を描かないと説得力が出ませんわよね。それにお約束としてトリックが必要だわ。短編で心理描写して説得力を持たせるのは難しいわけです。そしてトリックはほとんど出つくしていますから、斬新なトリックならなおのこと、短編では使いたくないわよね。長編でも心理サスペンスにして、レディメイドのトリックを少しだけ変えた謎解きクライマックスにする小説がおおござーますからね。心理とトリック、両方が封じられるときついわー。定期的に組まれていますから、もしかして短編ミステリー特集って、雑誌編集部による作家お試し企画なのかしらね。そうだとすると大学入試共通テストみたいでやーね。
帰宅してすぐに、キッチン脇の小部屋で、パソコンの電源を入れた。ブラウザを立ち上げて、もう一度「お札」の検索を試みたのだ。結果は相変わらずで、紙幣関連の記事ばかりが、見事にずらりと並んだ。おまけに、平仮名で「おふだ」と入力することは出来ず、エンターキーを押すと同時に、勝手に「お札」となってしまう。
ならば端から、「おさつ」と平仮名入力すればどうなるのか。
さすがにこちらは、勝手に「お札」になるようなことはなかった。ただ、当然と言えば当然だが、紙幣関連の記事に加え、ありとあらゆるイモ関連の記事が果てもなく並んだ。
「これが迂遠か・・・・・・」
漢字変換の機構そのものが、横ずれを起こしているような印象があった。こんな状況に慣れてしまったら、脳みその中まで横ずれを起こしてしまいかねない。いや、慣れることなどあり得ないか。考えつつ、画面を見ながら軽いめまいを感じた。
村木美涼「お札男」
村木美涼先生の「お札男」の主人公はクメと呼ばれる小説家です。クメは自宅の仕事部屋にカンヅメになって小説を仕上げました。「室内に置いてあるのは、どこにもつながっていない、作業に特化したパソコン。小さな本棚。休憩用のソファ。コーヒーメーカー。それだけだ」とあります。締め切りが迫っているのについネットなどを覗いて時間を浪費してしまう悪癖に嫌気が差して作り上げたカンヅメ部屋です。クメは食事以外は三週間仕事部屋から出ないで小説を仕上げたのでした。
仕事部屋を出て日常生活に復帰すると、世の中が少しだけ変わっている。クメは妻から最近「お札(おふだ)男」が出没する、しかもその男は自分たちのマンションの一階に住んでいるようなのだと聞かされます。お札男は他人の家の玄関にお札を貼って歩く男のことです。実害はないのですがなんのためにそんなことをするのか、まったくわからないので気味が悪い。しかもお札男の後ろに立つと、自分もお札を貼らずにはいられなくなるのだという。
お作品はもちろん、お札男とは何者なのか、その謎解きに向かいます。でも一番面白いのはネットと現実世界との関係かもしれませんわ。ハッキリとした理由はわかりませんが、ネットの検索機能に制限というか操作が加えられていたのです。クメが「おふだ」と入力すると自動的に「おさつ」に変換されてしまう。「お札」の読みは「おふだ」と「おさつ」の二通りですからね。実質的に「おふだ」では検索できないようになっていたのです。クメは「漢字変換の機構そのものが、横ずれを起こしているような印象があった。こんな状況に慣れてしまったら、脳みその中まで横ずれを起こしてしまいかねない」と思います。
ネットが人間のインフラになっている現代では、こういった〝情報操作〟が密かに行われている可能性はありますね。これからそういった手法で情報操作を行い、人々の思考を一定方向に導こうとする力が働く可能性もあります。人間の現実がネットに反映されるのではなく、ネット情報が人間の現実を作り、それを変えてゆく可能性があるわけです。
「お札男」は謎解き小説としてはアベレージだと思いますが、アイディアは素晴らしいですわ。大衆作家様は短編でもアイディアの芽を見つけ、それを中編・長編に育ててゆくのねーと思いましたことよ。
「強い人間にならなくちゃと思うんだけど、やっぱり難しいのよね。社会って、強い人間に適切な形で出来上がってるから、そこからはみ出た人間は雑に扱われてしまう気がする」
「私も、学校はあんまり好きじゃない。なんか、息苦しいなぁって」(中略)
唇を尖らせる私に、まりこさんは薄く笑った。伸ばした脚の上では、猫がちょこんと丸くなっている。どの猫も毛がふさふさしていて、撫でると温かい。まりこさんと一緒にいると、私は強い安心感を覚える。ずっとここにいたいなと思う。
「本当にそうよね。ゆみちゃんがただ生きているだけで満足すべきって、お母さんは思うべきなのにね」
まりこさんが言葉を発する度に、この人は本当に良い人だなぁと思う。それと同時に、まりこさんみたいな良い人が大人に仲間外れにされることがとても悔しいなぁと思う。猫を可愛がるまりこさんを見る度に、私はまりこさんが幸せになってくれることを願った。
武田綾乃「まりこさん」
武田綾乃先生の「まりこさん」は日常の人間関係を題材にした小説です。主人公の由美は小学三年生の時に三十歳も年上のまりこさんと仲良くなります。まりこさんは自宅で猫をたくさん飼っています。由美は猫に惹かれてまりこさんと仲良くなったのでした。ただ母親はまりこさんと同級生でしたが、「あの人にはあんまり関わらないようにしなさいね」と常日頃から言っていました。由美は母親に内緒でこっそりまりこさんの家に行っていたのですが、それがバレてしまう。母はまりこさんの家に行くことを厳しく禁じ「大人と大人だと、あの人と関わるのは難しいの」と言ったのでした。
由美は東京の大学を出て就職し、移動によって地元に戻ってきます。ふとまりこさんが気になって訪問します。まりこさんはさらにたくさんの猫を飼いながら暮らしていました。由美はまりこさんに小猫を引き取ってもらえないかと言われ、アパートがペット飼育禁止だったので転居して猫を飼う準備をします。そしてまりこさんと決裂する。その顛末は実際にお作品を読んでお楽しみください。
私はもう、子供じゃない。ずっと子供のままではいられないのだ。
ツンと痛む鼻奥の刺激を無視して、私は何でもない顔で信号が赤から青へ変わるのを待った。ポケットに入れっぱなしだったスマートフォンが振動し、そういえばマナーモードにしていたことを思い出す。アプリを起動すると、結婚を報告してきた友人からメッセージが届いていた。
『実はね、赤ちゃんも産まれる予定なんだ』
その最後につけられた笑顔の絵文字。それを目にした瞬間、私の口からは自然の笑いが零れていた。喜びの笑みなのか、自嘲なのか、自分でも判断がつかなかった。(中略)真っ暗になった画面に、無表情の自分が映り込む。傷付くことに慣れた、大人の顔をしていた。
同
複雑な人間感情をサラリと描くのも大衆小説の醍醐味ですわね。人間は一筋縄ではいかない。動物愛護も度を超せば批判の対象になります。ありとあらゆる批判が可能になる。そんな構図がネットの普及によって360度見通せるというほどあからさまになったのが現代です。
ほとんどの社会問題では誰もが正しく誰もが少しずつ間違っている。そこでまず「傷付くこと」が世界に対する人間の正しい在り方でしょうね。ただ人間はそこからまた一歩を踏み出さなければなりません。小説が描くのは社会的正しさではなくむしろどうしようもない社会と人間の矛盾と混乱です。だから「傷付くことに慣れた、大人の顔をしていた」だけでは終われない。フィクションだからこそいつかはドツボに向かわなければなりません。反語ですね。
佐藤知恵子
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