アテクシ台湾がかなり好きなのよ。税金の関係でシンガポールに移住する富裕層が増えていますけど、街としてはあんまり魅力がないわね。すんげぇ蒸し暑い東京みたい。もちろんお金があれば快適に暮らせますわ。その快適さは東京以上かもしれませんね。食に関しても問題ありません。
お食事って海外に長いこと滞在するとけっこう大変なのよ。一週間くらいなら耐えられるけど、それ以上になると勘弁してぇ~と言いたくなる国が多いの。ベトナムなんかは食という点ではいいわよぉ。フランスパンがおいしいの。やっぱフランスの旧植民地って食がいいわぁ。文化伝統がぜんぜん違うせいかもしれませんが、イギリス旧植民地のインドの食はうーん、ね。カレーから逃避したくてマクドナルドに行ったんですが、ハンバーガーがカレー味だった時は「まじっすか」と叫んでしまいましたわ。
その点台湾は文化も食もいいわ。街はどんどん変わっていっていますが、一昔前の日本って感じ。いい感じの混沌がまだ残ってるのね。食もおいしいですわ。問題は公害ね。タイペイなんか、すんごい排気ガスですから、あれはなんとかして欲しいわぁ。
ほんで最近ニュースでメイン・チャイナが台湾併合の野望を持ってるってよく報道されますわね。だけどそれって現実味があるのかしらねぇ。台湾って完全に自由主義国ですわ。強大なメイン・チャイナがあるからこそ、より自由を満喫して守ろうとしているところがあるわね。併合されたら香港みたいになっちゃうわけですけど、そんなこと、台湾国民は望まないわよねぇ。
中華圏ってものすごく広いですわ。アジアのどこの国にいっても中国人がいて中華街があります。ないのは韓国くらいかしらね。一説によると、世界中でマージャンしたら、四人に一人は中国人になるそうよ。でも全員がメイン・チャイナに属しているわけではありません。そしてこの中華圏の広さゆえか、メイン・チャイナって案外ザルなのよねぇ。政治的に尖鋭化して目立たなければ抜け道はいくらでもあるって感じ。血縁の結びつきも強いですから、スッと外国に出て居着くことも不可能じゃないわ。あの大国を統制していくだけで精一杯って感じがするのよ。
政治は共産主義じゃなくなったけど全体主義、経済は自由主義で現代資本主義の根幹である情報は統制しているわけでしょ。矛盾だらけよね。対外強攻策は内政引き締めのためって気もしないではないわね。
あまりにも頭にきていたので、ヤッスに一発食らわせないことにはどうにも腹の虫が収まらなかった。二十分歩いてヤッスの家に着くと、彼はいつものように野良猫たちに魚をやっていた。何事もなかったかのように、猫たちの名前を一匹ずつ呼んでいた。僕は大股で近づき、しゃがんでいるヤッスの脳天に思いっきり拳骨をふり下ろした。(中略)
「あいててて! 放せ、こら・・・・・・やめれって言いよろうが、もう放せって・・・・・・わかった、おれが悪かったけん、わかったけん放せって・・・・・・折れる、折れるって!」
で、こっちが仏心を出して手を放すや、さっと飛び退いて石を投げつけてくる。ぼくとしては、どうあっても思い知らせてやらなければならない。そこで彼を追いかけまわしてさらに二、三発キツイのを見舞ってやった。
それでとうとうヤッスがしくしく泣きだした。
「皆川がかばってくれたっちゃんけんな」ぼくは腹立ち紛れに怒鳴りつけた。「やなかったら、いまごろあのヤンキーにボコボコにされとうぜ」
東山彰良「遡上」
東山彰良先生の「遡上」の主人公は栄治で、安永幸太郎(ヤッス)という腐れ縁的な友だちがいます。ヤッスはかなり癖のある子です。「中学生の頃には、ヤッスは腹に渦巻くどす黒い呪詛をところかまわず吐き出すようになっていた。もし町でスカートの短い女の子とすれちがおうもんなら、やれ売女め、やれ淫売のメス豚めとひそひそ毒づかずにいられない」のです。当然同級生たちからは嫌われています。いじめられっ子でもあります。ただ栄治は漫画オタクの太った少年で、彼もまたイジメの対象になっている。ヤッスしか友だちがいないのです。「ぼくは彼に対してある種の親近感を持っていた。だから憎くてヤッスを痛めつけていたというより、じゃれあっていたと言ったほうが正しい」とあります。
舞台は福岡で暴走族も多い。栄治がヤッスと道を歩いていると暴走族がやって来ます。ヤッスは「ああ、やかましかね、なんが喧嘩上等や、貴様ら、自分ひとりじゃなんもしきらん親のすねがじりが!」と声を張り上げます。バイクが一台Uターンしてきて「いま言ったの、おまえや?」と栄治に詰め寄ります。激しく首を横に振ってヤッスを見ると、遠くの橋の上を全速力で走って逃げていました。
栄治は暴走族の男に殴られるのを覚悟しますが、後部座席に乗っていた女の子が止めます。見ると同級生の皆川夕季でした。夕季は全速力で逃げるヤッスを見て「かわいそうな子やけん。ほっといてやり」「(小学)四年生か五年生のときにお母さんが殺されたんよ」と暴走族の男に言います。夕季の言葉で栄治は難を逃れたのでした。
ヤッスの母親はスーパーでパートの仕事をしていて妻子持ちの店長と不倫関係になりました。妻子がいるとは知らず、結婚すると約束を交わしていたというパターンです。母親はヤッスの将来のことも考えて店長と別れることを決めますが、別れを告げた日に店長に殺されてしまったのでした。
では「腹に渦巻くどす黒い呪詛」を抱えたヤッスの性格が母親の死によって生じたのかというとそうではない。通常の小説のような因果関係はないのです。ヤッスは思ったことを口にして悪びれるところがない。腕っ節が強いわけでも肝が据わっているわけでもない。すぐに逃げるし殴られれば泣く。しかしほとんど生まれつきの、率直とも残酷とも言えるような言葉を口に出さずにはいられない。こういった人物造形は東山先生の小説の大きな特徴です。
「大丈夫?」
首をねじって声がしたほうを見やると、皆川夕季がガードレールに腰かけて煙草を吸っていた。
ぼくはためらい、それから足を引きずって彼女のところまで行った。(中略)彼女とならんでガードレールにもたれた。飲みすぎとたしなめられ、ぼくは素直にこうべを垂れた。
「でも、誰にでもそういう日はあるよ」皆川夕季が言った。(中略)
「幸太郎(ヤッス)はいいやつやけん」
「大丈夫」どうにか絞り出した声は酒に焼けかすれていた。「ヤッスに言ったりしないから」
「いまの子供は幸太郎の子やないとよ」
ぼくはびっくりして彼女に顔をふり向けた。
「妊娠して、男に捨てられて、赤ちゃん堕ろそうと思って幸太郎に同意書書いてくれってたのんだら、そんなことしたらいかんて叱られた」皆川夕季は煙草を吸い、静かに言葉を継いだ。「へんなやつやろ? あいつ、お父さんに捨てられとうけん、そういうことが許せんちゃろうね」
それきり会話が途切れ、ぼくたちはアスファルトの割れ目を睨みつけたり、店仕舞いをしている居酒屋を眺めたり、背後の県道を走り抜けていく車のヘッドライトから顔をそむけたりした。まるで小さな箱に閉じ込められているみたいに息苦しかった。
同
中学を卒業するとヤッスは漁師になり、栄治は高校を出て東京の大学に進学しました。帰省した際に中学の同窓会があります。町から東京の大学に進学したのは栄治一人でほかの子たちは地元に残ったままです。栄治はいわゆるシティーボーイになった自分を見せつけ、中学の時に自分をバカにした友だちを見返すために同窓会に出かけて行ったのでした。
ヤッスは意外なことに夕季と結婚しました。それも出来ちゃった婚だと言った。ただ帰省した折に栄治は夕季がヤッスではない男の車に乗っているのを見かけました。浮気していると直観もします。同窓会で栄治は酔った勢いで夕季を口説きます。「まえに見たっちゃんね、皆川さんが男の車に乗っとるところ。あれって暴走族やったむかしの彼氏? それとも別の人?」と露骨に問いただしたのでした。
夕季の言葉は意外なものでした。「「じゃあどっか行く?」/驚いて顔を上げる。自分の耳が信じられなかった。/「人に言えんことがしたいっちゃろ?」皆川夕季が言った。/「どっか連れてってよ」」とあります。
栄治は地元の昔の友だちをバカにしている。バカにしたい。自分が東京で生まれ変わったと思っているからです。だから浮気者の夕季を口説こうと思った。ヤッスのことも、夕季のことも下に見ていたのです。
しかし夕季もヤッスも、そのほかの地元の友だちたちも栄治が思っているよりも強い。夕季はヤッスの子として育てている子が、彼の子ではないと言います。堕ろすと言ったらヤッスに止められ、その流れで結婚したのでした。そんなことはヤッスは一言も栄治に言っていなかった。大人になり漁師の仕事をしているので身体は頑丈になりましたが、相変わらず人を見れば呪詛の言葉を撒き散らしているのです。しかし彼らは残酷なほど露骨である分、とても強い人たちです。
「だれ?」
彼女の大きな目を見てまず思ったのは、人懐っこい子だな、ということだった。(中略)
「ねえ、だれ?」
「ヤッスの・・・・・・」唾を呑み下してから言い直した。「えっと、安永くんの娘さん?」
「ああ、お父ちゃんのお客さんね」
ヤッスの娘はぼくの脇をすり抜けて、電柱の根元にしゃがんだ。そのとき彼女が来ているピンクのトレーナーから、春の花のような柔軟剤の香りがした。
同
栄治は東京の出版社に就職して、出張のついでに久しぶりに帰省します。ふと思い立ってヤッスの家を訪ねる。夕季は残酷で強い女性ですが、通常の社会的文脈で強いわけではない。ヤッスと娘を残して男と駆け落ちしてしまった。訪ねた家でヤッスは漁に出て留守でしたが、栄治は娘に会った。「そのとき彼女が来ているピンクのトレーナーから、春の花のような柔軟剤の香りがした」とあるように大切に育てられています。
この後の大団円は実際にお作品を読んでお楽しみくださいな。東山先生のお作品には小説家が頭の中で作って、無意識的な手慣れでそうしてしまう論理的整合性といったものがありません。現実の人間に近い、断絶混じりの、それでいて一貫した人間たちが登場します。こういったお作品を書ける作家はほとんどいらっしゃいませんわね。それはもしかすると東山先生が、沸騰する混沌の坩堝のような一昔前の台湾社会を肉体的に知っている作家様だからかもしれませんわね。
佐藤知恵子
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