『N0.003 『牧羊神』 その三(第4、5号)(上編) 』で書いたように、『牧羊神』第5号は早稲田大学入学のために上京した寺山修司が、名実ともに主宰者の意識をもって発行した第二次『牧羊神』だと言うことができる。『N0.003』ですでに引用したが、巻頭に寺山執筆の『PAN宣言-最後の旗手』が置かれ(署名なしだが寺山の文章)、そのあとに寺山の俳句13句が掲載されている。つまり『牧羊神』第5号は、寺山のマニフェストと作品で始まっているのである。
未完の逢曳き
-ほんの少しの幸福-今僕が持っているんだね。ロマン・ロラン
寺山修司
林檎の木ゆさぶりやまず逢ひたきとき
木の葉髪日あたるところにて逢はん
ここで逢びき落葉の下に川流れ
夏井戸や故郷の少女は海知らず
草笛を吹けり少女に信ぜられ
校庭のそのタンポポの中の石よ
逢びきの小さな食欲南京虫
春の鳩鉄路にはづむ逢ひにゆかん
* *
秋の逢ひびき燭の灯に頬よせて消す
九月の森石かりて火を創るかな
乙女過ぎれば町裏うつす冬の水
胸痛きまで鉄棒に凭れり鰯雲
されど逢びき海辺の雪に頬搏たせ
(『牧羊神』 NO.5 )
一読すればわかるように、『牧羊神』第5号は恋愛俳句特集号である。寺山の作品に続いて後藤好子、大沢清次、山形健次郎、金子黎子、宮村宏子が恋愛俳句を発表し、そのあとに『火に寄せて-恋愛俳句の可能性』というタイトルの座談会が収録されている。参加者は金子黎子、京武久美、宮村宏子、寺山修司、山形健次郎、松井牧歌である。京武が青森で編集・発行した第4号には5号が恋愛俳句特集だとは書かれていないので、京武も座談会に参加しているとはいえ、この特集は寺山主導で組まれたのだと思われる。
なお寺山の『胸痛きまで鉄棒に凭れり鰯雲』は秀句である。大人の作家は青春まっただ中にいながら、青春のほろ苦さ、甘酸っぱさを最大限に活用するその手つきに微かないぶかしさを感じながらも、この18歳の青年俳人を愛さずにはいられないだろう。
寺山 ところでね。みんな大方は作ってるらしい-とゆうより可能性を試みているらしいけどフィクションがいゝと思う?それとも事実ぢやないといけないと思う?。
寺山 「どん底」(ルノワール演出)て映画知ってるでしょう。あの中でジュベが一生を賭けたバクチに負けて莨(タバコ)をのむ一シーンがあるでしょう。あの緊張した一瞬、あれが俳句性だと思うんです。だから経験でも虚構でもいゝ。唯それを超えた處(ところ)にもう一つの想像の世界がなければいけないと思うんだ。
寺山 ルロイに「帰郷」って映画あったでしょう。この句もあれの様にやはり屋外でなければ駄目。屋外だから新鮮に脉動(みゃくどう)が伝ってくるんだ。日本間だと気分ものだよ。歌舞伎みたいにね。
寺山 そういう場合やはり造形美とか、現代人の呼吸が問題になると思うんだ。短歌は音楽だけど俳句は呼吸だと思う。だから近代の微妙な恋愛感情は音楽にのる程野性的ぢやなくてもっと知的な野獣性を臓していると思われてくる。俳句は鍵だし短歌はナイフだ。も早近代の扉はナイフではこぢあける事は出来ないように思うね。
(『牧羊神』 NO.5 座談会『火に寄せて-恋愛俳句の可能性』より寺山の発言を抜粋)
『牧羊神』第5号掲載の座談会『火に寄せて-恋愛俳句の可能性』から主な寺山の発言を抜粋した。本稿は寺山論を書く場ではないので詳細に検討しないが、これらの発言からでも寺山という作家の資質をうかがい知ることができる。寺山は『緊張した一瞬』を『俳句性』だと考えている。また常に映画を例にして『俳句性』を語っていることからもわかるように、彼の決定的『一瞬』の捉え方は極めて映像的なのだ。さらにこの『一瞬』は、『経験』や『虚構』を超えた『もう一つの想像の世界』につながっていなければならない。
よく知られているように寺山の映画『田園に死す』では大人になった主人公が、故郷・青森での少年時代の『経験』を回想し、その意義を整理しようと試みる。しかし私の『経験』は常に『虚構』と入り混じる。どちらも真でどちらも偽である。ラストシーンでは主人公が母親と恐山の実家で向かい合ってご飯を食べていると、周囲の壁が倒れて新宿駅前の風景が現れる。寺山は舞台でも映画でも異界と現実は地続きであり、ほんのささいなきっかけでそれらが突如逆転して現れる演出を好んだ。寺山の言う『もう一つの想像の世界』が『経験』や『虚構』を統合したより高次の観念かどうかは疑問だが、それが見る人に強いカタルシスを与えるのは確かである。寺山の映像作品の多くは俳句的な(寺山的俳句という意味)一瞬のカタルシスの連続で構成されているのである。
また寺山は『短歌は音楽だけど俳句は呼吸だと思う』、『近代の微妙な恋愛感情は音楽にのる程野性的ぢやなくてもっと知的な野獣性を臓している』と述べている。つまり『牧羊神』第5号の恋愛俳句特集で試みたように、短歌よりも俳句の方が現代の恋愛を詠むのにふさわしいという考えである。同じ考えを寺山は、『俳句は鍵だし短歌はナイフだ。も早近代の扉はナイフではこぢあける事は出来ないように思うね』と繰り返している。
これもよく知られていることだが寺山は、『牧羊神』第5号が刊行されてから数ヶ月後に、自作俳句を短歌に焼き直した(アレンジしたともいう)50首によって、第2回短歌研究新人賞を受賞した。この年刊行された中条ふみこの『乳房喪失』に強く影響されたのが短歌創作のきっかけなのだという。ふみこの『乳房喪失』は傑作であり、生ぬるい恋愛感情よりも遙かに『知的な野獣性を臓し』た絶唱である。寺山がふみこの作品によって短歌表現の可能性に気づいたのは確かだろう。ただ寺山が、それまで熱中していた俳句ではなく、短歌によって文壇への『扉』を『こぢあけ』たのも事実である。
道白し 安井浩司
眉掠る落花誘惑断ちがたし
枯葛のからまり基地の鉄の網
タンポポや基地圖に廷ぶ道白し
木下闇少年の日は遠きかな
さやぐ新樹脈拍ゆたかな母の腕
掌の落花こぼし恋愛ならぬなり
(『牧羊神』 NO.5 )
豆の章 大岡頌司
教材となる蠺豆(そらまめ)が青臭し
壜のメダカ都会の水に換えらるる
城山の長閑天守に闇つくる
蝌蝌(かと-オタマジャクシのこと)に尾がなくなる水が浅くなる
望遠鏡近く覗けば豆垂れおり
虎杖(いたどり)の長けゆく紅を失いゆく
(『牧羊神』 NO.5 )
『牧羊神』第5号で安井浩司は『道白し』のタイトルで6句を発表している。まだ安井らしさは見られない習作だが、第4号発表の句(『No.004』参照)よりも遙かにまとまっている。これらの句を読むと、若い頃の同人誌がいかに熾烈な切磋琢磨の坩堝であったのかが手に取るようにわかる。安井はほんの数ヶ月で多くの事柄を吸収して変わり続けている。
また第5号には大岡頌司が初めて登場する。大岡は安井や寺山より一歳年下の昭和12年(1937年)生まれで(平成15年[2003年]没、享年66歳)、この頃はまだ故郷広島にいた。後に高柳重信の『俳句評論』に創刊から参加し、重信の死によって『俳句評論』が廃刊になるまで在籍して前衛俳句の代名詞とでもいうべき多行俳句を書いた。俳壇での評価は決して高くないが、独自の象徴主義的作品によって知られる。俳句専門出版社『端渓社』を興し、多くの句集や俳論集を刊行した出版人でもある。安井浩司とは『牧羊神』以前から文通で交流があり、実際に東京で出会ってからは安井の終生の友になった。
安井の作品が、恐らく本人も諾うであろう習作であるのに対して、大岡の俳句はすでにその骨格ができあがっている。実際、『牧羊神』第5号発表の6句のうち、『望遠鏡近く覗けば豆垂れおり』と『虎杖(いたどり)の長けゆく紅を失いゆく』の2句が、昭和32年(1957年)刊行の処女句集『遠船脚』に収録されている。また『遠船脚』所収の『松高く高きに春の闇つくる』は、『牧羊神』発表の『城山の長閑天守に闇つくる』の改作ではなかろうか。『教材となる蠺豆が青臭し』と『壜のメダカ都会の水に換えらるる』、『蝌蝌に尾がなくなる水が浅くなる』の3句(『城山の』を入れれば4句)は『遠船脚』には収録されず全句集からも外されたが、いずれも大岡らしい作品である。
大岡作品の大きな特徴は言葉に対するフェティッシュな執着にある。ある言葉の持つ語感や音韻、イメージや観念などを、強引なまでに(基本的には)17文字の俳句表現の中に詰め込もうとする。それによって言葉の深層的観念を引き出し、時には深層を突き抜けた空虚にまで達してしまう。大岡俳句は言葉の実体はあるはずだという作家の根深い『夢想』に貫かれている。しかしこの夢想は大岡自身にも手に負えない肉体的執着であり、深層に迫れば迫るほど、作品は残酷なロマンティシズムといった様相を帯びていった。
マラルメは神が世界を創ったのなら、神の意志は地上の万物に宿っていると考え、その痕跡を言葉の中に見出そうとした。神の象徴(シンボル、フランス語ではサンボル)としての言葉を探したのである。しかしそれは遂に発見できず、彼は神不在の絶望的な『虚無』(リアン)に直面することになる。だが彼はやがて『虚無』はなにもないという意味での無ではなく、万物を生み出す混沌としたエネルギー総体ではないかと考え始める。ここにマラルメが19世紀キリスト教詩人でありながら、20世紀ポストモダニズム文学の先駆者である理由がある。神以前に世界を生み出すカオスとしての無が存在するのなら、一神教的な神の秩序は失われる。エネルギー総体としての無が世界の源基であり、神は世界創出の最初の光としての表象に過ぎなくなるからである。
大岡文学は決して理論的ではないが、大筋としてはマラルメに近い言葉の深層の探究が行われている。執拗に言葉の深みに迫ろうとする大岡の姿勢は撞着的表現を生む。『牧羊神』第5号掲載作品の『尾がなくなる水が浅くなる』、『長けゆく紅を失いゆく』という表現は大岡ならではのものである。大岡はやがて『ともしびや/おびが驚く/おびのはば』といった、物によって物の本質を語らせるかのような奇妙な作品を書き、『存問や/熄まざる雨の/在るごとし』という苦しい自問自答に陥ってゆくことになる。
『牧羊神』が生んだ最大のスターが寺山修司であることは間違いない。彼はまた時代の寵児でもあった。しかし時代の波に乗り、ジャーナリズムの世界で華々しく活躍することがいつも文学の問題に直結するわけではない。寺山の、十代の若く新しい世代によって俳句を革新するのだという旗印の下に、『牧羊神』には全国から多くの若い俳人たちが集った。だが半世紀以上経った今、寺山が唱えた俳句文学の本質的革新は、『牧羊神』以降に寺山と袂を分かった安井や大岡によって為されたことが明らかになっていると思う。
鶴山裕司
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.5 十代の俳句研究誌』書誌データ ■
・判型 B5版変形 縦24センチ×横17.5センチ(実寸)
・ページ数 16ページ
・刷色 青、表紙『牧羊神』のみ赤色
・奥付(原文のまま)
昭和29年7月31日発行
編集人 寺山修司
五号発行人 戸谷政彦
発行所 川口市幸町1の39(坂本方)寺山修司方 牧羊神の会
MEMBER (二九・七・一〇現在) 総数38人(これも原文のまま)
松井牧歌 川崎、北村満義 東京、秋元潔 横須賀、京武久美 青森、福島ゆたか 東京、大沢清次 群馬、乙津敏を 東京、大阪幸子 東京、戸谷政彦 東京、八尋舜石 東京、広瀬隆平 船橋、安井浩司 東京、菊川貞夫 東京、金子瑛 東京、雫石尚子 横浜、金子黎子 川崎、川島一夫 福島、彦坂紹男 東京、戸張やす子 埼玉、丸谷タキ子 奈良、石野佳世子 奈良、宮村宏子 奈良、木場田秀俊 長崎、工藤春男 秋田、松岡耕作 福岡、上村忠郎 八戸、山形健次郎 北海道、林俊博 北海道、後藤好子 北海道、近藤昭一 青森、伊東レイ子 青森、田辺未知男 青森、中西久男 青森、栗間清美水 島根、桶川まもる 青森、野呂田稔 秋田、赤峰卓雄 宮崎、寺山修司 川口
* 大岡頌司は5号から加入だが、MEMBER欄には記載がない。
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.5 』掲載 寺山修司の『PAN宣言』と作品『未完の逢曳き』■
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.5 』掲載 座談会『火に寄せて-恋愛俳句の可能性』 ■
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.5 』掲載 安井浩司と大岡頌司作品 (同人作品欄) ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■