『牧羊神』第6号は昭和29年(1954年)10月25日発行である。5号は7月31日刊だったので、隔月刊雑誌としては約1ヶ月遅れの刊行である。また6号表紙には初めてイラストが入っているが(作者不明だが笛を吹く牧羊神(パン)のイラスト)、それまでの号とは異なりスミ(黒)一色印刷である。これは単に青森時代に使っていた青色のインクが尽きてしまったためだろう。ただ青春の無謀さ、勇敢さ、青臭さを前面に押し出したこの雑誌から文字通り『青』色がなくなってしまったのは、何か象徴的だ。多感な十代の雑誌らしく『牧羊神』には濃密な時間が流れている。各同人それぞれが変わり続けているが、特に寺山の変化は目まぐるしい。
『牧羊神』第6号も署名はないが寺山の『牧羊神宣言』で始まっている。ただ第5号では続けて寺山の俳句が掲載されていたのに対し、6号では寺山のエセー『光への意志』が掲載されている。6号巻末には『ECHO 編集部』という文章が載っており、そこに『寺山修司はこのところ観念的な理論に走りすぎて実作とのギャップを埋め得ないで苦しんでいるのではなかろうか』と書かれている。『ECHO 編集部』の署名は『編集部』で寺山の筆かどうかはわからないが、5号から6号が刊行される時期に寺山は、どう作品を書くのかではなく、何を作品で表現するのかを考えていたようである。
牧羊神宣言(4) 手のなかに
僕らの俳句運動がのろしのように燃えあがり噴きあがってゆくとき、同じ短詩型文学に携る仲間の中から「荒野」という短歌の集いが生れたと聞く。俳句と短歌は所詮相容れないものであるけれど僕らはこの国に生れた美しい力強い文学を新しいものとしてきりひらき育んでゆくために未来という青い胡桃を頒ち合い努力してゆかなければならない。
かりにこの僕らの詩型が僕たちの掌の中から抜けでて遠い過去の雲のむこうでのみ躍っているのであったとしても僕らは僕らの生きている「今日」に足をおろし、じっと目を見張って手を振り続けたいと思う。ふたたび僕らのものとして頭上に輝く日をゆめ見ながら僕らの唯一の武器「若さ」を誇り壮大なオーケストラを公開しよう。大人という聴客を前に指揮者のタクトは振りあげられる。そして――僕らのピッコロは、ドラムは、コントラバスは、素晴しい交響楽となって大人たちを酔わせるに違いないのである。
(『牧羊神』 NO.6 )
光への意志 寺山修司
ふと名前を忘れたが――狂って死んだフランスの詩人がこんなことを言っていた。
「私は見たことを詩に書くのだ。それが現実であろうがなかろうが、私が見たということにまちがいはない」
ところで見たことを書く俳句は決して私小説ではないし、石田波郷氏によって固定づけられた俳句の「私性」的な宿命に追いつめられたものでもない――と小さな断定を私が胸の中へ火のように育ぐくみはじめたのはつい最近のことである。見たことは在ったことと決して同じではない、ということは考えてみるとひどく私らの力となりそうな気がしたからである。
「俳句的人生」という一見ひどく前時代風のことを私が新世代の俳句をする青年たちへ呼びかけようとするのは、つまり人生を俳句に接近させることにほかならないのだがその場合俳句は無論既成の俳句ではなくて私ら新世代によって革命化された新理想詩を指しているのである。
デミアンがシンクレールの人生の指標(ヘルマン・ヘッセの『デミアン-エミール・シンクレールの少年時代の物語』を指す)であったことは周知だがデミアンに今少しの詩情を希むのは私ばかりではなかろう。私らは在ったことではなく、見たことを俳句とし、つねにそれを私ら人生の「前」avanに置こうとたくらんだ訳である。つまり私小説は実生活のあとにあるが私らの俳句は実生活の前にあろうという訳で私らが美しい日々を送るために俳句は美しかるべきであろうし尚思索的でもあるべきだろう。
見る――なるほどこれは在ったものに触れる以上に精神の純粋さを強要し私らの「生きる」ことへの方法論を提示してくるにちがいない。したがって私らは西東三鬼氏――左様あれほど尊敬していた――を蹴とばさねばならなくなった。なぜなら三鬼氏が内蔵しているハイデッガーの、そしてあるいはヤスパースの実存主義には「生」をすでに有限とみなしたニヒリズムと絶望が厳然として存在しているからでもあるし「生」へあまりにも中年的な興味をもちすぎているからである。
僕らは乾杯しなければならないだろう。
しかしその前に殺さなければならない――。
(『牧羊神』 NO.6 )
いささか長いが資料的な意義もあると思うので、『牧羊神』第6号巻頭の『牧羊神宣言(4) 手のなかに』(無署名だが寺山の文章)と寺山のエセー『光への意志』を全文引用した。『光への意志』の中にある『私らは西東三鬼氏――左様あれほど尊敬していた――を蹴とばさねばならなくなった』といった言葉は無視してよい。前にも書いたが、それは詩歌の世界で新鋭と呼ばれる世代が旧世代の注目を集めるための一過性のクリシェに過ぎない。実際、寺山はどんな作家からも決定的な影響を受けていない。三鬼を始めとする旧世代の仕事を超克することにも、本質的には何の興味も持っていなかったのである。
『牧羊神宣言(4)』で寺山は、『僕らの唯一の武器「若さ」を誇り壮大なオーケストラを公開しよう』と高らかに宣言している。しかしそれは内実のない雄叫びである。そのため寺山は、『牧羊神宣言(4)』に続く『光への意志』で自分(たち)独自の『武器』とは何かを考えているようだ。それを寺山は『私らは在ったことではなく、見たことを俳句とし、つねにそれを私ら人生の「前」avanに置こうとたくらんだ訳である』と説明している。正岡子規・高浜虚子の『ホトトギス』は、目の前の風物を素直に詠む写生俳句を俳句の王道とした。だが寺山は実生活以前、存在以前の観念的存在本質を詠むことが『私ら新世代によって革命化された新理想詩』だとしている。それは『在ったものに触れる以上に精神の純粋さを強要し私らの「生きる」ことへの方法論を提示してくるにちがいない』と述べている。
寺山文学の軌跡を辿れば明らかなように、彼は一種の変節漢であり、言葉は悪いが文学界での立身出世を熱望したジャーナリズム小僧だった。実際寺山は『俳句と短歌は所詮相容れないものである』と書きながら、その数ヶ月後に俳句を焼き直した短歌作品で『短歌研究新人賞』を受賞している。しかし寺山が『光への意志』で自らの文学観を素直に述べているのも確かである。作家が何よりも現実以前の観念的存在本質を表現したいのなら、俳句や短歌、自由詩といったジャンルの違いは大きな問題ではなくなる。『見る』ことにこだわるなら表現媒体は演劇でもいいだろう。幻視的本質直観把握は文学における一つの表現主題である。問題はその試みがどこまで『本質』に届いていたかにある。
Old Folks at Home――青い種子は太陽の中にある ソレル
寺山修司
文芸は遠し山焼く火に育ち
桃うかぶ暗き桶水父は亡し
黒人悲歌桶にぽっかり籾殻浮き
明日はあり拾ひて光る鷹の羽毛
ラグビーの頬傷ほてる海見ては
× ×
同人誌は明日(あした)配らむ銀河の冷え
多喜二恋し桶の暗きに梅漬ける
北の男はほゝえみやすし雁わたる
(『牧羊神』 NO.6 )
18歳の寺山の俳句だが、寺山の場合は若書きだとは言えない。なぜなら寺山の俳句・短歌は『牧羊神』掲載作品以上の変化を見せなかったからである。寺山俳句は素直である。これも前に説明したが、陰陽(明暗)の変化(空間的広狭を含む)を用いて感情の高低を表現している。また作品は口語ではなく文語調である。つまり寺山俳句には修辞面でも思想面でもとりたてて新し味はない。にもかかわらず寺山作品には一種独特の読後感がある。単純に稚拙な青年俳句だとは言い切れないのである。
簡単に言えば未完成なのだ。もっと言えば不完全なまま作品として成熟している。それが読者に『完成』への欲望を呼び起こす。ここから出発すれば、どこか遠くに辿り着けるのではないかという予感を与えるのである。これも結論を先取りして言えば、寺山は彼の文学的主題である現実以前の観念的存在本質を特定できなかった。比喩的に言えば『見た』ことをオモチャ箱をひっくり返すようにぶちまけたのである。しかしその一瞬の映像、イマージュ(言語的なものを含む)の断片は本質の影を宿しており、それが見る者、読む者の心に全体性への希求を呼び覚ますのである。
『可能性の文学』――寺山文学を最大限に評価すれば花言葉はそうなるだろう。ただ『唯一の武器「若さ」』を誇り続けた寺山に成熟はなかった。寺山文学はクリシェから構成される。汽車はどこか遠くに連れて行ってくれる魔法の乗り物であり、恐山は死者が歩き回る異界、郷里や母は呪われた土着性に閉ざされた、息苦しくも逃れがたい磁場である。本質を問うなら作家は魔法や異界、土着性に肉薄しなければならない。しかし寺山は『なぜなんだろう』と問いを発し続けただけだ。寺山は『偉大な思想などにはならなくてもいいから、偉大な質問になりたい』と書いた。大人になった安井浩司なら、『それは君に答えを導き出す能力がないからだ』と言うだろう。
原爆忌 大岡頌司
草噛んで青きつばはく原爆忌
白壁のべっとりとせり原爆忌
暮れて雲多くなりたる原爆忌
つゆけき身七星おぼえやすき形
ふせ置けばそえ置く如く清水の杓
島貧し海旋車(ひとで)は浜に灼け尽くす
花臭木家計に袋を貼りし金
花臭木詩となる言葉みじかくて
掌に余る力空蝉ころゝゝす
(『牧羊神』 NO.6 )
『牧羊神』第6号で大岡頌司は『原爆忌』のタイトルで9句を発表している。このうち『草噛んで青きつばはく原爆忌』、『つゆけき身七星おぼえやすき形』(定稿では『露けき』)、『花臭木詩となる言葉みじかくて』は昭和32年(1957年)刊行の処女句集『遠船脚』に収録されている。残り6句は全句集未収録句だが、『ふせ置けばそえ置く如く清水の杓』、『島貧し海旋車(ひとで)は浜に灼け尽くす』は大岡らしい秀句だと思う。
異国機 安井浩司
爆音断えざる卓上ペン先太らしめ
異国機解体火星つぶらに輝けども
秋光の満ちて萎えゆくつるし柿
恋愛論片手に林檎片手に皮
大試験番茶たやすく葉にもどる
(『牧羊神』 NO.6 )
安井浩司は『異国機』の表題で5句を発表している。こちらは再びボキャブラリーと表現内実(観念)との間で試行錯誤を繰り返している。『爆音』を響かせる『異国機』は自らの俳句を解体・再構成するための新たな刺激だと読み取ることができる。しかし『秋光の満ちて萎えゆくつるし柿』、『恋愛論片手に林檎片手に皮』、『大試験番茶たやすく葉にもどる』は撞着的表現に終始しており、まだそこからの突破口を見出せていない。
なお『牧羊神』第6号には、寺山が同人に配布したガリ版刷りペラ紙の『ペン雑記』が挟み込まれている。雑誌自体は残っていてもこのような紙片は失われやすいので、付録として全篇活字起こししてある。これを読むと『牧羊神』の印刷部数は100部である。ガリ版ではそのくらいが限界だったのだろう。また収支は赤字でその分は寺山が埋めている。詩誌の収支が赤字なのは『牧羊神』に限らず今も昔も同じである。ただ『牧羊神』の残存数は十数部だろうから、市場に出ればそれなりの値段で取引されると思う。それに対してふつふつと怒りをたぎらせる年齢はとうに過ぎてしまったが、やれやれという感じはする。
鶴山裕司
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.6 十代の俳句研究誌』書誌データ ■
・判型 B5版変形 縦24センチ×横17.5センチ(実寸)
・ページ数 14ページ
・刷色 本文、タイトル共にスミ一色(黒色)
・イラスト 牧羊神のイラスト(作者不明)
・奥付(原文のまま)
牧羊神 VOL.6
昭和29年10月25日発行
発行所
川口市幸町1の39(坂本方)寺山修司方
牧羊神俳句会
印刷所・神奈川軒逗子市沼間13(森谷方)
逗子謄写堂
・住所録 総数40人(これも原文のまま)
松井寿男 川崎市東三ノ三藪野方
北村満義 渋谷区幡ヶ谷本町三ノ五一二
福島ゆたか 〃三ノ五二九(菱谷方)
秋元潔 横須賀市佐野町三ノ五〇
京武久美 青森市外筒井新奥野
近藤昭一 〃
大沢清次 前橋市六倶生川町一一
乙津敏を 西多摩郡福生町熊川南四七
黒米幸三 〃熊川六七九
大阪幸子 杉並区矢頭町七六(野中方)
安井浩司 〃久我山三ノ一八四(田辺方)
広瀬隆平 船橋市前原二三一
金子瑛 大田区新井宿六ノ四一五
雫石尚子 横浜市中区妙高寺台一一
金子黎子 川崎市浜町一ノ三六
川島一夫 白河市南夏船二
丸谷タキ子 天理市檪本町市場
野呂田稔 能代市新町五十三
木場田秀俊 長崎市旭町四ノ六七
松岡耕作 福岡県筑紫郡那珂町板付三九九の二
赤峰卓雄 日向市下原町
上村忠郎 八戸市糖塚平中二二
山形健次郎 北海道滝川町栄町四三〇
林俊博 〃樺戸郡新十津川村橋本町
後藤好子 〃〃
川添厳 高松市西浜新町三九一
宮村宏子 天理市石上
石野佳世子 〃和称
川北憲央 文京区表町五三(富森方)
田辺未知男 青森市大町七ノ八四
中西久男 黒石市西馬場尻
伊東レイコ 青森市浪打四三
橘川まもる 〃一〇二
高橋信 立川市曙町三ノ七二
前川博 松戸市根本四九七
吉野和子 横須賀市汐入町三ノ五五
南ひろし 品川区西品川五ノ九五六(清水方)
高松閤 札幌市南五条西一二丁目
大岡頌司 広島県賀茂郡川尻町四二二
寺山修司 川口市幸町一ノ三九(坂本方)
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.6 』掲載 寺山修司の『PAN宣言(4) 手の中に』とエセー『光への意志』 ■
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.6 』掲載 寺山修司、大岡頌司と安井浩司作品 (『創火派』同人作品欄) ■
■ 『牧羊神 VOL.1 NO.6 』に挟み込まれていた寺山筆の『ペン雑記』(表裏) ■
牧羊神 ペン雑記 寺山修司
☆ 日頃便りをいたゞきながら一々返信できない場合も多いし例の檄文もマンネリズムになった(ので?)(*) 今回は僕がこんなラクガキをすることになった。
本号の「光の意志」中で引用したフランスの狂詩人はジェラルド・ネルヴァルであることが判ったので補筆。ちなみに言えば彼はマクスジャヴやアポリネールらと同時代のモダニズム詩人であった。
☆もしこゝろがけのある人は編集部までガリ版を一台寄附していたゞきたいものだ。今、僕が書いているそれは、僕が中学三年の時学級で買ったものでもう使えない老いたラバである。
☆十一月三日に奈良の丸谷さん、北海道の山形君らと共に少しにぎやかなサロンをもつつもりである。当日、写真をうつすのはムロンだが――諸兄の顔を見たい不出席者には実ヒで頒けて進ぜよう。お申込みあれ。
☆会計報告をするよう北村君から言われた。数学苦手の僕ではあるが一応、内幕を見せて編集人に同情をたまわりたい
◎6号分収入 1850円
内訳(同人ヒ) (5人分) 1000円
(会員ヒ) (17人分) 850円
◎6号分支出
印刷ヒ(100部) 2000円
送料(〃) 800円
印代(1台) 300円
スタンプインク(1台) 150円
袋代(100部) 370円
雑費(紙・原紙) 50円
――――――――――――――――――
3670円
赤字 1820円
(コレハ僕ノ昼食代ト映画代、授業料ナドダ)
☆あゝアタマいたい。おそらくは僕がそうである様に健康を第一にお考えの諸君は赤字というところはとばして読んだことゝと思う。しかしこんな事情だから三ヶ月同人ヒを払っていない人に僕らは手袋を投げざるをえない。
アディユ! ムッシュウ。と。
(同人ヒの払いあんばいは南へゆくほどよく北へゆくほどだめである。
津軽弁では約束守らざるの士を指して「めでくねわらし」と言うことも諸兄のボキャブラリに貯蓄しておかれよ。
☆「俳句」十一月号の俳壇時評で「牧羊神」4号がとりあげられている。中島鵡雄氏の筆になるものである。「俳句研究」には住所移転として扱かわれていた。
「万緑」の後記ではみすず書房社長の北野民雄氏にたゝかれている。
もっともこの方は福島君が直接会ってわかりあってきたそうで、彼流にいえば北野氏は日本的な愛の所有者、母、といった手合いだそうだ。
☆野呂田君がベッドの人となった。みんなでなぐさめてやりたいと考えている訳だがとりあえずアドレスは
能代局区内山本組合病院第一病棟18号
野呂田稔
☆ベッドの人といえば戸谷君もそうだ。乙津、高橋両君が先日見舞いにいったとのこと。僕がいったとき朝顔が咲いていた。人の明日なんて本当にわからないものだと思う。
金子瑛さんの便りにヘッセのデミアンから引いて
――その夢で祭壇を立てなさい とあった。いゝ言葉だとしみじみ思われてくる。
☆牧羊神の寄贈先を一寸被労しよう。
石田波郷 中村草田男 細谷源二 成田千空 能村登四郎 大野林火 橋本多佳子 飯田龍太 堀内薫 山口聖二 沢木欣一 高柳重信 西東三鬼 香西照雄 原子公平 金子兜太 暖流 島津亮 万緑 橋本風車 中島鵡雄 原コウ子 鶴 環礁 石川一桂郎 飯島草炎 加藤楸邨 古沢太穂 俳句研究 俳句 山口誓子 秋元不死男 寒雷 安東次男 桑原武夫 栗林農夫 楠本憲吉 神田秀夫 夜盗派 赤城さかえ
☆全国学生俳句祭は日に日に参加数を加えているが、ことしは誰の仕事がみとめられるのだろうというのが諸兄の興味の焦点えはなかろうか。山形君から秋元君へのレターの中この部分だけ特に公開すれば、伊藤レイ子、大沢、秋元、林、金子黎子らとなっており福島君から山形君へのレターでは近藤、京武、田辺、伊藤となっている。野呂田句は福島と僕を、秋元君は松岡耕作、山形、をあげている。総じて近藤昭一の前評判が大きいが僕はやはり京武久美を一ばん買っている。
☆この印刷その他編集に関するどんなことでも結構、お知らせねがいたいものである。同人 会員の制などについて・・・。
[次号の募集] 〆切11月16日money同封下さること。
次号は「僕らもごめんだ」特集として社会性と僕ら十代のものの考え方を思索したいと思っています。
同人 Ⅰ☆作品(10句)なるべく社会と四ついとりくんだもの。(全員)
Ⅱ 注目した作家(1~2人)。秀句5句選したもの。つまらなかった作品及び作家。(全員)
Ⅲ 座談会(誌上)に出席希望者は早急にハガキ下さい。
Ⅳ 特別作品(20句以上)社会性をもち政治を批判したもの。
Ⅴ 評論 Ⅵ 消息及び最近の読書。
Ⅶ 社会性ありと思われた現代秀句とその鑑賞か、あるいは「俳句」11月号の「揺るゝ日本への批判文。共に2枚。(全員)
会員 作品(5句)及び同人の項中のⅡ、Ⅲ、Ⅵ、Ⅶについては必ず御協力下さること。
同人、会員へのアンケート(必らず)
1.尊敬する俳人、愛誦句。をハガキにて必らずねがいます。
〆切は11月16日
あて先は僕の下宿でいゝです。
☆長らくでたいくつさま――ねむくなってきた。
――海をみていると
わたしに帰ってくる季節がある
どこかで巣から孵生する音がして
あゝわたしは何かを待ってもいゝのではないかと
思われてくる。
(10.29日 記)
* インクの染みではっきり読み取れない。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■