No.118『マレーシア・イスラーム美術館選 イスラーム王朝とムスリムの世界』展
於・東京国立博物館 東洋館
会期=2021/07/06~2022/02/20
入館料=1,000円[一般](総合文化展[常設展]のみ観覧の場合)
カタログ=2,000円
東京国立博物館の正門をくぐると正面に本館が見える。昭和十三年竣工、渡辺仁設計の建物で重要文化財指定されている。とってもよく出来た建物で非常にスムーズな導線が考えられている。世界遺産にはなったがなんじゃこりゃと言いたくなる導線のコルビュジエの国立西洋とはえらい違いだ。現在は塞がれているが、上を見ると照明機材が貧弱だった時代の天窓(明かり取り)などが見える。壁面のタイルなども豪華でしっかりしている。東博本館大好き。わたくし、東博本館推しです。
本館を正面に見ながら進んでゆくと、左手に表慶館が見える。皇太子時代の大正天皇ご成婚を記念して明治四十二年に建てられた。設計は片山東熊で迎賓館の設計者としても知られる。和様折衷のネオ・バロック様式である。なんだか鹿鳴館時代を思い出すヨーロッパかぶれの建物だなぁという感じもするが、もうずいぶん古い時代の建物なので、いい感じに寂びてきている。内部の設計は導線も含めてかなり秀逸。表慶館で展覧会が開かれることは少ないが、エルメス展とかフランス人間国宝展とか、いかにもといった展覧会が開催された。ただエルメス展を見たとき、なんで値札がついてないんだろと思いましたな。表慶館でエルメス売ったら売れるだろうなぁ。
表慶館を通り過ぎると噴水の前に帝国博物館総長兼図書頭(現・東博と国会図書館館長)だった森鷗外執務室跡のプレートがある。鷗外先生は陸軍軍医トップにまで上り詰めて前任者はほぼすべて貴族院議員になったが、鷗外最大の庇護者だった元老・山懸有朋が「お前は政治家に向いとらん」ということで帝国博物館総長兼図書頭に天下りした。まことに適所適材である。本館で館長時代の鷗外執筆の文書類が展示されることもある。歴史は宝ですな。
もう少し進むと右手の木陰に東博設立者の町田久成の胸像がある。薩摩藩士で外交官だったが政争に敗れて閑職の文部省に左遷された。しかしそれに腐らず日本の美術行政の基礎を作った偉い人である。晩年は出家して毎日白描の白衣観音像を描いた。かなりの数が残っていて僕も一点持っている。町田さん、好きなのである。高位高官だがちょっと変わった人だった。町田さんの胸像の先に平成十一年竣工の平成館があり、特別展はここで開催される。
表慶館の裏には資料館があり、水鏡のような素晴らしい池の奥に法隆寺宝物館がある。資料館はいわば図書館で、え、こんなものまで閲覧できるのという資料を貸し出してくれる(持ち出しはできません)。ただし開館時間が短いので、東博資料館で本気で調べ物をするときは上野のビジネスホテルとかに泊まらないといかんでしょうな。法隆寺宝物館には東博に寄贈された法隆寺献納宝物が展示されている。ほぼすべて飛鳥時代の仏像類。何度見ても目眩がしてくるような展示である。世の中に絶対残っていないような仏像類がここにはごっちゃりある。まあ信じられないような展示である。
正門まで戻ると、入ってすぐ右手に見えるかまぼこ形の建物が東洋館である。昭和四十三年竣工で設計はモダニズム建築の大家、谷口吉郎。平成二十五年にリニューアルオープンした。中に入ると新築の建物かと思うほどスッキリしている。中国、朝鮮、インド、エジプトなどアジア・オリエント系の美術品が展示されている。僕が好きなのは地下一階でクメールやインドネシア美術など、他の美術館では見ることのできない作品が展示されている。難点はあまり展示内容が変わらないことかな。
一階に企画展が開催されるスペースがあり、今回の『マレーシア・イスラーム美術館選 イスラーム王朝とムスリムの世界』展はここで開催された。特別展は今開催されている法隆寺展だと入館料二二〇〇円だが、東洋館は本館常設展閲覧の一〇〇〇円で見ることができる。ただ東博入館料もちょっとずつ値上がりしている。世知辛いですねぇ。特別展でも映画館の大人料金くらいに抑えてほしいかな。
東博は国立博物館だけあって、今現在の日本と諸外国の仲良し具合が如実に反映されるところがある。イスラーム系ではカタール王族のアール・サーニ殿下のコレクションが東洋館で開催された。サウジアラビア王国肝いりの『サウジアラビア王国の至宝』展は表慶館開催だった。日本とムスリム国家との交流は良好ということだろう。台北故宮博物院の宝物展も開催されている。しかしここ十年以上、韓国関連の朝鮮美術展は開かれていない。日韓関係の悪化が美術にも暗い影を落としている。
関係悪化には双方言い分はあるわけだが、例の対馬仏像盗難事件はいただけない。盗んで持ち出した物なのだから、返さなきゃいかんですよ。倭寇の略奪品だから返さなくてもいいというのは、いくらなんでも無茶苦茶だ。国立博物館同士の交流でそんなことが起こるとは考えにくいが、韓国に日本所蔵の韓国美術の優品を貸し出すと返ってこないのではないかと疑心暗鬼になるだろう。けっこう大きなしこりになっていると思う。美術研究者同士の交流は続いているのだろうが、僕らが朝鮮美術の最近の研究成果を美術展で見られるようになるのは当面先になるでしょうなぁ。
で、『マレーシア・イスラーム美術館選 イスラーム王朝とムスリムの世界』展は、そのタイトル通りマレーシア・イスラーム美術館所蔵のイスラーム美術品の展覧会である。イスラーム美術大好きなのでわくわくしながら見に行ったのだが、ん~イマイチ。マレーシアはイスラーム教が国教の国だが、元々はヒンドゥー教と仏教が主流で、九世紀になってイスラーム教が流入し始め十二世紀にはイスラーム王国が成立した。今ではムスリムが大半を占めるがヒンドゥー教徒や仏教徒も暮らしている。多民族・多言語国家でもある。
今回は出品点数二〇四点と、精選されていると言えば精選されている。しかしマレー世界の成り立ちは本場中東の砂漠地帯とは違う。古い古いアニミズムからヒンドゥー、仏教、イスラームなどの文化が重層化していて、熱帯に生い茂る植物のように文化が複雑に絡み合っている。その絡み合った文化を解きほぐすことはマレー人でなければできないだろう。極東の住人としてはその混淆や昇華がどんな形で物に反映され、表現されてきたのかを知りたいところだ。
ストレートに言うと、今回の展覧会からはマレー世界のイスラーム文化の特徴が今ひとつ伝わって来なかった。なので気楽に展示物を楽しむのがいいと思う。
アカンサス柱頭
スペイン(後ウマイヤ朝) 十世紀 大理石 高二〇・五センチ(台含む三二・五センチ) 幅二五・五~一八・三センチ
『マレーシア・イスラーム美術館選』展では「第一章 ウマイヤ朝」「第二章 アッバース朝」「第三章 ファティーマ朝とアイユーブ朝」といった順序で、代表的な中東イスラーム帝国の遺品が展示されていた。これが「第十二章 オスマン朝」まで続く。インドの「ムガル朝」(第十四章)のセクションもある。現代インドのマジョリティはヒンドゥー教徒だが、十六世紀から十九世紀にかけてイスラームのムガル帝国が存在した。タージマハルがムガル帝国時代の巨大な霊廟建築として有名ですね。
『アカンサス柱頭』は展覧会場入口近くに展示されている作品で、正統カリフ時代直後に世界帝国となったウマイヤ朝の遺品である。ウマイヤ朝は最盛期には北アフリカから今のスペインのあるイベリア半島の半分以上を支配した。アカンサス柱頭はコルドバのザフラー宮殿の柱頭の一つなのだという。マレーシアはイスラーム国家として本家アラブ世界の古い遺物を蒐集しなければならないのだろう。さすがに正統カリフ時代の遺物は手に入りにくいのかな。
ムハンマドの教えによって瞬く間に巨大な共同体=ウンマになったイスラーム国家は、ムハンマド直系によって四代続いた。これが正統カリフ時代である。ただ優れた宗教者が優れた政治家・武人であるとは限らない。そのためシリア総督ムアーウィヤがムハンマド娘婿のアリーを殺害してウンマのトップに立ち、世襲による初めてのイスラーム帝国ウマイヤ朝を樹立した。ムアーウィヤが有能な武人で政治家だったことは、世界帝国となったウマイヤ朝の急速な領土拡大からもわかる。なおムアーウィヤによって殺害された第四代正統カリフ、アリーがシーア派の祖である。
イスラームでは〝代理〟という概念が非常に重要である。ムハンマドは自分は神の声が聞こえそれを人々に伝える預言者であって神ではない、人間だと言明した。つまりムハンマドは神の代理人である。それゆえムハンマドは尊敬されているが、より重要なのは神の言葉を記した聖典『クルアーン』である。『クルアーン』は絶対にムハンマドが書いた聖典ではない。神の言葉である。で、乱暴な言い方をすると、『クルアーン』に基づいて世界を支配する者はムハンマドの直系でなければならないのか、そうでなくてもよいのかという考え方の違いがシーア派とスンナ派の分裂になる。
スンナ派はムハンマド直系でなくてもよいという立場で、ウンマの指導者をカリフやスルターンと呼んだ。対するシーア派はムハンマド血縁者をウンマの指導者に立ててこれをイマームと呼んだ。ただしシーア派主流の十二イマーム派では、第十二代イマーム、ムハンマド・ムンタザルが五歳で姿を消してしまった。恐らくスンナ派によって暗殺されたのだろうが、シーア派ではムンタザルが神によって超越的世界に隠されたと考える(ガイバと呼ぶ)。ムンタザルを最後としてムハンマド血縁は絶えてしまったわけだが、シーア派はイマームの代理という意味でウンマの指導者を立て続けた。シーア派の指導者をイマームと呼ぶことがあるがそれは間違いで、ややこしいがイマームの代理人を略してイマームと呼んでいるのである。
またシーア派では超越的次元にお隠れになった最後のイマームが、救世主(マフディー)となって再臨すると信仰されている。これがイスラームマジョリティのスンナ派には多神教と写り、少数派のシーア派が迫害され続けた原因になっている。『クルアーン』の教えはアッラーは唯一絶対でアッラーのほかに神なしだからである。
まー面倒くさいが、スンナ派でもシーア派でも『クルアーン』に基づく政治を行う者を神の代理人として指導者にしているのは同じである。ではなぜ世襲が起こるのかと言えば、これはイスラームよりも古いアラブ世界の伝統に基づいている。
アラブ世界は砂漠地帯であり生存条件が非常に厳しかった。そのため古代から略奪が横行し、力の強い部族であることが砂漠の民の誇りだった。なになに族に属していることがステータスだったのである。部族主義がアラブ世界の秩序だった。この極端な部族主義を打破して、アッラーの前に人は皆平等と説いた(アッラーの声を伝えた)のがムハンマドだった。それはユダヤ人以外の人々にも宗教を解放したキリストと同様の精神的革命だった。砂漠の民はイスラームによって初めて部族を越えて連帯することの重要性を知った。西側の言葉で言えば広義のムスリム同胞団ですな。
このムスリムの部族を越えた同胞意識は変化の時期には非常に強力である。ウマイヤ朝のあっという間の膨張を見てもわかるように、瞬く間に巨大なウンマが成立する。しかし社会が落ち着くと、必ず昔ながらの部族主義が頭をもたげて身内贔屓や汚職が横行し始める。ウンマ内での矛盾が臨界近くに達すると革新運動が起こるわけだが、正教一致のイスラーム世界では革新(革命)はあくまで正しい『クルアーン』(神の言葉)理解に基づいていなければならない。イスラーム原理主義が何度も何度も立ち現れて来るのはそのためである。
今、アフガニスタンでアメリカ傀儡政権が崩壊してタリバンが政権を奪取したが、イスラーム原理主義と呼ばれる集団はほぼ例外なく正統カリフ時代の復活を標榜する。パキスタン成立の時もイラン革命の時もISもそうである。ムスリムにとっての理想社会はムハンマドとその直系によって運営された共同体(国家)であり、そこに戻ることによって正統イスラームに社会を刷新しようとする。この刷新は原則として神の代理人であれば誰でも可能だ。組織は複雑だがISにもタリバンにも神の代理人としての指導者がいる。
ただムハンマドは神の声が聞こえる者(預言者)は自分が最後だと言った。実際、イスラーム世界ではその後預言者は現れていない。正統カリフ時代がムスリムの理想なのは、神の声が聞こえるムハンマドがいたからである。社会の諸問題を神の声を聞いて即座に解決できる指導者がいた。しかしムハンマドの死後、ムスリムには聖典『クルアーン』しか残されていない。そして『クルアーン』は七世紀の書であり、そのまま現代社会に適応すると大混乱が起こってしまう。
イスラーム世界は時に変化を求めて大きくその共同体の姿を変えるが、いったん社会が落ち着くと根深い部族主義、それに聖典『クルアーン』と各時代の現代社会との矛盾に悩まされるということを繰り返している。アラブ国家でイスラームが内包する矛盾を根本的に解消した国は存在しない。つまりイスラーム世界はイスラームに基づく理想的社会をいまだ模索中ということである。その意味でイスラーム国家を成熟した静止的民俗・宗教国家と考えるのは正確ではない。ウンマという可変的共同体として捉えた方がいいと思う。ただイスラーム的矛盾はもちろん、その解消もムスリムにしか為し得ないことである。他の民俗・宗教共同体国家が干渉してもろくなことにならない。
銀製クリス
マレー半島 十九世紀 鉄、銀、木 [刀]長:四六・五×幅:五×厚:八センチ [鞘]]長:三四×幅:二六×厚:八さセンチ
マレーシア・イスラーム美術館蒐集のアラブ世界のイスラーム美術品は実際に展覧会を見て楽しんでいただくとして、ここでは肝腎のマレー世界のイスラーム美術品を紹介します。銀製クリスは儀礼用の短剣だが、元々は兵士が身につける武器だった。刀が波打っているがこれが曲者で、クリスで切られると傷が複雑で治療が難しく治癒も遅くなるのだという。
ただクリスはマレー半島からインドネシアまで広く普及している。インドネシアのマジョリティはムスリムだが、ヒンドゥーのバリ島のクリスとクリスボード(クリスを掛けておくための板)もよく知られている。マレーシアは鉱物資源が豊富だが、マレー・エリアにどういう形でクリスが分布していて、ムスリム的特徴はどういうものなのかを知りたかったですね。
『クルアーン』
マレー半島東海岸 十八~十九世紀 バックラム、紙、インク、顔料 長:二八・五×幅:一九・五×厚:六・五センチ
この『クルアーン』はマレー半島東海岸のスルターンの宮廷で書写されたものだという。豪華な写本である。現代では『クルアーン』を様々な言語に翻訳することが行われているが、元々は神の言葉である。そして神の言葉は最初はアラビア語で書かれた。そのため十九世紀頃まで『クルアーン』はオリジナルのアラビア語で写本が作られることが多かった。
この『クルアーン』についても、マレー半島伝来最古の『クルアーン』は十八世紀頃のものなのか知りたいところですね。ちょっと物の背景となる文化が見えてこない展覧会だった。ただ展覧会全体で『クルアーン』とその神聖文字をクローズアップして紹介しようという意図は感受できた。
「ラッバイク」
アズラ・アギギ・バクシャイェン作(一九六八年生まれ) 二〇一一年 インク、カンバス 縦:一五二×横:一五二・五センチ
文字を書として描き、それを芸術と考えるのは東アジアとイスラーム世界だけである。日本、中国、朝鮮、そしてイスラーム世界にしかいわゆる書家はいない。アズラ・アギギ・バクシャイェンさんはマレーシアの書家のようだ。「ラッバイク」はマッカのカアバ神殿の巡礼を描いた書の作品で、巡礼の際にムスリムが唱える「神よ、あなたの御前に参りました。あなたに並ぶものはありません」というアラビア語が同心円状に描かれている。イスラームならではの書である。
今回の展覧会では様々なイスラーム帝国時代の『クルアーン』の出品が多かった。展示の最後も「現代絵画」というタイトルだが、『クルアーン』を描いた現代の書で締めくくられていた。イスラームは偶像崇拝を禁じているのでこうなったのかな。そのあたりも今ひとつ伝わってこなかった。しかし昔の『クルアーン』よりも大胆な構成の現代の書の方がムスリムの世界観を端的に表現している。貴重な美術品をたくさん見ることができたが、展覧会の白眉は最後の書のコーナーだと感じました。
鶴山裕司
(2021 / 08 / 27 17枚)
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