高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『角川短歌 2019年12月~2020年02月号』をアップしましたぁ。歌壇と言いますか、短歌の世界は面白いですね。次々にスリリングな動きが生まれています。もちろん小説や自由詩の世界と同様に、そのいくつかだけが生き残り、大半が泡沫のように消えてゆくと思います。別に批判しているわけではなく、それが文学の世界の正常な姿というものです。歌壇はホントに上手く機能していると思います。俳壇、詩壇、小説文壇が見習っていい点がありますね。
今回は馬場あき子、宇多喜代子、永田和宏(司会)さんの対談が面白かった。宇多さんは永田耕衣が「前衛俳句というのは病気だから」と言ったと語っておられます。これは初めて聞く話ですね。俳壇では耕衣は前衛系俳人と思われていますが、ご当人は重信系の前衛俳句に批判的だったようです。こういった話が出るところが対談とか討議の面白さです。
永田 現代詩はあの頃必読でしたよね。「現代詩手帖」はわれわれ、毎月読んでましたから。コンプレックスだったんですよ。現代詩、いいなぁって。
宇多 周辺の文学青年は全部、現代詩でした。(中略)
永田 それは、いつ、どこで逆転しちゃったの?
馬場 昭和五十年代(おおむね一九八〇年代)頃からですよ。これは平成になってからだけど、高見順賞の選考をやってたことがあるけど、「これどうですか」って日常詠のような詩が出されてびっくりした。それで、思わず「こんなの短歌で言えば第一に排除されますよ」と言った覚えがある。
この箇所も面白い。自由詩は短歌・俳句に比べて圧倒的に創作者人口も読者人口も少ないジャンルです。にも関わらず1960年代から80年代くらいまで、自由詩の詩書はそこそこ売れていて市場があった。その理由がはっきりわかりますね。
自由詩が圧倒的先進性を持つ前衛だと認知されていたから、歌人、俳人たちが熱い視線を送っていて詩書を買っていたわけです。それがほぼ完全に霧散してしまったので、自由詩の商業市場が風前の灯火になってしまった。自由詩は前衛でなければならないわけですが、それは今、歌壇が担っているような気配です。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『角川短歌 2019年12月月号』 ■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『角川短歌 2020年01月号』 ■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『角川短歌 2020年02月月号』 ■
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