今月号には「特別対談 馬場あき子 × 宇多喜代子「昭和40年代の歌人・俳人交友録」」(聞き手=永田和宏)が掲載されていますがこれは確か角川俳句にも掲載されていましたよね。馬場さんと宇多さんの対談は歌壇・俳壇双方にとって重要なので角川短歌・俳句両誌での掲載ということになったようです。岡野さんの句誌批評では言及されていないので今回はこの対談を取り上げます。昭和40年は一九六五年ですから六〇年代から七〇年代にかけての歌壇・俳壇について語った対談です。言うまでもなく前衛の季節です。
馬場 前衛の全盛期と言われた昭和三十八年(一九六三年)に共同制作の「ハムレット」とか、「フェスティバル律」とかが行われた。そのあと三十九年(六四年)に角川『短歌』の編集長が交代して、これがものすごく大きくて前衛ならびに前衛の周辺にいた私なんかまで切り捨てにあってしまった。(中略)
それでは四十年代の前半は何をしていたかって言うと、実に実り多い(笑)、自分勝手なことを歌壇の外でやっていた。(中略)それが終わって以後四十年代は前衛批判が起こった。というのも、その頃までに前衛の作品はエピゴーネンが広がってしまったために、前衛の手法というものが卑俗に一般化して意匠になってしまったと言われた時代なんです。つまり前衛の拡散期にあたっていて、これから前衛がどこで力を盛り返すかというのが四十年代の初め。前衛の引き際だったわけ。
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宇多 俳壇のほうでは、ひたすら金子兜太ですよね。金子兜太を中心にした、わけのわからないと言われたいわゆる前衛俳句が出てきた。俳壇では、嵐のようだった安保の社会現象や社会の動きの波の中に個々の俳人が突っ込んでいったというのは顕著じゃない。安保闘争時代の句がないですね。だから私は、福島泰樹さんの『バリケード・一九六六年二月』をよく読んだのを今でも覚えています。
「特別対談 馬場あき子 × 宇多喜代子「昭和40年代の歌人・俳人交友録」」(聞き手=永田和宏)
馬場さんの発言から前衛短歌の全盛期が意外と短かったことがわかります。一九六〇年代の初めには新鮮で力のあった前衛短歌ですが後半になるとエピゴーネンだらけになり「前衛の手法というものが卑俗に一般化して意匠になってしまった」。こういった推移は短歌以外のほとんどの前衛文学にも当てはまります。
本当に「新しい」と感じるような表現が出て来るのは数年の間です。それもたいてい複数の作家から同時に出る。そして新たな表現を生んだ創始者たちは次の展開を求めて変わり始めますがエピゴーネンたちは立ち往生した挙げ句にじょじょに消えてゆく。文学の世界はこれを繰り返しています。口語短歌やニューウエーブ短歌も例外ではないでしょうね。ほとんどの場合は創始者しか生き残れない。自分で何かを始めた作家だけがその限界をも知っており次の展開の必要性を痛感できるからです。
宇多 私は金子兜太と阿部完市ですね。金子さんのところで一緒にやっていた阿部完市さんの作品というのが非常にシュールで、今までの俳句にないような作品でしたけど魅力的でした。そういった人に話を聞いたりするのは刺激を受けましたね。周辺が気を遣って、「ああいう強烈なものを持った人のところに若い女の子が行くと、かぶれるから行くな」って言われたぐらい。それで、永田耕衣が「前衛俳句というのは病気だから」って言うんです(笑)。
馬場 永田耕衣がそんなこと言うの?
宇多 昭和四十四(一九六九年)年の冬、「桂信子のところで静かに勉強するといい」って私に勧めてくれたのは永田耕衣ですよ。私は前々から桂信子は好きだったの。でも、どうしていいかわからなかったときに、四十五年(七〇年)に桂信子が結社を持ったんです。そのニュースを一足先に知った永田先生から「すぐあそこへ行くといい」って電話が(笑)。
(同)
宇多さんの発言は俳句前衛が基本的に芸術至上主義的であり安保闘争などの社会的出来事に積極的にコミットしていなかったことを改めて裏付けています。金子兜太は社会性俳句で有名ですが戦中の新興俳句の俳人と比べても同時代の社会批判句を書いていません。兜太の社会批判が顕著になるのは晩年です。
六〇年代前衛俳句は兜太・重信が代表ですが兜太の社会性俳句は社会の中での個の表現を重視した前衛であり社会批判とイコールではありませんでした。重信多行俳句はさらに芸術至上主義的で俳句形式に真正面から戦いを挑む試みであったのは言うまでもありません。
そんな前衛の時代に永田耕衣が宇多さんに「前衛俳句というのは病気だから」と言ったのは面白いですね。耕衣は表向き重信らと友好関係を築いていましたから(重信は『俳句評論』特別同人として耕衣を遇しています)前衛俳句に対する批判的な言葉をほぼ書いていません。「病気だから」は耕衣の本音でしょうね。耕衣は前衛俳句は続かないと見切っていた。もちろん兜太・重信の前衛俳句がムダだったという意味ではありません。しかし戦前から続く耕衣の俳句の歩みは彼らとは違う何かを見ていた。
馬場 同じ短歌でも、近代短歌や戦後短歌をどれぐらい読んでいるか。その連鎖、短歌史というものをどう捕まえるかというのがすごく難しくなってるんじゃないかと思うのね。篠(弘)さんはそういった点では、短歌史をやってくれた、ただ一人の貴重な存在だと思うけど、そこはやっぱり男の短歌史ですよね。ときどき参考にするんだけど、どうして女の人は黙ってたのか。私たち女性も悪いのよ。短歌史の中の流れの端っこのほうにくっついていたのがわれわれだったことを反省しています。
(同)
短歌のお話しに限れば戦後の短歌史は塚本・岡井の前衛短歌――つまりは男の短歌史でした。戦前に遡っても茂吉「アララギ」が絶対的に君臨していましたから馬場さんがおっしゃるように女性歌人たちは「歌史の中の流れの端っこのほうにくっついていた」と総括できます。
しかしこの状況は変わり始めています。異例だと思いますが角川短歌・俳句両誌で掲載されたのが馬場・宇多さんの女性作家の対談であることがそれを端的に示しています。現代はある意味女性作家の時代です。
短歌の新しい流れというか息吹が口語短歌とニューウエーブにあるのは間違いありません。従来的な私性の短歌にはない表現が生まれています。しかしそこに男性性の気配は希薄です。生物学的に男性に分類される作家が少ないと言っているわけではありません。口語・ニューウエーブ短歌は本質的に極めて女性性の高い表現だと思います。実際作家名を取り除いて作品だけ読むと男性作家か女性作家かわからないことが多い。
文学における女性性とはなにかと言えばそれは制度を壊す力です。一方で男性性とは制度を作る力――新たな世界に対応した新たな表現パラダイムを築き上げる力です。塚本・岡井の前衛短歌が一世を風靡して数多くのエピゴーネンを輩出したのは彼らが戦後の新たな世界に対応した新たな書き方のパラダイムを作ったからです。
ではニューウエーブはどんなパラダイムを持っているのか。ちょっと言いにくいですが穂村弘さんが決定的な同時代の表現パラダイムを作ったと果たして言えるのか。そこまで行っていませんね。俵万智さんによる〝期せずして既存短歌の解体〟をさらに徹底しただけだとも言えると思います。歌壇のスターですが穂村短歌は大局的に言えば〝解体〟に留まっています。だから穂村さんは先行する絶対的師ではなく同時代の親しいお兄さん的な仲間になる。
もちろんだからどうしたという話ではありません。穂村さんを貶めているわけでも女性性短歌の現代に問題があると言っているわけでもありません。ただ今は男性性短歌を詠むのは非常に難しい。社会的な軸を立てて観念で引っ張るような表現はどこを探しても見当たらない。またじょじょに閉塞状態に陥り始めているニューウエーブ短歌の Next ではやはり女性性表現がキーになると思います。ただしいつまでも解体に留まっていたのでは活路は拓けないでしょうね。
永田 現代詩はあの頃必読でしたよね。「現代詩手帖」はわれわれ、毎月読んでましたから。コンプレックスだったんですよ。現代詩、いいなぁって。
宇多 周辺の文学青年は全部、現代詩でした。(中略)
永田 それは、いつ、どこで逆転しちゃったの?
馬場 昭和五十年代(おおむね一九八〇年代)頃からですよ。これは平成になってからだけど、高見順賞の選考をやってたことがあるけど、「これどうですか」って日常詠のような詩が出されてびっくりした。それで、思わず「こんなの短歌で言えば第一に排除されますよ」と言った覚えがある。
(同)
創作人口も読者人口も俳句→短歌→自由詩の順に少なくなるのは今も昔も変わりません。創作人口も読者も少ない自由詩が一九八〇年代初頭までそこそこの市場を持っていられた理由はその前衛性にあります。一般読者も惹きつけていましたが最も熱心な読者は歌人や俳人だった。戦後詩や現代詩ブームは実質的に歌人・俳人によって支えられていたのです。しかし前衛性を失った途端に自由詩の読者も創作人口も激減してしまった。永田さんが「コンプレックスだったんですよ」とおっしゃっているように俳人も歌人も現代詩の先進的表現に憧れていたのでした。
では自由詩の前衛性とは何かというと徹底した男性性表現です。今になると詩人では谷川俊太郎さんが目立って見えますが戦後前衛の時代は違います。抒情は短歌でも表現できますが戦後自由詩最大の独自性はその言語的前衛性にあった。鮎川信夫や田村隆一の「荒地」派や入沢康夫・岩成達也の現代詩派が一世を風靡していました。彼らの表現を支えたのは高い高い観念軸です。極端な抽象にまで言語表現を持ち上げていった。
それが今では見る影もありません。一九八〇年代頃までは短歌や俳句を書いていると「若いのに何が悲しくて」と言われかねませんでした。今は逆です。今「詩を書いているんです」と言うと「詩を書いてる人っているんだぁ」と笑われかねない。自由詩は前衛からほど遠い弛緩したポエムに近づいています。日記の片隅にでも書いておけばいいような作品が現代詩の幻想を引きずりながら堂々と発表されています。
時代は変わるわけですが現代詩凋落の原因は社会性を持った垂直軸の観念性(男性性表現)の喪失にあります。他山の石ですが歌壇や俳壇の作家も恐れを持って現代詩の失墜を考えてみる価値はあります。
高嶋秋穂
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