やなぎみわ演劇プロジェクトvol.3「1924 人間機械」(鑑賞日:8月3日)
於 世田谷美術館
原案・演出・美術 やなぎみわ
脚本・演出助手 あごうさとし
音楽 柳下美恵
出演 山本麻貴(MURAYAMA)、舛田学、松本芽紅見、花本有加、松木萌、あごうさとし(MURAYAMA2.0)
舞台監督 浜村修司
音響 谷口大輔(T&Crew)
照明 池辺茜
映像 三谷正
造形・ヘアメイク 杉本泰英
宣伝美術 木村三晴
講談指導 旭堂南湖
制作 井上美葉子(ARTCABINET)
サポートスタッフ 穐山史佳、季将旭、辻口実里、平松繭子、柳瀬安里、吉岡諄美、米田有希
『1924』は、大正昭和戦前戦後と活躍した芸術家・村山知義と、演劇近代化運動の中心地であった築地小劇場をめぐる三部作である。第一部『1924 Tokyo-Berlin』では若き村山知義と築地小劇場主宰・土方与志の出会いを、第二部『1924 海戦』では築地小劇場の第一回公演を背景に、土方与志と演出家・小山内薫による演劇の改革を掲げた奔走を描いた。今回はその第三部である。巡回展『村山知義の宇宙――すべての僕が沸騰する』と連動して、舞台となる美術館を転々しながら公演を重ねてきた(「[第三次]シアターアーツ 第49号」に第一部第二部の台本が掲載されています。巡回展については金魚屋の美術展時評でも取り上げられているので、こちらをご参照ください)。美術作家やなぎみわによる本格的な演劇プロジェクトということもあって、もとより注目度が高いことに加え、美術作品の展示と演劇作品の公演が相互補完する仕掛けにも観客は期待を募らせただろう。展覧会と演劇上演は、大きく見れば舞台とパフォーマンスの関係にある。それは村山知義=MURAYAMAの関係にも見いだせるものだ。しかし展覧会を基盤、上演を派生とし、「展覧会→上演」と安易な構造でとらえれば、本作が本来持ちうる意味の射程を狭めてしまうだろう。本作はむしろ、「展覧会⇔上演」の仕掛けをもって、劇中では「ダンス」に表象される美術制作と、その展示を批評する視点を舞台に掛ける。それは、やなぎみわ自身が美術作家としての生業(本作上演そのものも含めた)を舞台に掛けることでもある。
今年四月、京都国立近代美術館での本作の公演の一部がUSTREAMでライブ配信された。今回はその話からはじめたい。というのは、ライブ配信の『人間機械』は美術館での『人間機械』観劇を逆照射し、観客と劇場の関係がメタシアターの視点で相対化されるときに視える<制度と権力>の構造をとらえていると考えられるのである。
配信版『人間機械』は、美術館ロビーに集合する観客を映した映像からはじまる。めいめいにイヤホンガイドが配られ、装着したイヤホンからは係員のアナウンスだけでなく、上演中の台詞なども聞こえるようになっているという。聞こえかたの違いの点で現地美術館内の観客と配信映像の観客の観劇は厳密に分岐する。注意事項のアナウンスなどが済んだのち、観客は係員にしたがって演技空間に入場する。
ここで係員を務めるのは『1924』シリーズではおなじみの案内嬢たちである。最初期のデパートガールのような「モダン」を衒った姿は、21世紀の美術館ロビーのオフィシャルな雰囲気をゆがめ、ロビーへの集合はすでに観劇体験に包摂されている。観客が入場し終えると、案内嬢たちはきわめて自然に劇世界に移行する。彼女らは劇の進行役でもあり、裏方でもあり、登場人物でもある。彼女らは「村山知義の表象=MURAYAMA」を取り巻く一切を担う。
案内嬢は劇を進行させるため、あらゆる機能となる。(p.176)
現地観客と配信映像の観客の乖離は、案内嬢との関係において明白になる。案内嬢の指示通りに移動し観劇する観客と、案内嬢によって進行する演劇は、案内嬢という制度のうちに包摂されている。<制度と権力>の頂点に案内嬢が座している。しかも彼女たちは同じ制服に同じ仮面をつけ、彼女たちの「個」性は機能と役の分担で区分けされているにすぎない。彼女たちと観客の距離はイヤホンによって一定に保たれている。観客各自のイヤホンからは、彼女たちの台詞と指示が聞こえ、観劇の継続の為には指示に忠実に従わなければならない(上演中、観客は入場を含めて2度も移動しなければならない)。同様に、MURAYAMAも一定の距離にある。
はたして我々はMURAYAMAに対峙して、決して噛みつかれることなく、安全な距離を持って見物することに成功するわけです。(p.178)
距離の一定を保証する仕組みが劇場の制度なのである。そしてそれぞれの配置に仕事が配分されている。観劇そのものが制度に包摂されて、観客は上演の為に参加し、観劇を行わなければならない。配信映像を通して目の当たりにしたのは、実はそのような制度そのものを舞台に掛けたメタシアターなのである。ところで、配信映像の鑑賞者も制度を逃れているわけではいない。観賞を許されたのは2度目の観客移動までの限られた部分のみ。上演中の映像は、MURAYAMA、案内嬢たち、観客をやや俯瞰した角度で映す。監視カメラを盗み見ているようにも錯覚するアングルだが、それは劇場(側)が設けた、幾分か遠く一定の距離を保つ観客席なのだ。
8月3日の世田谷美術館のロビーにも、同じゆがみが発生していた。美術館の受付とは別に設けられたチケットブースに案内嬢の姿がある。ロビーにはすでに100人ほど集合している。受付を済ませると、イヤホンガイドを受け取るように指示を受ける。観客の間に立って案内をしている案内嬢からイヤホンガイドを受け取り、説明を受ける。そばにはMURAYAMA作「コンストルクチオン」が展示されている(この架空の美術作品は、企画展で選別されたオフィシャルな作品群の一つではない。ゆがみはここでも生じている)。「コンストルクチオン」作品解説ののち観客の誘導。世田谷美術館公演では講堂を舞台に用いていたので、美術館内という感覚はいくらか薄れるが、その代わりより際立つ演出もある。
写真提供:やなぎみわ演劇プロジェクト
観客を案内し終えた案内嬢たちは舞台上に設えた監視椅子に座り、舞台背面のスクリーンにピアノを弾く案内嬢が映し出される。ベートーベンの「メヌエット・イン・ゲー」の演奏。白布におおわれた立体物が運び込まれる。中身はおかっぱ頭の男の立像である。これがMURAYAMAだ。MURAYAMAは美術作品として登場し、案内嬢たちの手で台車から床に移されると、息を吹き返したように踊り出す。
さらに、見物人に対して安全を期するためにMURAYAMAは、ある良識と見識と研究と経歴とを持ち合わせた現代の英知によって美的に再構成されました。(p.178)
劇の筋立ては、若き村山知義の活動をフィクションで肉付けして展開する。ドイツ留学を経て西洋の美的刺激を吸収したMURAYAMAは日本に帰国し、独自の芸術宣言として「意識的構成主義」を立ち上げ、「意識的構成主義的小品展覧会」なるものを百貨店で企画し、芸術的マンネリズムに堕した二科展あるいは二科的芸術的なモノとの決別を示す「百貨店の三科」と称して開催し、挫折し、プロレタリア芸術へと変節していく。
ドイツ留学の経験は、そのエッセンスを抽出して、いくつかのテーマで語られる。一つはニーチェの影響を受けた「超人」。母親の信仰と教育によりキリスト教の信条によって庇護されていたMURAYAMA少年は、非暴力と隣人愛を主張するあまり、第一次大戦後の軍拡化する世界に打ちのめされるが、無神論と出会うことで、打ち砕かれた自分自身の再構成を試みる。唇の造形には「幾夜もかけ」て「異性を引きつける魅惑的な肉感」を出し、男子のシンボルは「無意識のうちに大きめにつくられた」。
意識して作られた唇と違い、無意識のうちに設定されたシンボルは、意識されて作られたものを受容するときとはまた違う、満足があった。これは、僕ではないのだが、これは僕だ、無意識に「ある力」を感じた最初の体験であった。(p.180)
こうしてMURAYAMAは、神の造物たる(母の造物でもある)「僕」を脱却し、意識上にも意識下にも浸潤して沸々としているマグマのような「僕」を知るのである。留学先のドイツの街は敗戦後の荒廃から機械の力で再建されつつあった。機械は兵士の身体の欠損部をも補い、再建していた。それがMURAYAMAには超人が生産されているように見えた。MURAYAMAはニッディー・イムペコーフェンという踊り子に出会う。それは二つ目のテーマ「ダンス」との出会いでもある。MURAYAMAはニッディーに引かれ、ニッディーはMURAYAMAによって身体と音楽に引き裂かれる。
彼女の身体は陶器だ。そしてその陶器が肉になる。一つの気味の悪い相互作用だ。(…) ダンスは全人生的なものでなければならない。(…) まず、音楽に全く身を任せてしまった、音楽から必然的に流れ出るような、音楽の豊富さにかなった独創的なポーズと動きの豊富さを持って踊りがくる。
次には、音楽を手助けとして、踊り手のイデエと感情と感覚が独創的に流れ出た舞踏がくる。これが本当の舞踏芸術だ。(p.181−2)
MURAYAMAが信じたダンスのシステムは「意識的構成主義」と通底したのではないか。MURAYAMAもまた音楽を得る。詩である。MURAYAMAは音楽とともに言葉を得て、実際の舞台上でも、饒舌になっていく。MURAYAMAはニッディーに詩を捧げたが(それはスクリーンに投影される)、ニッディーの身体はピアノ弾きの男の音楽と結婚したという。取り残されたMUYRAYAMAは、しかし売春街で娼婦ソーニャとの初体験を経て、ダンスの成り立ちを体験する。ソーニャはMURAYAMAの音楽に身を任せた最初の身体となるのだ。この感動のために、MURAYAMAはその後シーメンス社に問い合わせ、滞在費をのこらずつぎ込んでソーニャ型の人間機械を何体も購入し、帰国する。演じるのは案内嬢たちである。
ソーニャ型人間機械たちはMURAYAMAの音楽(=言葉)を実現する身体となって働く。帰国後、郵便物の誤送をきっかけに銀座松坂屋で「百貨店の三科」を開催する機会を得る。言葉は指図になり、権力が生まれる。人間機械たちを巻き込んだMURAYAMAの意識的構成主義の実践(=ダンス)は、あまりに抽象的すぎて解説を要したが、しかし言葉が饒舌になればなるほどにダンスは均衡を欠き、狂い、案内嬢たちや群衆、つまり作家の言葉の受容体であるはずのすべての人間機械から見放され、孤立してしまう。その結末が、MURAYAMAを変節させしめ、プロレタリア芸術に赴かせることとなる。
MURAYAMAの芸術的表現がそうであったように、本作の上演は言葉とダンスのミックスである。俳優の身体表現とスクリーンに投影された映像表現が連動して、MURAYAMAの芸術(態度)が抽象的に表象される。氾濫気味に溢れ出る言葉が、具体的な意味と舞台上の抽象をつないでいる。「百貨店の三科」の場面では、案内嬢たちが木箱の中から手なり足なりを突き出し、ゆらゆらさせる自画像的作品「コンストルクチオン」が展示されるが、その解説には600字以上の言葉が費やされる。その重要さは、装着したイヤホンにより確実に伝達される観劇のシステムによっても保証されている。また、スクリーン上にはしばしば文字情報もあらわれる。ダダイストの詩人・萩原恭二郎の詩が朗読とともに投影されるが、その文字がゆらぎ、震え、剥げ落ちる視覚表現は、言葉の優位をダンス的挙動が侵犯し、均衡を崩して転覆させる過程のようでもある。
手話は狂ったダンスとなり、解説は狂った語調となり、詩の朗読はもともと狂っている。ともかく舞台上には、狂ったものしかない。(p.191)
すべての僕が沸騰する。村山知義展のテーマそのものに、意識的構成主義の実践はダンスする身体と同期する。しかし表現が作品として提示されると、解説が要る。この段になってMURAYAMAの饒舌は極みに達し、そしてダダ詩の崩壊とともに押し黙っていく。MURAYAMAの解説なしには受容されない芸術は、またその身体である人間機械は、「何のために必要なのだ?」。MURAYAMAの自問は変節のMURAYAMA2.0を舞台に呼び込む。案内嬢の一人が陶器のような仮面を脱ぐと、坊主頭に眼鏡をかけた男が姿を現すのだ。彼はMURAYAMAに聞く。「この百貨店の三科の動員はいくらだった」「126人だ」「君はどう評価する」「少なければ少ないだけ、成功だ」この人数は、講堂に集まった当日の観客数と同じなのだろう(引用テキストの出典である高松公演の上演台本では39人になっている)。上演中、はじめて明確に観客の存在に言及した場面だ。二人のMURAYAMAは芸術の理念を求めて対立する。MURAYAMAは自己言及的な意識的構成主義の先進性と価値を信じるが、MURAYAMA2.0は、芸術は社会への啓蒙だと主張する。「この百貨店の三科の動員はいくらだった」これは社会から作家への問いかけだ。または劇場から、美術館からの問いかけでもある。MURAYAMAの全人生的(内宇宙的)ダンスは、ここで明確に観客の目にさらされている<展示作品>として再提示されるのである。
変節を機にMURAYAMAは退場する。芸術態度を表明し、解説してきた言葉の発話権はMURAYAMA2.0に受け継がれることになる。MURAYAMA2.0の言葉は啓蒙を目指し、その語彙は政治性を帯びる。詩は演説に取って代わられ、ソーニャ型人間機械はダンスする身体としての義務から解放されるが、新たな仕事への手続きが無声映画の体裁でスクリーンに公開される。
MURAYAMA2.0「過酷な労働をMURAYAMA氏から課せられているようですが、どのような不満をお持ちですか」
案内嬢「拘束時間が長すぎる」
案内嬢「案内嬢なのに、どうして金槌持って大工仕事しなきゃいけないの」
(中略)
MURAYAMA2.0「我々の敵は誰か?」
案内嬢「MURAYAMAです」
案内嬢「私たちの敵はMURAYAMAです」(p.193)
無声映画が終わると、MURAYAMA2.0と案内嬢たちは観客席後方の映写室に現れる。講堂の仕掛けを用いたこの演出により、観客が無声映画を「見せられていた」状況がより際立つ。映画のなかで、群衆を離れた芸術の発話(権力)者MURAYAMAを打倒するために蜂起した案内嬢たちは社会主義的国家建設を掲げて蜂起したデモ群衆を装い、芸術解説の受容体としての人間機械は解説発話者に反乱する。その映像を背景に、再び舞台上にMURAYAMA2.0と案内嬢たちが登場する。
MURAYAMA2.0「吾同盟は一切のブルジョア演劇を実践的に克服しつゝプロレタリア演劇の組織的生産並びに統一的発表を期す。
・吾同盟は斯かる一切の演劇活動を通じて無産階級の解放の為に闘ふことを期す。
・吾同盟は演劇に加へられる一切の政治的抑圧撤廃の為に闘ふことを期す。」
案内嬢により映像が強制終了され、MURAYAMA2.0は布を頭から被せられ撤去される。(p.194)
しかし突然の上演中止。理由は「特定の政治目的の為の使用など、美術館の設置目的に反する催しはかたく禁じられて」いるためだ。MURAYAMA2.0に布がかぶせられ、案内嬢が一礼すると、一番の笑いが観客の口をついた。これは当然のことなのだ。観客はつねに案内嬢に案内されている。着席、イヤホン装着の指示、ボリュームの調整に至るまで。MURAYAMAのダンス、MURAMAYA2.0の演説、それらは選別され、用意され、配置された展示作品にほかならない。<度を超して>しまえば撤去される。美術館の設置目的を逸脱する展示物なら館内に置いてはおかれない。MURAYAMA2.0は息まいた演説により許容される度を超してしまった。一作品の発する言葉が、許可なく美術館を代表してはならない。案内嬢を従えて「吾同盟」など、言語道断なのである。MURAYAMAならこんなことになはならなかったのだろう。なぜなら「MURAMAYAは「踊るMURAYAMA」の表象であり、セリフを吐くことはない」(p.176) のだ。過剰は未然に防止されて、安全が保証されている。一定の距離、選別された再構成。MURAYAMAは案内嬢とともに意識的構成主義的芸術作品を解説したが、政治的権力を帯びてはいなかった。MURAYAMA2.0は政治的だが、彼の映画はまだ解説の範疇にあった。しかし、映写室を飛び出して観客に<語りかけて>しまったこと、それによって彼は制度を逸脱したのだ。
MURAYAMA及びMURAYAMA2.0の末路にも、観客は案内されていく。順番にロビーへ戻り、通路を奥へ進むと美術館の搬入口に通される。するとMURAYAMA2.0の演説が聞こえてくる。街宣車が一台、搬入口シャッターの前に停まっている。
案内嬢「さてあちらに見えますのは、MURAYAMAの幻の作品「しゃべるMURAYAMA」でございます。残念ながら展覧会には、さまざまな理由から陳列が難しく、あちらのスペースに保留となっております」(p.195)
搬入口のシャッターが開き、MURAYAMA2.0は明るい午後の日差しの中へ、観客のくすくす笑いに看取られて、美術館を後にした。そこへ、ポーズをとりながらアクリルケースに収納されたMURAYAMAが運ばれてきた。
「こちらの「踊るMURAYAMA」は、当館に収蔵いたします。またいつの日か、皆様にお目にかける日まで、適正な温度湿度で永久に保存管理いたしますのでご安心下さいませ」(p.195)
恐ろしい宣言とともに、MURAYAMA は照明輝く倉庫へ収蔵されていく。このような劇の終わりに観客は拍手を送ったのだった。拍手とは同意を表す行為だ。たとえ無自覚に、あるいは周りに合わせて、またパフォーマンスへの返礼として拍手を送ったとしても、総体としての観客はダンスの保存、演説の放逐に同意する。そうでなければ上演が<完了>しないことを、観客は感じ取っている。ここでも観客は案内され、案内を受容している。演劇の完了は、主催者の<制度と権力>との共犯関係を結ぶことである。本作は案内嬢によってそれを可視化した<反演劇>の上演なのだ。
写真提供:やなぎみわ演劇プロジェクト
たとえ美術館の企画展と同期した作品であっても、本作を企画展の一作品と捉えることはできないだろう。むしろはっきりと差異を示して企画展の一貫性にさしこまれた「ゆがみ」そのものである。村山知義展で選別された村山像は、MURAYAMAほど孤独に踊る人物ではなかった。村山は常に運動とそれに関わる人々の間にあって、村山の音楽はそれを再現する同士同盟に恵まれていたのである。しかし本作では「吾同盟」を求める村山をMURAYAMA2.0と、どこか冷笑気味に改名して美術館から追放した。その代わりにMURAYAMAを、企画展中の美術館倉庫に収蔵することで、企画展が用意した村山像への異議申し立てをしたのだ。よって、本作はやなぎみわによる<反演劇>的<反美術館、あるいは反劇場>作品といえるのではないか。そのような対立構造を視界におさめるためには、観客の負担はふつうの劇場での観劇よりもはるかに大きくなる。しかし企画展と演劇の両方を鑑賞しなければ、主催やなぎみわとの共犯関係は結べない。誰を本公演の主催者に指定するか、その選択は最終的に観客に任されている。主催者側から差し出されるのはチケットだけだ。その使い方で演劇の大枠が違ってくる。それは劇場の画定が観客にゆだねられているということでもある。劇場が変われば関係が変わる。権力の受容の仕組みも。拍手の意味も。
註:劇テキストは [第三次]シアターアーツ第51号(晩成書房)掲載の上演台本 (高松公演時のもの)より抜粋して引用した。
星隆弘
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■