唐門会所蔵の安井浩司氏折帖墨書作品第五作目は『雅心蠛や抄』である。『がしんまくなぎやしょう』と読む。『蠛』は小さな羽虫のことで、夏の季語である。『蠛や抄』は縦二十四・五センチ、横八センチ、厚さ約一・八センチで、布張りクロース装の表紙に張られた紙に安井氏が表題を墨書しておられる。折りの数は四十八枚で巻頭巻末の三面は白紙である。『お浩司唐門会』の雅印はない。折帖の最後に『昭和四拾五年卯月』とあるので、一九七〇年四月に制作されたことがわかる。安井氏三十四歳の時の書である。
『蠛や抄』の文字は昭和四十六年(一九七一年)刊の第三句集『中止観』に見える。『中止観』は『中止』『百日頌』『蠛や抄』『走々集』『法華寺幻想』『裏筑波』『からくさ拾遺』の七つの小タイトルに分類されているのである。折帖『蠛や抄』には二十一句が墨書されているが、そのうち十五句が『中止観』に収録されている。この十五句のうち十四句までが小タイトル『蠛や抄』の中に見つかる。残り六句は『中止観』未収録句で、恐らく未発表句だろう。また『中止観』と折帖『蠛や抄』で重なる句も、若干の表記上の違いがある。折帖『蠛や抄』は『中止観』編纂直前に制作されたわけだが、他の句集と同様、句集にまとめる際に落とされた句が混じっているようである。
以下に折帖『蠛や抄』の収録句を掲載しておく。
蠛(まくなぎ)やみつまたに道は裂けたり
藪がらしそこがあんまの侵入門
五目天にはえるキリストの煙茸(*1)
柿の種々すべりひかり西の穢土
どれも三寸の丸谷の捨て湯かな(*1)
鰯ずるしもえつきて精舎の春(*2)
雪の沢くだる一本のQの糞か
ひこばえに日本海を流れる板かな(*1)
梵をやくやしじまの空に馬具ひとつ
冬湾のほとりをかえる足有卦に(*1)
ふるさとの沖にみえたる畠かな(*3)
春魚といわば山裾に凶の手はえ
朱膳喰うはるかはるかな敗荷
逆さ水こそたんすに柿を植え(*1)
トーチかのおおばこ怖し接吻し
蛇弱しとひねるひなたぼこの門
遠梵のこうべちいさきすかんぽの門(*4)
赤犬へ丸ごとかます足の嫌坂
白雲に手の疥癬のなつかしきかな
竹のこでる父(おや)のふりして補陀落へ
千日の灸うらがえる落ち葉の潟(*1)
蠛や抄
昭和四拾五年卯月
百漏舎浩司(雅印)
*1 句集『中止観』未所収。『中止観』選句の過程で落とされた未発表作品の可能性が高い。
*2 『中止観』では『もえつきて』が『燃えつきて』になっている。
*3 『中止観』掲載句だが『走々集』の部に収録されている。
*2 『中止観』では『こうべ』が『頭(こうべ)』になっている。
『雅心』と銘打ったことを正確に反映して、折帖『蠛や抄』は遊び心のある素晴らしい書に仕上がっている。安井氏が書いた書の中でも傑作の一つだと言っていいのではなかろうか。句は二行から五行で書かれているが、平安時代の仮名書を意識した散らし書きになっている。全部開くと心地よいリズムが書から伝わってくる。
折帖『蠛や抄』が制作されてから一、二年後の昭和四十七、八年頃(一九七二、三年)に、安井氏は剣呑極まりない字で折帖『無日の抄』の制作している(『No.004 唐門会所蔵 安井浩司墨書作品 折帖篇 ③』参照)。折帖『蠛や抄』は飛騨高山時代に書かれ、『無日の抄』は秋田か秋田帰郷直前に書かれたと推定される。書は人柄だけでなく、墨書をしたためた時の作家の心も反映するようである。
岡野隆
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