唐門会所蔵の安井浩司氏折帖墨書作品第四作目は『乾坤抄』である。『乾坤抄』は縦二十八・八センチ、横九・三センチ、厚さ約一・五センチで、布張りクロース装の表紙に張られた紙に安井氏が表題を墨書しておられる。折りの数は五十四枚。巻頭巻末の七面は白紙である。なお『お浩司唐門会』の雅印は押されていない。
巻末に『昭和五十八年十一月好日/「乾坤」刊出の記念に/奥羽百漏舎にて/安井浩司』とあることから、折帖『乾坤抄』は、句集『乾坤』が刊行された昭和五十八年(一九八三年)五月から約半年後に制作されたことがわかる。墨書句の順番も句集『乾坤』通りである。ただ奇妙なことに、真ん中の『神は日曝しの豆を好む昼庭に』、『堤に跳ねる精霊バッタ雨濡れて』は『乾坤』に収録されていない。以前この連載で書いたが、安井氏は句集制作過程で数次に渡って句を取捨選択しているので、この二句は『乾坤』には収録されなかったが思い入れのある拾遺句なのではなかろうか。
また折帖『乾坤抄』の最後に『後記より』が墨書されているが、内容が句集『乾坤』と若干異なる。活字版『乾坤』では、『私の詩は状況に対して自己主張することや対世界を攻め落とすことを嫌う。一つの自己内劇化というか、むしろ在るがままに内在化を深めようと(するものなのだ)』という前置きがあって、それは『いわば凡庸にして自虚自在なるままを願望するにすぎない』ことであると結論付けられている。しかし折帖『乾坤抄』では、『それはある意味で東洋的叡智と深くかかわり合っているであろう』となっている。二つの文章の違いは、前段の文章の意味を大きく変えてしまうものである。
『自己内劇化・内在化』が『凡庸にして自虚自在なるままを願望するにすぎない』なら、それは安井氏の消極的な姿勢だと読者に受け取られる可能性がある。しかし『それはある意味で東洋的叡智と深くかかわり合っている』のなら、安井氏の姿勢は、目先の『状況に対して自己主張することや対世界を攻め落とす』ことを目指す多くの詩人たちの方法よりも、『東洋的叡智』を踏まえたより原理的なものであるという意味に変わる。
以下に収録句と『後記より』のテキストを掲載しておく。
われら宴(うたげ)稲妻に鶏曝されて
言語成さねば夏蟻さえ庭に居ず
深淵を叡智は鱒の渦と去る
永遠に獐(のろ)は昼餉を食いおらん
神は日曝しの豆を好む昼庭に(*1)
堤に跳ねる精霊バッタ雨濡れて(*1)
湧く雷に崖は花鶏(あとり)を憩わせる
淋しさに寄れば孟夏に揺れる花
日は照らす浅瀬の鱒の現身(うつせみ)を
雪蟲や神は断崖を掴もうとして
山川に冬を経て鱒逝く春ぞ
後記より
がんらい私の詩は状況に対して自己主張することや対世界を攻め落とすことを嫌う。一つの自己内劇化というか、むしろ在るがままに内在化を深めようとし、それは、風吹けば則ち鳴るごとく、日を浴びて乾き、雨受けてふくらむという、いわば悠久自在をこそ欣求する。それはある意味で東洋的叡智と深くかかわり合っているであろう。(*2)
昭和五十八年十一月好日
「乾坤」刊出の記念に
奥羽百漏舎にて
安井浩司(雅印)
*1 句集『乾坤』未所収。『乾坤』選句の過程で落とされた未発表作品の可能性が高い。
*2 句集『乾坤』『後記』とは句読点の入り方が違う。また末尾の『いわば悠久自在をこそ欣求する。それはある意味で東洋的叡智と深くかかわり合っているであろう』は、句集『乾坤』では『いわば凡庸にして自虚自在なるままを願望するにすぎない』となっている。
折帖『乾坤抄』は、恐らく句集『乾坤』刊行に尽力してくれた唐門会メンバーのために作られたものである。折帖と句集のテキストの異動は安井氏の韜晦癖の表れとも読めるが、必ずしもそうではないような気がする。句集『乾坤』未収録句が含まれているのは、既発表句だけを並べたのでは面白くないからだろう。また『後記』のテキストの異動は、安井氏の本心の吐露だと読むことができるのではなかろうか。
安井氏は結社を持たず、親しい俳人たちからも遠く離れて、ほとんど一人きりで秋田で創作を続けてきた。ジャーナリズムがもてはやす社会事象を扱った文学に対して強い違和感を覚え、俳句にとって原理的な表現とは何かを探究し続けてきた。しかし少なくとも句集『乾坤』刊行当時、安井氏は自分の方法に対して絶対的な自信を持っていなかったのであるまいか。自問自答の状態にあったと想像される。しかし親しい友人に与える折帖『乾坤抄』では、『俺は正しいのだ、そうではないか、君』という思いが、『後記』の末尾の文章を変えさせたのではないかと思われるのである。
安井氏は句集『乾坤』で民俗学とヨーロッパ的な世界概念を積極的に取り入れ、土俗的でありながら高度に抽象的な作品を生み出している。しかし作品がある種の神秘的世界に近づくのと反比例するように、折帖『乾坤抄』の墨書は端正で稚拙とも呼べるような書き方になっている。安井氏の韜晦癖はテキストの異動よりも、墨書の書体の方に表れているだろう。
岡野隆
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