連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳『伽藍』(第29回)をアップしましたぁ。『第五章 大部屋の面々』です。オーギュストさんが教えてくれた『クワックワックワッ』の歌は傑作ですね。ノンセンスソングです。実に『伽藍』にふさわしい。
アメリカ文学で詩人が登場する小説に、サリンジャーの『シーモア』シリーズがあります。主人公である弟が、すでに亡くなっている繊細で気高い詩人だった兄のシーモアを回想する小説です。で、シーモアは素晴らしい詩人ということになっていますが、小説にはその詩はほとんど登場しない。サリンジャーが詩を書けなかったというより、彼は実際の詩作品では表現できない至高の詩を、シーモアという詩人を散文で描写することで表現したのだと言っていいでしょうね。
サリンジャーが『シーモア』シリーズで描いたような詩の特性は、決して間違っているわけではありません。ただ言葉で表現できないような素晴らしい詩は、当たり前ですがこの世に存在しません。どの言語でも文化圏でも詩は日常言語で書かれますから、天界で聞こえるような調べには決してならない。プロの詩人はそれを腹の底から認識していて、詩と俗な日常言語との折り合いをつけている創作者です。
そういった詩のプロが小説を書くとどうなるか。十八番ですから詩的な表現を使うことはありますが、優れた詩人ならノンセンス詩とか俗な詩を織り込むことになります。小説は地上の俗事を描く言語芸術だからです。天上に舞い上がろうとする詩よりも、螺旋を描いて地に潜り込むような俗で無意味な詩を挿入した方が効果的なのです。
サリンジャーの『シーモア』シリーズが短編で、数も少ないのは至高の観念は一回描写すればそれで事足りるからです。書き続けようとすれば詩でも小説でも俗が必要になります。小説の場合は俗から聖性を目指し、詩の場合は聖性から俗に降りてくる。カミングスの『伽藍』はバニヤン『天路歴程』をフレームとしていますから、典型的に俗の中に一瞬の聖性が垣間見える小説です。
■ e.e.カミングス著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第五章 大部屋の面々』(第29回)縦書版 ■
■ e.e.カミングス著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第五章 大部屋の面々』(第29回)横書版 ■
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