連載翻訳小説 e.e.カミングズ著/星隆弘訳『伽藍』(第28回)をアップしましたぁ。今回から『第五章 大部屋の面々』です。新しい章の冒頭で、カミングズさんは『伽藍』の書き方について自己言及しています。
そういうわけだから読者にラ・フェルテにおける俺のもうひとつの生と非存在の日記を押し付けるつもりはない――そんな日記が言葉にならないほど読者をうんざりさせるからじゃなくて、日記や順序立てという叙述法が無時間性を真っ当に取り扱えるものではないからだ。俺は(逆に)灰色のおもちゃ箱から(俺にとって)確かで多少なりとも驚嘆すべきおもちゃを手当たり次第に取り出してみようと思う、読者を楽しませるものもそうじゃないものもあるだろうが、その色味や形や質感はこの実在する現実の一部となる――未来も過去もない――その認識者たりえるのは――いわば――世界からの切断手術を甘んじて受け入れた者だけだ。
(e.e.カミングズ著/星隆弘訳『伽藍』)
「俺は(逆に)灰色のおもちゃ箱から(俺にとって)確かで多少なりとも驚嘆すべきおもちゃを手当たり次第に取り出してみようと思う、(中略)その色味や形や質感はこの実在する現実の一部となる――未来も過去もない――その認識者たりえるのは――いわば――世界からの切断手術を甘んじて受け入れた者だけだ」という記述に、『伽藍』のポスト・モダン的書き方の特徴がよく表れています。
現実はゆっくりとしか変わりませんが、自由詩ではいかにも詩らしい〝詩的イメージに溢れた詩〟が飽和に近づいていますし、小説では起承転結があって、カチッと完成度の高い小説が限界に近づいています。人間の創作物としての謎が、魅力が失われ始めているのです。
もちろん詩や小説の飽和・限界といっても高いレベルの話であり、まずは従来的な詩や小説の書き方をマスターしていなければ〝次〟は見えてきません。ただ作家は現状を踏まえながら常に次の時代の文学の姿を模索してゆかなければなりません。徒手空拳で新しい表現を生み出すことはできない。
従来的な方法を技法・思想的に解体し、時代の要請に沿って組み替えほんの僅かな新しさを確信を持って展開してみせるのが前衛のあり方です。ヒントは常に過去作品の中にあります。99パーセントが思想に基づく技術で構成される文学の場合、他者の作品を読まずに新鮮な作品を生み出すのは不可能です。『伽藍』は大きなヒントを与えてくれる作品の一つです。
■ e.e.カミングズ著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第四章 新入り』(第28回)縦書版 ■
■ e.e.カミングズ著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第四章 新入り』(第28回)横書版 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 第7回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第07回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
■ 金魚屋の本 ■