アテクシ綾小路きみまろ様と稲川淳二先生のファンなのよ。ライブにも何度も行ってますわ。きみまろ様のライブは女性がほとんどですけど、稲川先生のライブは男性が多いような。稲川先生がステージに上がると野太い声が飛びますもの。すんごい熱気よ。で、怪談話でしょ。ギャップがたまりませんわ。きみまろ様のライブは考えてみると不思議よね。ふつーに言えば、中高年女性への罵詈雑言なんですけど笑っちゃうのよ。きみまろ様だけの芸よね。
長い年月をかけて築き上げてこられた芸ですが、きみまろ様は女は自己中心的なところがあるってわかってらっしゃいますわね。なんやかんや言ってわたし、わたし、わたしなのよ。だからまず女を絶対的な主人公にして、普通は絶対言えない話にまで広げていくわけ。自分が主人公であれば許せちゃうのが女の不思議なところね。もち自分のことを言われているようでいて、ほかの女のことでもありますから気楽に笑えるの。男ネタは添え物よ。女の人生にとって男は添え物なの。男中心だとあれだけ笑えないわ。
「皆様ようこそナイトクイーン、ご来店有難うございます。私いま世界中で人気の一流芸能人、綾小路きみまろ、でございます。本日のゲスト、ケーシー高峰さんですが、私同様苦労していた時代もありました、昔はケーシーさん、坂本九さんの司会をやっていまして、地方公演の時ホテルに訪ねて来たファンの女の子に、九ちゃんの部屋においでと言って自分の部屋を教え、スケベな事をしようと部屋を暗くして待っていたら、その子が『九ちゃん九ちゃん』と呼ぶ声がするので『ドア開いてるよ』と言うと、女の子が入って来ながら『なんか九ちゃんの声違うみたい』『そんなことないよ、ベッドの方へおいで』と引き寄せて自分のほっぺたを触らせると、触った女の子が『やっぱり九ちゃんだ』って言ったという話で」
客があまり受けていないのでネタを変えなきゃと思いながら、チラッと袖を見るとケーシー高峰が笑っているので、ホッとした。
だがその時客席から「早くケーシー高峰を出せ!」とヤジが飛んだ。
「お待ちどおさまです、さあケーシー高峰さんの登場です」
その一言で思わず舞台を降りてしまった。自分の芸人根性の無さに悲しくなった。次のネタもやれなかった。きみまろがやっと我にかえったのは客席の笑い声であった。
ケーシー高峰の漫談はすでに客やホステスを爆笑の渦に巻き込んでいる。
(ビートたけし『キャバレー』)
ビートたけし先生の『キャバレー』の実質的な主人公は綾小路きみまろ様です。どこまで実話でどこから脚色してあるのかはわかりませんが、舞台は新宿歌舞伎町のキャバレー、ナイトクイーンで、時は田中角栄の日本列島改造の好景気に沸く昭和四十年代、一九七〇年代です。風俗は十年単位くらいで目まぐるしく変わりますが、この時代はまずお笑い芸人がステージに上がって客を温め、その後に歌謡ショーを行うキャバレーが大盛況だったようです。
わたしたちは、特に同時代や近過去の出来事を何の不思議もない自然な流れだと思っていますが、年月が経って振り返ってみるとはっきりその特徴がわかります。一九六〇年代後半のお笑いの世界は、落語家や演芸劇場の芸人が支えていました。落語家では林家三平師匠などが有名ですが、あれはテレビ芸で落語家のやることじゃないと、ずいぶん叩かれていましたね。テレビのお笑いも演芸場の中継が多かったのです。
それが一九七〇年代後半から変わってくる。コント55号やビートたけし先生のツービート、明石家さんま、島田紳助、タモリさんらが登場し、またたく間にスターになっていきました。演芸場系の芸人たちは年齢も高く、年季が入ったお笑いという雰囲気でした。しかし新たに登場したお笑いの人たちは若く、それほど修行を積んだようには見えなかった。
後になって――それまでの長年の徒弟制度とは違いますが――彼らが切羽詰まった空間で濃厚な時間を過ごすことで芸を磨き上げたことがわかるのですが、登場してきた時にはそんな苦労の跡が見えなかった。それが新鮮だったのです。少なくとも見た目には素人に毛の生えたような雰囲気で、笑いも粗雑で露骨でした。そんな彼らをわたしたちは少し嫌悪しながら愛したわけです。
しかし彼らの芸は演芸芸人のような特定のネタではなく臨機応変で、いつまで経ってもすり減らなかった。考えてみれば、彼らが演芸場の雰囲気を引きずらない初めてのお笑いでした。どの世界でも初めて何かを成し遂げた人は偉大ですが、ビートたけし先生を始めとする当時のお笑いがいまだにテレビの世界に君臨しているのは、彼らが初めての人たちだったからだと思います。
彼らの芸を磨いたのが、東京の芸人の場合はキャバレーやストリップ劇場でした。ビートたけし先生の『キャバレー』にはその機微が描かれています。ただきみまろ様はちょっと異色ですね。彼は一九七〇年代から八〇年代の漫才ブームに乗り遅れた。ただ『キャバレー』を読んでいると、ビートたけし先生が七〇年代のキャバレーの、お客さんとの距離が近く、切羽詰まって笑わせなければならないというプレッシャーを背負った典型的な芸人として、きみまろ様を認めておられるのがよくわかります。
綾小路は焦った。時代は漫才の方に向かっている。漫談の時代ではなくなっている。でも今更コンビを組むわけには行かない。どうしたら良いか分からない。いま若い子が注目しているのは漫才だ!(中略)
いや漫才ブームが来れば、自然と漫談の競争相手が少なくなる。皆が漫才師を目指す頃にはブームが終わっている。あと何年かかっても良いネタを作って、時期を待とう。おばさん相手の漫談はいつでも受ける。時々、流行の話を付ければ大丈夫だ。
だが金沢で見た漫才が気になってしょうがない。B&Bはネタが違うので気に掛けないが、ツービートが気になった。
松竹演芸場で見たときは玄人が喜ぶ漫才だったが、今はアイドルみたいな人気者になっている。テレビに出るだけでこんなに人気者になるんだ、テレビの時代だ。ネタだって自分と同じようなものだ。お婆さんやお爺さんをいじめているが自分も良くやるネタだ。漫才とか、漫談とか考えてる場合じゃない、ツービートより先にならなきゃ!
(同)
確かに漫才ブームが来て、牧伸二さんや月亭可朝さんの漫談の時代は終わりましたね。またツービートときみまろ様の笑いには共通点がございます。しかし漫才と漫談という決定的な違いもある。またきみまろ様は、まあはっきり言えば、ビートたけし先生のように器用な方ではないと思います。きみまろ様の芸はワンパターンと言えばワンパターンなのですが、実際にお客さんを前にした時の肉体的臨機応変がございます。一種のハコ芸ですね。きみまろ様が偉大なのは、ご自分の芸の特徴をはっきり把握なさって、ムリにテレビ芸に合わせなかったことにもあります。お笑いの王道は人の意表を衝くことにあると思いますが、最高の形はわかっちゃいるけど笑っちゃうことにあるかもしれません。だから何度もきみまろオンステージを見に行きたくなるんですわ。
どうにか誤魔化さないとやばい、と焦るが腹も立つ。その顔を見て、多田は止めたいが支配人が舞台に出るわけにもいかない。
「関西の方ですね、上着もカンサイでお洒落ですね。今から漫談やります、約束します指切りげんまん・・・・・・あ、スイマセン小指無いですね、約束できなくなっちゃった!(後略)」
多田は必死で袖から手招きし、ジェスチャーを送った。ジャネット北川を紹介してきみまろが降りてくる。
「きみまろ、早く裏口から逃げろ、後で電話しろ!」
派手な上着の背中をぐいぐい裏口に押し出し、支配人の部屋に戻る。
ショウが終わらないうちから、カンサイを来たヤクザが押しかけてきた。
(同)
きみまろ様の漫談が、毒を持った諸刃の刃だということがよくわかります。また裏でヤクザが仕切っていた七〇年代の様子がわかるのも『キャバレー』の魅力です。いい悪いの問題ではなく、日本は今のところ人種の坩堝ではないですから、日本社会の中でドラマを生む要素を探してゆくと、在日、ヤクザに行き着くようなところがあります。純文学の場合はだいたい徹底して男女性差を活用します。ビートたけし先生が監督としてお撮りになる映画で、七〇年代に見聞した『キャバレー』の裏側を、存分に活かしておられるのは言うまでもありません。
佐藤知恵子
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