ときどき今は女性作家の時代ぢゃないかって思うことがござーますわ。アテクシ性別にかかわりなく小説を読みますが、どーも男性作家様のお作品がガツンと響かないのよねぇ。確か『リーガルハイ』ってドラマで堺雅人と生瀬勝久さんが争っているときに、生瀬さんの秘書役の小池栄子さんがマドンナ役の新垣結衣さんに「なんで止めないんですか」と聞かれて、「アテクシ、男が喧嘩してるの見るの、大好きですの、おほほほ」と笑うシーンがございましたわ。男の魅力ってやっぱ暴力的なところにあるわねぇ。
もちろん現実の男の暴力は真っ平御免よ。だけど小説はフィクションで、ある本質を描くための芸術でしょう。暴れる男って魅力的なのよねぇ。西村賢太先生の小説が好きなのはそのせいだと思うわ。西村先生の主人公はときどき大暴れしますけど、そこは私小説です。暴れた後の男の小心さがたまらないのよ。暴力は暴力にすぎませんけど、小説の場合はそこへと一直線に伸びる目的のようなものがありますわ。暴れて足掻いてどっかに突き抜けてやろうといった強い力ね。
その強い力というか情熱は、ロケット開発でもマラソン用のシューズの開発でもいいのよ。だけど一昔前に比べて、突き抜けた後に見える世界が小さいわね。グッと何かを掴んだっていう感触がないの。これは間違いなく、今が将来を見通しにくい時代だってことと関係あるわ。世の中に中心になるような軸が見当たらないのよ。
それに比べると女性作家様の日常的テーマは安定してるわね。バカみたいに夢を追っかける男を止める奥さんや恋人ってドラマや小説では定番ですけど、今はたいてい止める女の方が正しいってことよ。そうとうに鋭い感性と高い知性がなければ、男が男らしい地平に突き抜けられる時代ぢゃなさそうですわ。
私たちの恋が終わろうとしている。入学した一年目の四月以降、キャンパス中に無数に湧き上がったソーダの泡みたいな儚い関係性の一つとして、ぱちんと弾けようとしている。たぶん大人になって、今まで何人と付き合った的な話題になったとき、わたしは鈴白くんの顔をぼんやりと思い出しながら指を折るに違いない。えっとねー、この人とは半年付き合ってー、みたいな。
マジかあ。
肩を落としつつ天国だった図書館を出て、陽炎が揺れる眩しい道をとぼとぼと駅に向かって歩いた。こうなってしまえば、未練たらしく鈴白くんの落とし物についてわざわざ調べていたことも馬鹿馬鹿しい。
私は鈴白くんが大好きだったのに、なんでこうなってしまったのだろう。
(綾瀬まる『マイ、マイマイ』)
綾瀬まる先生の『マイ、マイマイ』の主人公は、大学一年生の友梨愛です。同じ学部の鈴白君と付き合っていますが、露骨にアプローチをかけているハルヒちゃんに彼を取られそうになっています。ハルヒちゃんはガーリーな可愛い女の子で、友梨愛はシャキシャキとしてボーイッシュな感じです。友梨愛には男を籠絡するハルヒちゃんの手管が見えすぎるくらい見える。「ハルヒちゃんは熟練の漁師がマグロを一本釣りするみたいにすぽーんと彼を引っこ抜く」とあります。しかし鈴白君の心はあっさりハルヒちゃんに傾きかかっている。
ただ友梨愛は鈴白君を責めたりしません。彼を横取りしようとしているハルヒちゃんに文句を言ったりもしない。落ち込んで「私は鈴白くんが大好きだったのに、なんでこうなってしまったのだろう」とは思いますが、鈴白君を自分の彼にしておくための行動を起こしたりしないのです。彼女はじっと事の成り行きを眺めています。
石を持って眠ると、決まって知らない男の子の夢を見た。自信がなく、卑屈で、臆病だからこそ攻撃的で、そのくせその攻撃性を表に出すことを恥ずかしいことだと思っている。数学だけがとりえの男の子だ。そしてその子は、自分から最も遠く感じる女の子を犯したがっている。
初めはなんてどうしようもない奴だとうんざりした。その子の弱さと傷つきやすさがうっとうしかった。気持ち悪い妄想ばかり膨らませてないで、さっさと告白してふられろよ、とすら思った。
だけど繰り返しその子の目で世界を見るうちに、なんとなくわかった。この男の子は、自分のことがそれほど好きじゃないのだ。顔も体も、良いのか悪いのかよく分からない。得意なスポーツがないことも不安に思っている。
(同)
友梨愛はコンパの席で、鈴白君が落としていった石を拾います。アンモナイトの形をした白い石です。なぜかすぐに鈴白君に返そうとせず、家に持って帰って眠るとその晩から奇妙な夢を見るようになります。石は鈴白君の過去の内面が凝縮された物だったのです。
高校時代の鈴白君は、数学はできるけど奥手で、自分とは対照的なクラスメートの派手な女の子に強い性欲を抱いていました。そのくせ告白すらできず悶々としていた。嫌悪を感じながらも友梨愛はじっと鈴白君の内面を見つめ続けます。「この男の子は、自分のことがそれほど好きじゃないのだ」という言葉はもちろん友梨愛自身のものです。誰もがそれを脱ぎ捨てて大人になろうとしている。友梨愛は鈴白君の内面に導かれるようにして自分の過去を見つめます。そして一つの殻を脱ぎ捨てる。その殻にはもちろん鈴白君も含まれます。
続いて「新しいブラ買ったんだよ!見て見て!」とはしゃいだ感じのメッセージを送ると、すぐに「おー、かわいいね!」と返ってきた。私とのデートや食事がめんどうになっても、セックスにはまだ気があるみたいだ。三往復に満たないやりとりで、あっというまに鈴白くんのワンルームに泊まりに行く日取りが決まった。(中略)
終わった後、眠たいや、とパンツ一丁で満足げにいびきをかき始めた鈴白くんを横目に、私はお湯を沸かしてインスタントのコーヒーをいれた。熱々のそれを少しずつすすりながら、夜が深まるのを待つ。
きっともう二度と来ない、好きだった人の部屋というのは不思議だった。いつもより少し広く感じる。とても静かな夜だ。セックスの始まりにつけたエアコンが真面目に風を吐き出している。ベランダのガラス戸を覆うカーテンは青いダイヤモンド柄で、前からこんな派手な柄だったっけ? 思い出せない。ふおんふおん、と大通りを走る救急車の音が近づき、遠ざかってゆく。
(同)
いいですねぇ。女は男の底の底まで見切ったら、その男は卒業なのよ。あらゆる方向から男を眺めて観察し、その男の核のようなものに触れたら卒業ってことね。
ただ一人の男を本当に好きだったという気持ちはいつまでも残るわ。殿方は「まだ俺のこと好きってこと?」とうぬぼれたりしますけど、そーぢゃないわ。ある男を本当に好きだった、愛していたという感覚だけが残るの。それは自己愛であり他者愛よ。当然ですが卒業したらその男自体の存在は問題外の外になります。
綾瀬まる先生の『マイ、マイマイ』は、鈴白君と友梨愛の内面が凝縮された『わたしのカタツムリ』を意味すると同時に、『My, my my』(わたし、わたしの、わたしだけの)といった意味でしょうね。
友梨愛は鈴白君について、「みるからに朴訥で優しい、将来は公務員だろうなあという感じののほほんとした空気を全身から醸し出していて、そこが好きだ」と独白しています。友梨愛の父親が若い頃転職ばかりして仕事が安定せず、最近になってベーグル屋を始めてやっと家族の生活が安定したことから、彼女は鈴白君のような男の子に惹かれたのでしょうね。ただ彼を卒業することで友梨愛は変わるはずです。男は添え物になるかもしれませんが、彼女自身はもっとチャレンジングな人生を歩み始める予感があります。
ただこんなに魅力的で強い女の子に、安全パイとして選ばれる将来の公務員候補の男の子ってどーよ。女は男の子を卒業することで一歩一歩階段を上がってゆくのに、男の子はやっぱ公務員を目指すのかしらね。
面白くないわねぇ。全身からトゲトゲを出して、不遜なほどの、でもまったく裏付けのない自信に満ちて、苦労するにせよ結局は自分の夢を実現するような男ぢゃないと、ホントに魅力的な女をゲットできませんことよ。
佐藤知恵子
■ 金魚屋の本 ■