青山YURI子さんの連載小説『コラージュの国』(第17回)をアップしましたぁ。『(モンゴル)×(ベネズエラ)×(韓国)=?』のコラージュの国への旅の続きです。僕とアンヘラはちょいとヤバそうな場所に迷いこんでしまったようです。今度は螺旋階段を下っていますから、下方向から上方向に抜けるための旅ですね。
青山さんはバルセロナから日本に拠点を移して活動しておられるようです。石川くらいの年になると、だんだん若い頃はもちろん、子供の頃のことも忘れがちになりますが、人間の人生、年齢によっていろんなことが起こります。過去を遡ってそれらを忘れないようにすることも、小説を書く際には必要ですね。
青山さんくらいの年齢だと、仕事に慣れなきゃいけない、恋もしなきゃ、ファッションも気になる、小説も書かなきゃといろんなことが一気に襲いかかります。ま、誰だって20代から30代は多かれ少なかれそうですね。ただま、年齢を重ねるにつれ、本当に必要なものだけが残ってゆくのも確かなことです。
キャリアを重ねた作家は退屈な生活を送っています。以前夢枕獏さんにインタビューした時に『親が死んでも女が逃げても原稿を書く。連載は一度も落としたことがない』と言っておられました。遊んでいても苦しんでいても、原稿を書くことが最優先されるのが作家の生活です。生活は必然的に単調になる。原稿を書くにはじっと座って頭をフル回転させ、手を動かし、書いて修正して推敲し続ける必要があるからです。
若い作家は書けないことに苦しみます。なぜ書けないかというと、頭の中にある、壮大(と思われるような)テーマを文字で表現しようとして、うまく表現できない、満足した表現にならないと感じられるからです。じゃあどうすれば書けない苦しみから脱出して、スラスラ書けるようになるんでしょうか。
結論を先に言うと、決定打になるような解決策はありません。結局のところ、すべての作家は自分の壮大なテーマと現実の文字表現に、どこかで〝折り合いを付ける〟ことで継続的に書けるようになります。この折り合いのポイントを得るためには、ムダの連続のような試行錯誤を毎日続けるしかないのです。
低いレベルで折り合いを付けると比較的若い頃からスラスラ書けるようになりますが、作家としては頭打ちになることが多いです。高いレベルで折り合いを付けようとすると苦しみが多くなります。あまりに苦しいと結局書くことを止めてしまうこともしばしばです。
作家も読者ですから、他者の、しかもエスタブリッシュした作家の本を読んで『たいしたことないねぇ、なんでこんな作品が評価されるんだろ』と思うこともしばしばあると思います。そういう批評的意識は良い作品を書くために絶対に必要です。ただある作家が、どこで折り合いを付けて作品を書いているのか、そのポイントを探るのも読書のうちです。
作品はパッケージ、つまり完結した小宇宙になっていなければ商品、つまり社会的な通有性を獲得できません。まず完結したパッケージにしなければならないわけですが、すぐにそのレベルが問われます。作品には必ず正念場があるわけで、特に小説はその正念場に向かって物語が進んでゆきます。そのポイントを見極め、ああここで突破したな、ああここで諦めた、筆を緩めてまとめたな、と読み解くような読書は作家のタメになります。
キレイなパッケージにまとめるのも作家の力量なら、破綻ギリギリで、圧をかけて突破しようとした作品であっても魅力を放つのが文学の世界です。両方とも継続するのはそんなに簡単ではありません。ただ純文学と呼ばれる文学ジャンルは後者でなければ面白くないですね。
■ 青山YURI子 連載小説『コラージュの国』(第17回)縦書版 ■
■ 青山YURI子 連載小説『コラージュの国』(第17回)横書版 ■
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