〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
どれだけ歩いただろうか。
坂を下りきった時、すでに午後5時だった。公園で昼食を取ったものの、そろそろお腹が空いてきた。アンヘラの胃がクゥクゥと鳴る。続いて、ミャオーと泣く。僕の胃の鸚鵡も、虹色の羽をバタバタさせて、乾いた内壁を引っ掻きながら、彼女の腹の音をより大きなボリュームで、苦い声で、真似て繰り返す。羽先で胃の粘膜に渦巻きを描かれているようにも感じる。
しかしその坂を完全に降り、ようやく平らな踊り場に出ると、なんとも薄気味悪い、湿気のこもった空気が僕らを待ち受けていた。もう太陽はほとんど落ちていたが、それ以上に植物が日を遮り、屋根を作っている。植物が張り巡らされている踊り場に出た時、僕は自分が間違っていたと知った。この道を選んだことは完全な誤りであった、と。
ぶどうの房が、なんとも得体の知れない生き物の巣に思われ、不気味だった。蜂ではないけれど、何か人に害を与えるものを体に携えた、しかもその体はグミのように柔らかい何かだろう。ピュッと紫色の毒を吐くかしら。彼らはぶどうと同じ色をして、もしかしたら、その一粒一粒の房から何の予告もせずに身を伸ばし、身を引きちぎらせて、飛び降りてくるのかも。昼食を食べ、以前からの希望通り牧歌的なひとときを過ごした後、なぜこのようにその日を貶める展開が待ち受けているのだろう。そして彼女をこんな場所へと連れてきてしまったことに大きな後悔を感じた。何が間違っていたか、僕たちは来てはならなかった場所へと来てしまった。ここは行き止まりになっている。外はもう暗く、引き返すには、今まで2時間以上かけて下ってきた坂を登らなければならない。この時間に再び登っていくのは狂気の沙汰だった。後ろを見ると、道中でミレーナだと思っていた若い女の姿はなかった。僕たちだけが残されていて、目の前には、断崖絶壁がある。1メートルほどのコンクリートの転落防止柵があり、ギリギリまで葡萄の蔦が降りている。栽培されている葡萄は、格子と共に側面にも張っているから、そのテラスは完全に外から遮断された居室のようにも思われる。街の明かりで灰褐色であるはずの空が頭上には見えない。どこか、閉じ込められているような気配が徐々に僕らを取り囲む。数十人に包囲されているような、そんな気分になっている。その場全体は卓球台を3つ、横に並べたくらいのスペースだが、訪問者のための感じの良い柵や、鉢植えや、トレッキングロードの延長を示す案内ボードなどもなく、静かに玉座についたような闇の下、僕らは誰かの敷地内で完全に取り残されていた。
出口、周囲にどこかエスカレーターや階段がないか、降りる手段がないか、続いている道がないかと探る。慎重に足を運び、周りを慎重に探っていると、左端にドラム缶のような筒があるのを見つけた。少しずれていた蓋をさらに外すと、中には空洞があり、螺旋階段が下のほうへ続いているのが分かった。
階段が、滝壺のように奥深く続いていくようすが分かったが、この行き止まりになっている塗り固められた壁もコンクリート、そして滝壺の中のカーブした壁もコンクリートだった。触ると中国の書道半紙のようにつるつるとしていた。
僕たちは誰かの邸宅の内に滑り込んでしまったらしい。テラスのぶどう蔦の天井も、きっと、ここは屋上かバルコニーの庭で、住人が育てているものではないか? それゆえに先ほどから僕たちはどこか落ち着かない気分になっているのではないか。
しかし、なぜ、ハイキングコースと書いてあったのだろう。脇に逸れる道があったか思い返してみたが、思い当たることはなく、アンヘラも同意見だった。
井戸のように、この踊り場の片隅にその存在を佇ませている階段を、これが唯一自分たちの行く道だと思う。周りの木々は宵に染まり紫色になっている。バルコニーから先には、町の明かりが、線香花火ー日本人のスギウラが日本から持ってきて去年の年越しに試した、の火の玉のようにポツポツと、小さく燃えている、ように見える。空全体は曇っていて、薄紫にトーンはまとまっている。僕はスギウラのことを考えながら、何かあったら東洋の神秘で助けてくれ、と祈って、アンヘラの手を取って、とりあえず階段を降りようとした。人がいれば、事情を話して下の町へ渡らせてもらえないだろうか? 僕たちは牧歌的な気分のまま、よく確認せずに坂を下ってきてしまったことに後悔している。しかし僕たちはここで野宿をするわけにもいかず、再び坂を登ったとしても今夜中にホテルに辿りつくことは難しいだろう。
貝の中へ入っていくように螺旋状の階段を奥へ奥へと降りて行くと、人気のない文化会館の多目的室のようなところに着いた。よなよな若いバンドメンバーが貸し切って練習しているスタジオめいている。
「ハロー」「おはようございます」「Is anyone here?」
ギィーーーーーーック。
「ひゃっ」アンヘラが小さな叫び声をあげて飛び退いた。彼女の叫び声の幕が上がるとそこには2、3人の男が居る。ここへ来たことを後悔する。彼らはそれぞれ「フアン」「ダニエル」と闇の下で名乗った。
「アンヘラよ」アンヘラが言って、僕も「アルツール」とアンヘラの声につられて唇の端が上へと引っ張られ、ぎこちない笑いを浮かべて(闇の下で見えないが)名を名乗った。
彼らは、「パサ、パサ」と言う。どういう意味だか分からないが彼らの手の動きで意図を察してさらに奥へと進んでいく。進んだ先には、さきほどの小さなジムの一室めいた部屋から、内装を同じままに、5倍拡張されたような巨大な集会所が現れた。ジムの一室が一瞬にして5倍になって隣に移り変わった、そんな錯覚を覚えた。どこかしら柑橘系の匂いがする。
(第17回 了)
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