小原眞紀子さんの連作詩篇『Currency』『男』(第02回)をアップしましたぁ。『ここから月まで』に続く小原さんの連作詩篇です。今回は小原さんの連載エッセイ『詩人のための投資術』にも共通するような内容ですね。
石川は古い編集者ですから、まだ戦後文学の息吹が残る頃から文壇・詩壇を知っています。その時代に比べると、文学者のレベルははっきり下がっています。特に詩の世界はヒドイ。極論を言うと文学者は社会の落ちこぼれです。浮世離れしているということは、実業の世界から見れば落ちこぼれたということです。ただその中で本当に底辺まで落ちこぼれた人だけが、ある種の社会性を獲得して作家という仕事を続けることができる。芭蕉は『無能無芸にしてこの道に通ず』と言いましたが、徹底して無能無芸の認識を深めなければ作家にはなれません。
実業の世界で通用しない人間が、文学を含めた芸術の世界に参入してくるのは昔からいっしょです。ただ芸術の世界だから自分勝手が通用すると思うのは甘い。会社やアルバイト先で通用しない論理は芸術の世界でも通用しない。誰もがまず芸術は自由奔放に生きられる世界だと思って参入してくるわけですが、そこで改めて社会性を獲得することができなければ作家として立つことはできないのです。誰もが自分が好きな仕事で社会性を獲得するのです。
小説では実業家から作家に転身した人が多くいます。浮世離れした落伍者でなければ文学者になれないというのは幻想です。むしろ落伍者が社会性を得るのが文学の世界です。大人になるのが遅い世の中ですから若い作家に多くは期待しませんが、誰もがいずれかの時点で大人にならなければならないのです。
詩はわけのわからないことを書いてもいい芸術だと思われています。しかしそれも間違いです。言葉は必ず意味として読み解かれる。わけのわからない事柄は、結局わけのわからない言葉の連なりでしかないのです。確かに一昔前の現代詩は通常の意味文脈では読み解けませんでした。だけどそれは、詩人が非常に強い意志と高い知力で、通常の意味文脈をほぼ完全に排除した言語構造体を作り上げたから起こったのです。つまりどこにでもあるような中途半端なわけのわからない詩は、中途半端なわけのわからない詩としてしか読めない。甘くてぬるい詩的アトモスフィア(雰囲気)などムダということです。
今回の小原さんの詩は経済(実業)がテーマです。エズラ・パウンドの『詩編(キャントーズ)』にも先例があるようなテーマ設定です。多くの詩人は詩を曖昧に読み解きます。ただパウンドは本気で利子を憎んでいた。アメリカ資本主義を本気で憎悪し、本気でムッソリーニのイタリアファシスト政権が新しい世界フレームを作る希望だと考えていた。つまり『詩編(キャントーズ)』を詩的アトモスフィアとして読むのは無意味ということです。まず現実の文脈できちんと意味を捉えなければなりません。
俺だってもっと
もっともっと
貯えがあったはずなんだ
空に飛ばすって
なんなんだ
資金をか
帰って来るのか
オスは行方不明になるって
メスの跡追っかけて
いつだってそうだな
六千万も
かけたやつがいなくなったら
そいつがたまんねえ
水平線の向こうに
何か走ってく
なんだっていいよな
俺も飛んでく
(小原眞紀連作詩篇『Currency』『男』)
じゃあ現実に立脚したリアルな意味的文脈で読み解ける詩は、どこで詩へと飛躍するのか、どこで散文的な意味文脈から解き放たれるのか。『俺も飛んでく』という形で天上に舞い上がるのです。
■ 小原眞紀子 連作詩篇『Currency』『男』(第02回)縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇『Currency』『男』(第02回)横書版 ■
■ 第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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■ 小原眞紀子さんの本 ■
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