連載翻訳小説 e.e.カミングズ著/星隆弘訳『伽藍』(第18回)をアップしましたぁ。『第四章 新入り』です。今回はヴィクトリアンの囚人が出てきますね。ほんの100年ほど前まで、今ではパロディにしかならないようなイギリスジェントルマンがたくさんいたというのは、ちょっと感慨深いものがあります。第一次世界大戦頃から19世紀的な言葉づかいは変わってゆき、今ではアメリカイギリスを問わず、口語では1秒に一回はfuckin’が入ったりします。この前アメリカドラマを見ていたら、I’m fuckin’ sorry.と言って本気で謝っておりました。日本語のチョーと同じような感覚になっているようです。
アメリカとロシアは今でも超大国ですが、文化的には似たようなところがあります。スラブ民族の歴史は長いですが、ロシア文学が始まったのは19世紀のプーシキンからです。その前の文学史を辿ろうとしても、ほとんど見るべきものがない。プーシキンからチエホフあたりで基本的にロシア文学の黄金期は終わった。考えてみれば不思議なことです。
アメリカは歴史が浅い国ですが、アメリカ独自の文学が生まれたのも19世紀からです。ただアメリカは超資本主義国ですから、世界中の国々が直面することになる資本主義的文化を先取りした面がある。アメリカ文学の祖はホイットマンらの世代ですが、現代に食い込む文学を生み出したのは1910年代のロスト・ジェネレーションの作家たちです。
このアメリカ黄金期の作家たち(モダニストとも呼ばれます)に押されたかのように、次の世代はスーサイド・エイジとも呼ばれた。自殺者が多かったんですね。そして60年代にアメリカ文学はサブカルと合体してビートジェネレーションを生みました。ヒッピー世代とも呼ばれますが、ビート作家たちがアメリカ文学の祖として尊敬したのは、彼らの直前のスーサイド・エイジではなく、ロスト・ジェネレーションの作家たちでした。
今から振り返っても、1910年代のロスト・ジェネレーションの作家たちが、アメリカ文学がその後辿ることになる道筋をほぼ完全に示しています。また全世界が資本化してアメリカ文学の先見性はじょじょに失われていったわけですが、ポール・オースターに代表されるポスト・モダンの作家たちは、フランスポスト・モダニズムとはまた違う、現実消費社会に立脚した文学の姿を示しています。
ポール・オースターはなんでもアリの作家です。詩も小説も書くし、映画の脚本も手がけたりする。詩では食えないからでは必ずしもないですね。それが現代性でもあるからです。ポスト・モダンは本質的に世界を一枚の布のように捉える。文学ジャンルがなくなるわけではないですが、詩で書くべきこと小説で表現すべきことを分けて自在に表現できる作家が、新たな作家像としてもうずいぶん前にアメリカでは現れています。
■ e.e.カミングズ著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第四章 新入り』(第18回)縦書版 ■
■ e.e.カミングズ著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第四章 新入り』(第18回)横書版 ■
■ 第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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