オール様には対談などでしょっちゅう芸能人が登場しますが、ここしばらく芸能人の小説の掲載が増えましたわね。中江有里、岸惠子、ジ・アルフィーの高見澤俊彦、そして今号は阿川佐和子先生が登場なさっています。日本に限りませんが芸能人と政治家の相性はよござんす。有名人で顔が知られてるから選挙で有利なのはもちろん、人付き合いが上手な方が多いですからね。芸能人でも役者さんにはシナリオないと途方に暮れちゃうって方もいらっしゃいますけど、舞台を作ったり作品に対して批評的な目を持ってらっしゃる方もおられるわ。文章技術さえ会得すれば小説を書ける方がいらっしゃるのは不思議じゃないわね。
ただまー芸能人のみなさんはパブリック・イメージに拘束されちゃうところもありますわ。不祥事を起こすと一瞬でスターの座から追放されてしまうのは、芸能人は基本的に、人畜無害なイメージを保たなければならないからです。美人なのにすんごく性格が悪かったり、美男子だけど超ケチだったりするのがバレるとやっぱりマズイのよ。人格に明らかな偏りがあるとわかっちゃうと、コマーシャルなんかで使いにくくなるの。中立公正な宣伝パーソンっていうイメージじゃなくなっちゃうのね。性格俳優の方でも、悪役がリアルに悪者の顔を持ってたら困るわね。ホントはいい人でなきゃならないのよ。
これを引き延ばしてゆくと、社会の表舞台で衆人環視の元に活動する人たちは、基本的に裏表があってはいけないといふことになりますわね。政治家とか大企業の社長さんなんかも芸能人と似たようなところがあります。少なくとも作家様より縛りがきついわね。作家様だってスキャンダルと無縁なわけじゃありませんが、殺人や不倫や横領なんかを書くのがお仕事ですから、世間の目がちょいと甘くなるところがございます。人間の暗い心理に精通してるのが前提よね。インテリさんが多いので元々の信頼度が高いのかもしれませんが、無頼がある程度許される商売ですわ。
だけど美人女優さんがSMとかについて詳しく書いちゃったりすると、話題にはなるでしょうけど失うものも多いわね。どっちが本業かっていえば、そりゃ最初にデビューした芸能人が本業でしょうから、芸能人としてのパブリック・イメージを損ねない形で小説を書かなきゃならないわね。となるとお笑い芸人とか色モノ系のタレントさんの方がちょっと有利ねぇ。「あーそうね」で見逃してもらえる灰色の部分がおおござーますわ。清楚な優等生のパブリック・イメージであればあるほど冒険はしにくくなるわけですが、そこは芸能人、うまくかいくぐってゆくのが腕の見せ所ね。
病院の玄関を出ようとしたとき、背中から渡部さん? と遠慮がちな高い声で呼び止められた。反射的に振り返った私は、声をかけてきた、おそらく私と同じく四十代とおぼしき女性に向かってつい、「あ!」と笑顔で応えてしまったが、実は誰かわかっていなかった。白い上っ張りを着ているところを見ると、病院の職員であることは間違いない。いつも伯父がやっかいになっている看護師さんの一人だろうか。伯父になにか問題でも起きたのか。首からぶら下げている名札で確認しようと思ったが、裏を向いていて文字がよく見えない。
(阿川佐和子「ブータンの歌」)
阿川佐和子先生の「ブータンの歌」は基本、女-女関係を描いた小説でございます。この小説に限っては比較的無難なテーマね。主人公の四十代独身の渡部には妻を亡くし、子供もいない伯父がいます。大腿骨を骨折して歩行困難になったので親族が相談して老人病院に入れることにしたのでした。渡部はしばしば伯父の見舞いに病院を訪れますが、ある日親しげに声をかけてきた女性がいます。言うまでもなくブータンと呼ばれる(自称する)女性です。病院のリハビリ室でトレーナーとして働いています。
誰かわからない渡部に女性は次々にヒントを出します。時々いるメンドクサイ人ですね。たいていの場合、クイズに答えてまで出して知りたいような人ぢゃない。これもお定まりのコースですが女性は自分から正解を明かします。彼女は中学時代の同級生でした。ブータンの由来については「本名は丹野朋子。ブタみたいに太っている丹野。ブタ丹野、ブー丹野、ブータンなんだって。男子が命名の由来を説明してくれた」「でもね、私、この綽名つけられたとき、正直言って、ちょっと嬉しかったんだ」「だって、綽名をつけられるってことは、存在を認められるってことでしょう? 無私されるよりずっといいもん」と話します。
ウルトラ明るい女性ですが、ブータンが語る綽名の由来はイジメと紙一重です。ただ彼女は人生のどこかの時点で悲しみと苦しさが混じった被虐意識をポジティブなものに変えた。彼女は「ブータンってね、世界一幸せ度が高い国なんです」とも言います。ブータンと呼ばれた自分は幸せな人生を歩むんだということです。一方で彼女の中で中学時代が人生の大きな重石になっていることがわかります。
「そもそもブータンがはっきりした態度とらないからいけなかったのよ。だってお財布見つけて職員室に届けたの、ブータンなんだから、正々堂々としてればよかったのに」(中略)
「覚えてる覚えてる。だってあのときのワタベ、カッコ良かったじゃない」(中略)
「え? 私が?」
「そうよ。あのとき男子が囃し立てたじゃない(中略)盗人ブータンとかいう歌つくって歌ったりして。そしたらワタベがツカツカってその男子のかたまりに近づいていって、『やめなさいよ、証拠もないのに人を疑うの、下品!』って一喝したの。そしたら男子たち、シーンとなっちゃって」
(同)
中学時代からの親友が集まった女子会で、渡部はそれとなくブータンの話をします。渡部は忘れていましたが、教頭先生が落とした財布が中身を抜かれてブータンの下駄箱に入っていたという事件がありました。ブータンはそれを職員室に届けただけなのに、同級生たちからお金を盗んだのではないかと疑われます。それを渡部が止めたのでした。主人公とブータンは出会うべくして再会しているわけですね。
渡部は伯父の見舞いに定期的に病院に通い、ブータンと親しくなっていきます。カラオケまでいっしょに行くようになる。二人きりのカラオケボックスでブータンは「私、ワタベに話しておきたいことがあったの。中学のときにね・・・・・・」と口を開きます。しかしカラオケ屋のスタッフから延長を確認する電話がかかってきたことで、ブータンの話は尻切れトンボで終わります。渡部も「直感的にこういう場面は避けたほうがいいような気がした」とあります。阿川先生はお作品を単純なヒューマニズムに落とすことを嫌ったわけですが、それはこの小説にもう一つのテーマがあるからでもあります。
「万里ちゃん、悪いけど見てきてあげて。アイツ、きっと迷うよ。見つけられたとしても、流し方がわからんだろう。最近ちょっと、お宅のお母さん、心配だから」
「あ、はい」
伯父は気づいているのだろうか。母の頭が壊れ始めていることを。私は慌てて母のあとを追う。
伯父の言うとおりだった。母は流し方がわからず、出てくるまでだいぶ時間がかかった。(中略)私は外で忍耐し、そしてようやくジャーッと水の流れる音がしたときはホッとした。
(同)
中年になって少女時代の心の傷であり、人生の転換点がじょじょに重みを増してくるブータンと、老いて少しずつ記憶を失い始めている主人公の母の姿が交差します。「ブータンの歌」は阿川先生らしい上品な小説ですが、大衆小説では必須の山場を一つではなく二つ設けた小説です。ブータンは家の事情で病院をやめて姿を消しますが、伯父に渡部宛の手紙を託していました。手紙を渡す時に伯父は「万里ちゃんのことを、すっごく大切に思ってくれていたともだちだよ。そんなんだろ?」と言い、渡部は「すっごくね。そうなんです」と答えます。記憶はいつか消えてしまうから大切にしなければならないのだと言えます。また小説の最後でブータンが姿を消してしまったことは、阿川先生の本質的なテーマ(興味)が母にあるからなのかもしれませんわね。
佐藤知恵子
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