みなさんどんな場所に住みたいとお思いになりますぅ?。持ち家じゃなくお家賃払ってる場合は懐具合によりますわよね。だけどそれは無視して住んでみたい町ってこと。学生から三十代前半くらいまでは、できれば繁華街に近いところがいいって言う人が多いですわ。なんやかんや言って、まだ外に遊びに行くことが多いお年頃だから当然よね。でも三十代後半にもなりますと、友達もじょじょに結婚したりして郊外に住むようになったりするわけね。そうなると会う機会も減るし、盛り場に行くことも少なくなってくるのよ。内面はともかく、生活様式としてはどんどん大人になってくってことでもあるわね。
アテクシ出張がおおござーますけど首都圏住みなの。お給料から言えば都心のおしゃれなマンションに住むこともできますわ。でもなんだかなーなのよ。あんまりって言うより、ほぼ絶対に都心には住みたくないわぁ。かといって風光明媚で観光地化してる郊外から、新幹線なんか使って通勤するのもイヤね。田舎と都会の中間にあって、なんの特徴もないような場所が好きなの。都会といっても、ちょっと離れれば地方都市とあんまり変わらない田舎の風景よ。でもそこから一時間くらいかければ、渋谷や新宿なんかの大繁華街に行けるのが醍醐味よね。アテクシ、都会の田舎に住んで都心に通勤するのが好きなの。変かしらね。だけどそれが、読書と同じアテクシの快楽原理なんだからしかたありませんわ。
アテクシは多分、アノニムな場所に住むのが好きなのね。それはアテクシのお仕事とも関係しているかもしれませんわ。アテクシのお仕事は実経済関係で、昔から殺伐とした業界ですけど、最近の変化はホントにものすごいの。もう三十年近く仕事してますけど、ここ十年ほどの変化はマジすさまじいわ。アテクシ、確信をもって文学業界の人たちは呑気って言えるわよ。ただその呑気さがアテクシには必要なの。また文学業界でも大衆文学の作家様たちは、すごーく忙しく働いておられますわね。それも好きなの。忙しければ余計なことは考えなくなりますわ。淡々と暮らして、仕事での事件を一つずつこなしてゆくようになるのよ。アテクシ純文学も読みますけど、純文学作家や詩人さんたちの愚にも付かない文学的駄弁は嫌いよ。毎日波瀾万丈の仕事をこなしていれば、生活は自ずから静かになるはずよね。
わたしは葉村晶という。国籍・日本、性別・女。吉祥寺の住宅街に店舗をかまえるミステリ専門書店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉のアルバイト店員にして、この本屋が副業で始めた〈白熊探偵社〉に所属する唯一の調査員である。
(若竹七海「水沫隠れの日々」)
今は情報化時代ですから、地方にお住まいの方でも東京吉祥寺の情報はある程度知っておられるかもしれませんわね。首都圏の人に「住んでみたい町」のアンケートをとると、必ず上位に入りますわ。東京武蔵野市のセンター的な町ですが、ほどよく田舎なのよ。広い井の頭公園があり、その近くにはジブリ美術館もあります。駅周辺は商業施設が多いですから駅チカに住むのは難しいですが、駅まで二十分くらい歩いても苦にならない町よね。アテクシにはまだガチャガチャし過ぎていますが、東京でも好感の持てる町の一つね。
「水沫隠れの日々」は葉村晶シリーズの一つです。若竹七海先生はサービス精神旺盛でテクニシャンの作家様ですから、設定からしてしっかりしていますわ。吉祥寺の住宅街にあるミステリ専門書店ということは、オーナーが道楽で始めたお店ってことよね。で、ミステリ専門書店のついでというか、洒落みたいな感覚で白熊探偵社を始めた。アルバイト店員に探偵をやらせているわけですから、本腰入ってないことがすぐわかりますわ。これが東京新宿とか横浜本牧に探偵事務所をかまえていたら、自ずから物語の質が変わってきます。主人公の葉村晶も四十代半ば過ぎ。ピチピチのギャルじゃないから基本色恋はナシって設定ね。白熊探偵社の立地と同様に、田舎と都会の中間にあるような事件が起こるのよ。
晶の元に久しぶりの探偵仕事が舞い込みます。クライアントはガンで余命宣告を受けたサツキという六十代の女性で、本の処分といっしょに探偵仕事を依頼したいと言います。余命わずかといってもサバサバした女性で晶を「探偵ちゃん」と呼び、探偵が知っておかなければならない依頼の背景も簡潔に話してくれます。
サツキには学生時代からの親友・二佐子がいました。学生時代から就職後もいっしょに暮らした仲ですが、あるとき大喧嘩して二佐子は出て行ってしまった。その後サツキも結婚し離婚したのですが、あるとき二佐子が亡くなっていて、身寄りのない一人娘の遙香が施設に預けられていることを知ります。サツキは遙香を引き取って大学を出してやり、自分の会社で働かせます。ところがこの遙香、ちょっとグレちゃったんですね。
遙香は学生時代に薬物所持と使用で逮捕されます。初犯だから執行猶予で済んだのですが、社会人になった遙香は家具輸入会社の社長・武井の愛人となり、別れ話がこじれてベッドの天蓋に火をつけて武井を焼死させてしまいます。遙香が懲役八年の刑を受けたのを機にサツキは縁を切りますが、余命わずかとなり遙香との再会を望みます。サツキは晶に「あの子を私のところに送り届けて。絶対に、間違いなく、私の元へ、連れてきてほしいの」と依頼します。
晶は出所の日に車で刑務所に迎えに行くのですが、遙香はぜんぜん美人じゃない。「眉がないせいか貧相で、げっ歯類を思わせる容貌だ」とあります。このあたりがvery七海センセでよござんす。美人なら十中八九、物語は凡庸になるわね。でもおブスな遙香ちゃんだから一癖も二癖もある人間に造形できる。晶たちがパーキングエリアで休んでいると遙香が男たちに拉致されそうになります。どうやら刑務所から晶たちの車をつけてきたようなのです。晶は尋常じゃない事件が起こった理由を問い詰めますが、遙香はなかなか口を割らない。でも放火で武井を過失死させたのは別れ話のもつれからではなく、武井が密輸入した〝お宝〟を巡ってのことだったらしいとアタリをつけます。
これまで着ていたものを包んでもらい、新しい服装で店を出た。店の前にハンバーガーショップがあった。遙香は匂いを嗅いで立ち止まり、小狡そうな顔で、ナカでチーズバーガーとポテトの夢を見たんだよね、と言った。ランチはこれにするしかなさそうだ。
一時を過ぎて、レジにはまだ行列があった。遙香は席を取ってくる、と奥へ進んで行った。(中略)奥の出入り口から遙香が抜け出して、エスカレーターに向かうところがはっきりと映った。
あとを追った。
しきりと周囲を気にしているわりに、遙香はスキだらけだった。(中略)ようやくのことで武蔵野線の改札にたどり着いた。その間にわたしはジャケットを脱ぎ、帽子をかぶりコットンのスカーフを巻いて、バッグに雨よけの色つきのビニールカバーをかけた。全体の色目が変わると、案外、人は気づかないものなのだ。
(同)
車は危険と判断し、晶はレンタカーを最寄りのチェーン店に乗り捨てて電車で吉祥寺に向かうことにします。ついでに駅ビルに寄り遙香に服を買ってやり、昼ご飯を食べることにします。晶がそれなりに混雑したハンバーガーショップの列に並んでいると、案の定、遙香が逃げ出すのが見えます。晶は探偵の本領を発揮して遙香を追います。捕まえたりしません。遙香にお宝のありかまで案内させるわけです。またそれは、パーキングエリアで遙香を拉致しようとした男たちが何者なのかを明らかにするためでもあります。
で、遙香が隠そうとしたお宝は見つかったのか。見つかります。謎の男たちの正体は明らかになったのか。明らかになります。でもそれはこのお作品の一つ目のヤマに過ぎません。探偵小説の体裁をとっていますけど、謎解きがこの作品の主題ではないのよ。このあたりが七海センセの優れているところね。大衆小説の枠組みをきっちり守りながら、それを少しだけ超えているの。
遙香は一九八一年二月生まれだ。サツキと田上二佐子が喧嘩別れをしたのは一九八〇年八月、となると、喧嘩の原因は二佐子が遙香を妊娠したことだと考えられる。サツキがうっとりと思い出す、幸せな「ルームメイト」との暮らしをぶち壊したのは、そもそも遙香だったのだ。
遙香は若いうちから薬物に手を出し、武井総二郎のような男と関係を持った。そんな破壊的な行動をとっていたのは、遙香がもともと「悪くて手がつけられない」子だったという理由だけなのか。それとも、サツキが二佐子を奪われた恨みを、小さい頃から遙香にぶつけていたとすれば・・・・・・。
わたしは首を振った。
(同)
晶は依頼通り遙香をサツキのマンションに送り届けます。ただ「サツキの部屋に向かうときには、まるで死刑台に向かうときのように、小刻みに震えていた」遙香の姿が気になります。晶はその理由を考えるともなく考える。でも仮に晶の考えが正しいとして、そこに口を挟むのは探偵仕事の範囲を超えています。いや、考え過ぎだわよ、と晶は首を振るのです。
この箇所が「水沫隠れの日々」というお作品の二つ目のヤマ場で作品のテーマでもありますわね。女の怖い物語なのよ。地味な場所で起こる地味な人々のお話だから、怖さが引き立つと言えるわね。また「水沫隠れの日々」というタイトルが、テーマにピタリと合ったものであることもわかります。水面に浮かぶ泡は大した問題じゃないの。本当の問題は水底に沈んでいます。「水沫隠れの日々」は短編ですが、このテーマを長編に展開してゆくと七海センセの小説はうんと怖くなりますわ。その気になれば純文学の形でもテーマを表現できる作家様ね。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■