岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.090 創刊65周年記念特集「戦後俳壇100年に向けて」(角川俳句 2017年10月号)』をアップしましたぁ。座談会「俳句のいまとこれから」を取り上げておられます。宮坂静生、大串章、西村和子、津島康子、野口る理さんの討議です。現代俳句協会は昭和22年(1947年)に石田波郷、西東三鬼らによって設立されましたが、昭和36年(61年)に中村草田男らが中心になって新たに俳人協会が設立されました。現代俳句協会の会長・宮坂さん、俳人協会の会長・大串章さんを中心に分裂の経緯を総括した討議です。
宮坂さんが『現代俳句協会から俳人協会が分裂した背景には、一九六〇年のいわゆる「六〇年安保」の後、俳壇全体が保守的な傾向になってきたこと、つまり有季定型の重視があったんじゃないか。戦後の俳壇は、(昭和)二十年代の山口誓子の俳句の根源探求、三十年代は、まず俳句の社会性への取り組みであり、造形俳句論が出て、前衛俳句が論じられた。四十年代になって古典への伝統回帰が始まる。昭和三十五年六月十九日に日米安保条約の改定が自然成立しましたね。あの後、急速に世の中全体が保守的になってきます』とおっしゃっているのが興味深いですね。昭和20年代には桑原武夫さんの俳句第二芸術論もありました。
昭和20年代から40年代の俳句界は10年単位でムーブメントを総括できるわけですが、昭和60年代から現代までは、いわゆる凪の時代だと言っていいと思います。社会性俳句と前衛俳句の賞味期限がとっくに切れているのに、新たな試みは多かれ少なかれこの両者を足がかりにしている。その一方で10年どころか30年、50年同じことを飽くことなく繰り返している有季定型派が俳壇の実権を握っている。それが結果として俳壇の総意なんだから仕方がない。
でもやっぱ、なんかが決定的に間違っているような気がするなー。俳壇で次々に浮いて消える話題って、ほぼ文学とは関係ないんだな。まずしっかり文学としての足場を固めないと、何をやっても通り一辺倒の試みで終わるような気がしますぅ。
■ 岡野隆 詩誌時評『句誌』『No.090 創刊65周年記念特集「戦後俳壇100年に向けて」(角川俳句 2017年10月号)』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■